灯台守の唄

幅広く何でも書いている雑記ブログです

パリオペラ座バレエ団のホープ、ムーセーニュ・クララさん

2022-10-24 21:16:41 | バレエ
パリオペラ座バレエ団に日仏ハーフの子が入って活躍してることは知っていました。
というのも、たまに中村江里子さんのインスタを見ていて、ある時クララさんの公演を見たことが書いてあって、そこで初めてクララさんのことを知ったんです。
その公演は雨宮塔子さんも一緒に行っていて、雨宮さんのインスタを見たら、クララさんについてもう少し詳しく書かれていました。

・現在コリフェである。
・パリオペラ座バレエ学校を卒業している。

ということが判りました。
中村さんと雨宮さんは、クララさんのお母さんとママ友なんだそうです。
フランスの日本人社会は狭いなあと思ったり、中村さんや雨宮さんとお付き合いがあるということは、クララさん一家はそれなりに上流の方なんだろうなと思ったりしました。

しかしクララさんについてはそれ以上判らず。
まだ入団したばかりなのに、コリフェに昇級しているということはかなり才能のあるバレリーナだろう、でも情報がないからなあ、と気になりつつ、そのままになってました。
そんな時、先日ヤフーニュースが思いがけずクララさんのことを取り上げてくれて、いろいろ詳細が判明しました。

・本名ムーセーニュ・クララさん。
・フランス人医師の父と日本人の母を持つ。
・三人姉妹の末っ子。
・12歳上の姉はバイオリニスト。
・10歳上の姉は弁護士。チェロやハープも奏でる。

すごいエリート一家です!
この上流ぶりは中村江里子さん一家以上じゃないの?と思いました。
子供達、すべて芸術家肌なのがすごい。
姉二人がバイオリニストと弁護士で十分すごいのに、ここにさらに末っ子がパリオペラ座のバレリーナとして加わるってすごすぎます。
お母さん、鼻が高いでしょう。

日本人の血を引くバレリーナと言えば、現在オペラ座にはオニール八菜という方がプリミエール・ダンスーズまで登り詰めています。
この方はオーストラリアのバレエ学校からオペラ座に入団したのに対して、クララさんはパリオペラ座バレエ学校から入団したいわば生え抜き、という点でも注目できます。

いつか日本人の血を引くエトワールが誕生するでしょうか。
欲を言えばハーフではなく、純日本人のエトワールが見たいですが、藤井美帆さんの例を見てもそれは難しいのかもしれませんね。
クララさんの活躍に期待したいと思います。
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上野水香さんの退団を控えて

2022-09-30 21:11:04 | バレエ
「バレリーナの去就」シリーズ(^^)、今回は日本を代表するプリマバレリーナ、上野水香さんです。
この方も今シーズンをもってバレエ団を定年退職されます。
とは言ってもまだまだエネルギッシュに踊れる感じの方なので、退団後もどこかのバレエ団でゲストで呼ばれて踊っていくんじゃないかと思っています。
かつては和製シルヴィ・ギエムとも呼ばれた上野さん、そのギエムが引退したのは50歳の時でした。ご本人もギエムに憧れているという話だったので、50歳を目標にしている可能性は十分考えられます。
あとは講演やイベント活動をしていくんでしょうね。

この方はモナコのプリンセスグレースバレエアカデミーに2年留学し、首席で卒業されました。モンテカルロバレエにも声を掛けられたと聞いています。
でも日本に帰って踊ることを選んだ。
実力のある人は皆、海外で踊ることを選ぶのに珍しい選択だったと思います。
思うに、バレエと並行してタレント活動もしたくて、日本に戻ることを考えたのではないかと。

事実、神奈川県の親善大使をしたり、雑誌に出てモデル的なことをしたり、イベントに呼ばれてトークをしたり、ということもこれまでされて来られました。
海外のバレエ団に入ると、日本のバレエ団に入る以上にストイックに練習することを求められますから、上野さん的にそれは避けたかったのではないですかね。

