陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その178・マル秘

2010-07-14 08:15:54 | 日記
「おい、いつまでやっとるんじゃ。ここはさぶすぎるわい。家ん中にはいろうや」
 最初から中でやればいいのに・・・。気まぐれにはじめ、途中から熱中してしまった挙げ句、最後はあきてしまった、と見えなくもない。だが信じる者には、センセーの行為はお釈迦様の施しのように思えた。ありがたい法話に、信者は一心に聞き入り、従い、全身で吸収する。若葉家の授業は、いつもこんな具合に進んだ。
 同様に、思いつきのように突如はじまった志野の高台づくりも、興味深かった。ろくろの上に固定してカンナで削るのではなく、松の木を割いてつくった刀でざくざくと造形する方法だ。削るというよりも、そぎ落として彫り刻むといったほうがいい。伝世の名品を見ても、その高台は刀で無造作に撫で切られたような印象だ。それでいて際立った存在感がある。
 センセーはオレに分厚い茶碗を挽かせ、水気が引いたところで裏返し、すっぱすっぱと土をそいでいった。
「ケンコンイッテキの気合いを一刀にこめよ」
 それはまるで、書の払いのように気持ちが乗った刀さばきだった。
「高台は茶碗の命じゃ」
 センセーは命を吹きこむ。悠然として、よどみなく、序から破、そして急へ。見事な高台が志野茶碗の底にあらわれる。つたない弟子は何度やっても高台を「こしらえて」しまうが、センセーは、そこにあるべきものを自然にそこに出現させる。こんな仕事を目の当たりにするとき、形をつくるという作業は、まさに心の表出だとつくづく感じ入らされる。
 そしてこんなときでもセンセーは、より深く、より重要な知性の伝授を忘れなかった。
「ここだけの話じゃがな、この高台はオナゴの○○○のかたちなんじゃ」
 ぼそり、真顔でそんなことをささやく。
「へっ・・・?」
「○○○じゃ。布団の底で見たことがあろう?」
 きょとんとしていると、その反応に満足した師は相好を崩して、うひひひ、と声低く笑うのだった。
「正真正銘の秘伝じゃぞ、マル秘、じゃ」
 うひひひ・・・
 なるほど、そうだったのか。オレは、わかりやすい形を茶碗の底に刻む。そして同じようにわらった。
 うひひひ・・・

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園