灯台守の唄

幅広く何でも書いている雑記ブログです

「山猫は眠らない」に日本人が出てた

2023-06-29 21:19:44 | 日記
テレビ東京の午後のロードショーで「山猫は眠らない」シリーズをやってて、今日のシリーズ8作目に日本人が出てました。
忍者みたいな役回りでかっこよかったです。
秋元才加って、アイドルでそんな名前の人いたよね?と調べたらAKBの人だった。
女優でもなく、アイドルがハリウッド映画に出られるってどんなコネクションなんだろうと思ったけど、wiki見たら英語と合気道ができるらしいのでそれで役が来たんだろうか。
こういうハードボイルドな映画で日本人がかっこいい役で出てくるっていいよね。いかにもアメリカが求めるステレオタイプ的な役ではあるけど。

殺すか、生け捕りにするかを巡って、
悪役「ステーキを持ってこい!」
秋元「あたしは日本人。生の魚が好きなの」
っていう会話がツボに入りました。
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なぜサザンを聞かなくなったのか

2023-06-29 14:00:40 | 日記
サザン45周年のニュースを目にしています。
子供のころから聞き、毎日のように聞いていたサザンをいつの頃からか聞かなくなってしまいました。数年前のことです。
理由はよく判りません。
なんか歌を最後まで聞けなくなったな、って感じだったんです、最初。
二番までもたないんですよ。
歌の途中で他の歌に変えてしまう、でもその歌も最後まで聞けない、と繰り返しが続いて、だんだん聞かなくなった、という感じでしょうか。

飽きた、というのとも違う。
なんか頭の中の何かがふっと切れたような。
そんなような感覚で聞かなくなったんです。

コロナとか戦争とか物価高とか、社会的な不安が影響したのかな、と思ったのですが、思えばそれらが起こる前から聞けなくなってたし、社会は関係ないんだと思う。
よく判らない何かが途切れてしまった感。
説明しづらいです。

けしてサザンを嫌いになったわけでもないし、巨人の岡本がサザンファンだと聞けば親しみを覚えるくらいですし、サザンを好きな気持ちは残っているんですよ。
けど茅ヶ崎ライブと聞いても、へえそうなんだ、と流してしまう自分。
歌が聞けなくなった自分。
が今現在の自分であることにちょっと切なさを感じます。
ずっと応援しているファンはほんとに偉いよね。
私はサザンを生涯、死ぬまで聞くだろうと思っていたんですよ。
なのに変わってしまったからね。
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カンヌ映画祭の北野監督に違和感を感じた(2)

2023-06-02 12:32:41 | 日記
カンヌ国際映画祭で、嫁を連れて歩く北野監督に幻滅したので「首」は劇場ではなく、DVDになってから見る予定です。
なんか、わざわざ手をつないで見せてた辺り、「当てつけ」のようなものを感じたんですよ。誰に対する当てつけだったんでしょう?

元嫁?
子供達?
週刊誌?
世間?

週刊誌は大喜びですよね。
でも子供達は不快だったんじゃないの?と思う。
ああいう場面を見て元家族はどう思うかという想像力が働かない北野さんではないと思うんですが、子供達と対立してるのか、そんな想像力も働かないほど嫁に入れ込んでいるのか、どっちなんでしょうか。

ファンとしても、これから映画祭はいつも嫁を連れて行くのかと思うと、たまったもんじゃないなと思います。
以前ネットで「たけしから男のかっこよさがどんどん失われていく」という意見を見ました。
私も全くそう思います。
今の北野さんからはこれまでにあったかっこよさやダンディズムが感じられないんだよね。
まさかこういう晩年になるとは。
これだったらもっと早くに〇んでてほしかったわ、と思うくらいです。

今のたけしはくしくも自身が演じた秀吉の晩年にも似てるのかな。
秀吉と淀殿ですよ。
糟糠の妻を捨て、新しい側室に夢中になり、朝鮮出兵に及んで醜態をさらした秀吉の晩年。
でも淀殿は血筋が良くて若くて美人でしたから、今の嫁とはその辺違いますね。
なんか、18歳下とか中途半端な若さなのよね。
どうせなら孫くらい若い二十代の女性と結婚すればいいのに、なんで還暦間際のおばあさんだったんだろう?
でも18歳差って昔からたけしにとっては禁断の年齢差というか、フライデー事件の発端となった女性も同じくらいの年でしたし、その辺の年齢の女性に弱いのかしら。知らんけどw

さてここからが本題です。どうでもいい前置きが長すぎたわ。
今回北野さんが出品したのは「カンヌ・プレミア部門」という部門でした。
これ、どうやら賞の対象ではなかったみたいなんですよね。
道理で「映画は本来順位を付けるものではない」と北野さんが言っていたわけだ。

「カンヌ・プレミア部門」という耳慣れない部門を聞いた時から、それって賞の対象になるの?ならないの?ってずっと気になってたんですよ。
でも賞の対象となるのは「コンペティション部門」なんですよね。
そのコンペに「首」が入らなかったのはどう理解するべきなのか。

①北野監督は偉大で、映画人としてすでに一地位を築いており、その作品を賞の対象とするのは恐れ多い。
②コンペには及ばないけど、北野作品を上映しないのはもったいないから他の部門に入れた。

シビアに考えて②だったのではないかと思います。
最近の北野映画はエンタメ路線が強いし、本能寺の変や戦国時代というのは外国人に理解されにくい特殊さがあって、コンペの対象とはならなかったのではないですか?

と言っても謙虚な北野監督は十分満足していたようですが、
「今度はまたちゃんとした映画を作ってきます」
と言っていた辺り、悔しさはあったんじゃないの?と思う。

個人的に、どんなに大物になっても、コンペに出品されて他の作品とバリバリ争ってこそ現役の監督だと思ってます。
北野監督にもその意向がまだあるなら、今度はコンペを狙ってほしいですね。
前回の「アウトレイジ最終章」もコンペじゃなかった気がするんだよね。あれはベネチアだっけ?
ちょっと遠ざかってるよね、賞の対象枠から。
もう初期の頃のような芸術性はなくなってきているので、仕方ないかもしれませんが、コンペに出せる作品をもう一度作ってほしいと思ってます。

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歌舞伎役者はこの世にいらない

2023-06-01 11:09:12 | 日記
ほんとに歌舞伎役者って問題を起こす人間ばっかですね。
不倫や庶子は当たり前で、セクハラ、パワハラ、暴力沙汰とか、どれだけ社会に迷惑かけるのよ。
梨園という閉ざされた世界でちやほやされてるから社会性をなくすのよね。
歌舞伎役者なんて要らないし、そもそも歌舞伎自体、この世からなくなっても別に構わんでしょ。

元々、歌舞伎って河原でチンピラがたむろしてふざけてたのが始まりで、それが今や伝統芸能と崇められているんですから、ちゃんちゃらおかしいです。
本質は「チンピラ」です。
どんなに長い年月が経とうがその本質は変わらない。
歌舞伎役者の態度や素行がそれを証明してます。

コメント (2)
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