インスタを見るとブランド物のバッグや服に囲まれた華やかな写真が目につきます。
バレエもしたいけど、華やかな生活もしたい方なのだな、というのはインスタの雰囲気からも判ります。
その意味では日本に帰ってきて、満足のバレエ人生を送って来られたことでしょう。
それでもバレエファンとして大きなお世話ながら、あのまま上野さんがモナコに留まっていたら?と考えてしまうことがあります。
今頃、全く違った上野水香さんを見ていたのではないでしょうか?
その上野さんこそ見たかった!という思いが私の中ではあります。

上野さんの舞台は二回見に行ったことがあります。
一回目は「白鳥の湖」、二回目は「ジゼル」だったと思いますが、ちょっとあやふや・・。
容姿の派手さに反して、意外と丁寧な踊りでした。
悪く言うとちょっと物足りないかなという印象も。
モナコにとどまって、バレエ一筋に邁進していたら!?と最後にしつこく繰り返させてもらって終了したいと思います。(^^)
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シアトルのバレリーナ、中村かおりさんを知っていますか?

2022-09-20 21:38:45 | バレエ
前に藤井美帆さんの記事を書きましたが、私はバレリーナの去就について結構興味があります。
どんなにトップで踊るバレリーナにも引退の時期が来ますよね。

どんな引き際をするのか。
何歳で辞めるのか。
引退後はどんな生き方をするのか。

ということに興味があるのです。
大体、外国で長年踊って、日本に戻り、最後の数年を踊って引退するというケースが多いようですね。
そんな中、引退しても日本に戻らず現地でバレエ教師をして生きるという選択をした方がいます。

パシフィックノースウエスト・バレエの中村かおりさんです。

中村さんはシアトルにあるこのバレエ団でプリンシパルとして活躍した後、付属のバレエ学校でバレエ教師として生きる道を選びました。
45歳が定年のパシフィックノーストで、「ちょっと早めに辞めたい」との考えで44歳で引退したそうです。
引退公演では中村さんのポスターがシアトルの町に貼られたとのこと。
シアトルの日本人と言えばイチローですが、イチローほどの知名度はないものの、シアトルで長年踊ってきたバレリーナとして中村さんがいかに愛されていたか判ります。

「まだ踊っているの?と言われるより、惜しまれる内に辞めたかった」というご本人。
中村さんらしい気の強さ、そして潔さを感じます。
定年より早めに辞めて、第二の人生の準備をするのってなかなか勇気が要ることですよね。中村さん、思い切りいいなと思います。

もっとも現地に残ったのは家族の存在もあったと思います。
独身だったら日本で踊るなり教えるなりの道も選んだかもしれませんが、アメリカ人のご主人とお子さんがいらっしゃった中村さん。家族のためにも現地で留まることを選んだのはもちろんですね。

ちなみに最初のご主人はオリヴェエ・ウェーバーさんという方で、同じくパシフィックノースウエストでプリンシパルをしていました。
ウェーバー氏は退団して、今は振付の仕事をしてるみたいです。
中村さんはかつてこの方と共に夫婦でロイヤルウィニペグ・バレエからパシフィックノースウエスト・バレエに移籍して来ました。
長年パートナーを組んでいたウェーバー氏となぜ離婚したのかは判らないですが、今のご主人が一般人であることを考えると、ダンサー同士の確執とかあったのかな?と想像しています。
ウェーバー氏はイケメンで中村さんとお似合いだったのに、と残念に思ったこともありますが、それも今は昔のことになってしまいました。

中村さんの話に戻ると、
スクール・オブ・アメリカンバレエ留学、
ロイヤルウィニペグ・バレエ入団、
パシフィックノースウエスト・バレエ移籍、
というキャリアを見るに、アメリカの水がとても合っているのが判ります。
これからもアメリカを拠点に頑張っていただきたいです。
引退しても現地に留まったイチローと中村かおりさんの共通した生き方、清々しくて、私はとても好きです。
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中村祥子さんと永久メイさん

