とうぜむさんの時事放談

思いつくままに書き記しています。
気楽に読んでもらえれば幸いです。

目の日

2007年10月10日 | 自分のこと
このブログを覗きに来てくれて、ありがとう。
というわけで、今日10月10日は「目の日」です。
僕の、目の思い出をつづろうと思います。
中学卒業まで、両目とも視力1.5でした。
で、高校入学して身体検査を受けたら、片方が0.9になってました。
わずかのあいだに・・・猛勉強したわけでもないのに・・・
思い当たるのは、中3の頃、どういうわけかメガネにあこがれてたんだよね。
だから、目が悪くなったことに危機感も持たず「メガネがかけられるかも」なんて思ったりして。
今思い出しても、なんというおろかな事を考えてたんだろう、と後悔しきりです。
で、案の定、良い方の視力もどんどん落ちてしまって。
1年生の3月にバイク免許を取るときには「眼鏡着用」になってしまいました。
で、いざメガネをかけ始めると面倒で・・・・
で、メガネなしで夜にバイクに乗って相川まで行ったら、おまわりさんに呼び止められて「眼鏡不着用」で反則切符を切られたような記憶があります。
そうそう、あの頃はヘルメットをかぶらなくてもいい時代だったんだよね。
バイクに乗ってるときの風が気持ちよかったなぁ。
と、話を戻して・・・
で、16歳の頃からメガネが体の一部になってしまったのだ。
これはとても面倒なことで、しかも、色々なサングラスを楽しむこともできないし。
僕はすっかり近乱になってしまったのでした。
上京してからの職場に、耳が不自由な子が何人かいて、彼女たちの手話で僕のことは、両方の親指と人差し指で丸を作って目のところへ持っていき、要するに、指でめがねを作るようにした形が、手話での僕のことだったんだよ。
40歳を過ぎたある日、電車の中で腕時計を見たらぼやけたんだ。
そんなことが何回か続いて、ある日「ハッ」と気付いたんだ。
「ひょっとして、老眼・・・」(老眼、って他の言い方がないのかねぇ)
その頃していた腕時計は、文字盤の文字が小さいやつでね。
で、休みの日にジャスコの中の「メガネの愛眼」へ、メガネの買い替えを装って検眼してもらったんだよ。
もちろん、老眼のことは告げずに。
そしたら「お客さん、最近、近くのものが見づらくなったりしてませんか」だって。
すごいねぇ、わかっちゃうんだよね。
で、そのころから遠近両用メガネをかけ始めました。
40代半ば、24時間稼動の工場を顧客に、納入製品の生産管理を一人24時間体制で担当してて。東海の新設工場で、東北本社の生産管理と連携をとりながらだったんで、新工場の生産管理は僕と女性の2名だったんだよね。
お客様の工場からもうちの工場からも夜中だろうがなんだろうが、問題が発生したり、問い合わせなどで携帯が鳴るんだよね。
電話で解決できなければ、すぐに出向いて。
大変だったけど、そうやって一生懸命がんばるから喜んでもらったり、頼りにされたりで嬉しかったけど、ある日、お風呂で髪の毛を洗っている時に目の前の鏡を見たら、小さく赤黒くて丸いものが見えて。
「アレッ、鏡に何か着いてるわ」と思って、鏡をこするんだけど取れなくて。
「へんだなぁ、なんだろう」って、とっても不思議に感じて・・・
「えっ、これって俺の眼のせい?」って思って、片目づつつむってみると・・・
左目で見た時に、中心に赤黒い点のようなものが見えて・・・
「どうしたんだろう」って思ったけど、原因不明で、でも「そのうち治るだろう」と思って、ほっといたんだよね。
でも、一ヶ月経っても二ヶ月経っても消えないし。
で、病院に行ったら、たしか「中心性網膜りゃくまく症」とかいう診断で。
40代の男性に多くみられる症状だと言われました。
原因は、ストレス。
目の毛細血管が破れて、血が滲み出てるんだって。
発症の部位によっては、レーザーを当てて完治するということなんだけど、僕の場合は目玉のちょうど裏側なので、一歩間違うと失明するかもしれないとのことで。
治すことはできないから、ストレスを軽減するよう、仕事も控えた方がいいよ、と言われました。
むりだよね~(笑)
でも、そのあと色々あって佐渡に帰ってきて、仕事はそれなりにストレスはあるけど、一人24時間体制に比べたらなんてことないから、徐々に血のにじみも取れてきて。
たぶん、涙(目はいつもウルウルしてるよね)で、凝り固まっていた目の裏側の血を洗い流してくれたと思うんだ。
今も、左目の中心は少しぼやけているんだよ。
視力は、メガネをかけて、右目が1.2で左は0.9.
やっぱり、左目は0.9なんだよね。
というわけで、目をいたわってあげようね。
見えるということは素晴らしいことだから。
そうそう、このブログのデザイン(相撲のデザインね)にしたのは、文字が大きいからです(笑)

なんで減反?