2022-09-19 21:13:10 | バレエ
昨夜Eテレでバレエをやっていました。
劇場までバレエを見に行くことがなくなってしまったため、テレビでバレエを放映してくれるのはありがたいですね。
何個か演目がありましたけど「パ・ド・カトル」が一番良かったです。
ロマンチックでうっとり。何回もリピートして楽しんでます。
昔ニーナ・アナニアシヴィリのパ・ド・カトルをDVDで見たことがありますが、あれも好きだったな~。
それ以来見るパ・ド・カトルでした。

しかし中村祥子さんの風格ぶりにはびっくりしました。
4人の中で姐御感がすごすぎる。
姐御というか、もっと言うと「祥子ママ」とでもお呼びしたいくらい。
ローザンヌで踊っていた少女の頃を昨日のことのように覚えてるのに、それがまあいつの間にこんなに立派な女性にって感じです。

それと一際エレガントだったのが永久メイさん。
プロフィールを調べたら、モナコに留学してたのをスカウトされ、今ではマリインスキーでファーストソリストとして踊ってるとか。
すごすぎる~
日本人がマリインスキーでソリストとして踊るなんて今までじゃ考えられなかったのに。
オーディションじゃなく、スカウトされたってのがいかに才能あるかって話ですね。
けど・・・このご時世、ロシアで踊るのって大丈夫なの?
生活は不便そうだし、まともに公演もやってるのか怪しいですけど。
22歳とお若いので、今後注目していきたいダンサーさんです。
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パリオペラ座バレエ団藤井美帆さんという生き方

2022-08-28 21:29:11 | バレエ
日本人初のパリオペラ座バレエ団団員として当時話題になった藤井美帆さん、先頃、定年退職なさいました。
カドリーユ(コールド)という最下位でバレエ団生活を全うされた藤井さん。葛藤はなかったのかしら?とずっと思ってました。
他のバレエ団に移ればソリストとして踊れたかもしれないし、何もオペラ座にこだわらなくても、って思ってたんです。

そんな中、退団にあたってのインタビュー記事をネットで見つけて読んでみた所、やはり葛藤はあったのだそう。
けど、他のバレエ団に移ることも考えていろんなバレエ団を見に行ったものの、やはりオペラ座のスタイルが好きで退団に至らなかったのだそうです。

と言っても終生カドリーユ。
若い後輩達に抜かされるのは面白いわけなかった筈。
本人もそれこそ何回も昇級試験にはチャレンジしたんでしょうけど、なぜか結果が出なかったようで。

パリオペラ座バレエ団には厳格な階級制度があり、
カドリーユ(コールド)→コリフェ(コールドのトップ)→スジェ(ソリスト)→プルミエールダンスーズ(主役級)→エトワール(主役)
となっています。

かつてミテキ・クドーという日仏ハーフのダンサーがいましたけど、この人はスジェまで行きました。
母親がノエラ・ポントワというエトワールで、本人も母親を目指したい所だったでしょうけど、そこには到達できずに、こちらも定年退職に至りました。
現在オニール八菜という日豪ハーフがプルミエールダンスーズまで行ってますが、この人もなかなかエトワールには指名されない。
パリオペラ座、なかなか一筋縄じゃいかない所だというのが判ります。

藤井さんの場合、日本人初のバレエ団員という肩書に縛られ過ぎてしまったのかな、と思いますが、ある時期からコールドに徹し、舞台を作る側に回ろうと割り切ったのかもしれません。
そうでなきゃ定年までいられないですものね。
数々のバレエ団を渡り歩くダンサーが多い中で、入団から定年までいるって大したものだと思います。
確かではありませんが、フランス人のご主人とお子さんがいたような。
プライベートではお幸せだったのは何よりだったと思います。
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