2007年10月09日 | 疑問解消
実りの秋です。
魚沼コシヒカリに次ぐ佐渡コシヒカリの作柄もまずまずのようでなによりです。
夕べ、おんでこの稽古の時に数年前にUターンしてきた最年少者(とは言っても29歳)から
「なんで減反しなくっちゃならないんだろう」
と聞かれました。
「・・・なんでだろう」
米が余るから、すると供給過剰で値下がりするから、すると結局農家の収入が減るから、などと思い思いに話していました。
でも、いつから、どういう理由でそのようになったのか?
自分でも減反については、世界には餓死する人が大勢いるのだから、そういう国や人に対してお金や薬だけでなく、食料で救うこともできるはずなのに、などとも思っていたので、これを機会に調べてみました。
ネットって、ほんとに便利ですよね。
いくつか見た中で、なるほどなぁ、と思わされたページを紹介します。
http://kokekokko.blog.ocn.ne.jp/akiko/2007/02/post_1133.html
以下は、金沢大学教育学部付属の小学生の研究発表記事だと思うんだけど、コピーをしてアドレスに貼り付けてご覧下さい。
http://center.ed.kanazawa-u.ac.jp/~hira-mina/kyoudou/syakai/gentan/gentan.htm

驚愕!東京労働実態

2007年10月09日 | 政治・社会
20代前半、都内でフルタイムどころか、朝から夜まで働いて、年収手取りで90数万円。。。
一ヶ月にすると、手取り平均8万程度。
今現在の話しです。
数年間続いている話です。
ですから仕事振りは初心者ではありません。
住み込みではありません。自分でアパートを借りています。
食事の提供もありません。
丁稚奉公をしているわけでもありません。
話を聞いて、ただただびっくりするだけです。
僕が30年前に東京で働いていた時でも、これ以上の待遇でした。
でも、職業選択の自由で、自ら選んで現在に至っているわけですから。
そうはゆうものの、こうした状況は、本人にとっても日本にとっても決して幸せなことではないはずです。
「ワーキングプア」(働く貧困層)とは、こういうことをいうんでしょうね。
このような人を雇う側は、月給換算にすると、いくらぐらいを懐に入れてるんだろう?
気になります。
東京は景気がいいと聞きますが、反面、富裕層と貧困層の格差が進む一方だとも聞きます。
ほんとの話しが身近にあったんで、びっくりしました。
福田政権にも野党にも頑張ってもらわなくてはなりません。
そういえば、佐渡の労働者人口は約3万6千人。
このうち、正規雇用になりたくとも叶わずに、非正規雇用に甘んじている人は何人くらいいるのかなぁ。
非正規雇用が多いということは、自治体にとっても、国にとっても好ましいことではないと思うんだけど。
なんか、暗い話でいやになっちゃうけど、厳しい世の中だね。


佐渡秋割り

2007年10月07日 | 時の話題
10月13日(土)~11月11日(日)まで、佐渡汽船の乗船料金と車の航送料金の両方が半額近くに割引となる。
佐渡に来る人だけでなく、佐渡から本土へ渡る人にとってもうれしい割引だ。
詳しくは http://www.sadokisen.co.jp/akiwari/akiwari.asp
愛車を持ち出し、ブラブラしたいなぁ。
高速を使ったら、快適な長距離ドライブが楽しめるもんね。
で、マックに行って、吉野屋にも行ってなどなど、佐渡では味わえない味も楽しめるもんね。
とりあえずは、15日に新潟で用事があるから割引の恩恵にあずかれます。
車でいけないのは残念だけど。
あと、11月8日~9日に小木航路を使っての旅行もあるんだよね。
こっちもバス旅行だから愛車の持ち出しは無し。
やっぱ、愛車は島内で活躍するだけみたいやわ(笑)

子供は日本の宝

2007年10月06日 | 時の話題
護国神社で毎年恒例の「戦没者慰霊祭」がありました。
ここ数年、冷たい雨の中での開催が続いていたんだけど、今日は天候に恵まれて、写真の通り、かわいらしい神楽が屋外で披露されました。
子供はかわいいね。
英霊の皆さんもさぞかし癒されたことと思います。
自分の場合、子供がかわいい盛りの頃は仕事で忙しくしていて、じっくりと観察(?)する時間が少なかったことを、今更ながら、もったいなく思っています。
佐渡は子供絶対数も少ないし、自分の仕事柄、子供と接することもほとんどなく、知り合いの人が赤ちゃん連れだったりすると抱かせてもらったり、柔らかなほっぺに触らせてもらったりしています(笑)
あっちゃんの中1の女の子も、中3の男の子も、子供と呼ぶには大きすぎるかもしれないけれど、それはそれでかわいいんだよね。
中学生くらいまではかわいらしいのかなぁ。
そうそう、今日はテレビニュースで、愛子様の運動会の模様が放映されていました。
愛子様もかわいらしいね。
相撲観戦の時もかわいかったし。
両親から愛情たっぷりに育てられていることが充分に伝わってきて、このまま順調に成長してほしいなぁ、と思います。
個人的には、雅子様の勉学経歴が余りにすごすぎることもあり、その遺伝子が愛子様にどのように反映されるのか楽しみでもあります。
なにはともあれ「子供は日本の宝、地域の宝」です。
全ての子供たちが健やかに成長されることを祈っています。

秋の夕日

2007年10月05日 | その他
秋の夕日・・・ときたら、続きは何を思い浮かぶか?
てぇ~るぅ~や~まぁ もみじ♪
他には
【つるべ落とし】 と続くことが思い浮かびました。
今日は、見事な夕焼けで、それはそれはきれいでした
ちょうど、真っ赤な夕日が彼方の水平線に沈むところが、見え隠れする道を走っていて(西三川付近)
「すんげぇ~。沈むところを見たい!!」
と思うものの、停車しづらい道路でして。
しかも、見え隠れするから気が気でなくって。
「早くどこか停められる場所を、それも、当然ながら沈み行く夕日が見られる所を」
と、ヤキモキしながら走っていました。
頭に浮かんだのは
【秋の日はつるべ落とし】
「もうあそこまで沈んでたら、あと数分で水平線に接触してしまうやん」
と、何とか車を停められるところがみつかって、眺めることができました。
今日のように、きれいに水平線に沈むのは珍しいはずなんだよね。
沈む間際に、彼方の水平線に、たった今まではなかったガスのようなものが突如現れたりして・・・
今日はラッキーでした。
ブログで紹介したいと思い、携帯のカメラに収めようと思ったんだけど、遠距離写真は撮れないみたいで。
携帯画面に映るものと、肉眼で見ているものが余りにも違っていて。
だから、しっかりとまぶたに焼き付けてきました。
佐渡の夕日は最高です。
僕の住んでいるところは、広大な平野のど真ん中でして、夕日は山に沈んでいくのです。
ちなみに朝日も山から昇ってくるのです。
だから、水平線に沈む夕日を見るチャンスは、年に何度もないんですね。
今日は、ほんとにラッキーでした。
そうそう、僕はいまだに水平線から昇る朝日を見たことがありません。
佐渡は、水平線から昇る朝日は見られないんだよね。
弥彦山あたりから登ってくるみたいです。(山の名前が違ってるかも)
いずれにせよ、本土の山から上ってくるのです。
以前、朝日を見たくて海に行ったら、そんな目にあいました。
いつか、海から昇る朝日を見たいなぁ。
と、それはそれとして、今日は、今年初めて海に沈む夕日を目撃できたラッキーな日でした。

パッチギの本

2007年10月04日 | 映画など
パッチギの本、読みました。
いい本でした。
どんな内容か・・・それは読んでのお楽しみ。
作者はゲロッパとかフラガールとか、色々と手がけている人でした。
なんか「東京タワー」のリリー・フランキーを読んだ時に似た感じになりました。
そうそう、キョンジャの女優、一体どうしたんでしょうねぇ。
困ったもんです。。。