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年寄りの独り言

奥州経済共同体とマイクロファイナンス

2011年04月25日 | 地震
菅直人首相が被災者に詰め寄られてもなお被災地を訪問しているのはなぜか。まあやらせを自分でバラしてしまった訪問だった。しかしそれでもなぜ今の時期の訪問なのか、自分なりに探ってみた。

被災者に詰め寄られる総理大臣(youtube)

参考にしたのは「阪神・淡路大震災教訓情報資料集」

ここに「震災後の主な動き(年表)」がある。

ここで政府がとった対策をみてみると
○非常対策本部現地対策本部が5日後
○11日後の公費による瓦礫撤去(国負担1/2)発表
○約一ヵ月後に阪神・淡路復興対策本部
○4ヵ月後に第1次補正予算案成立(震災関連予算1兆4,293億円)
○9ヵ月後に第2次補正予算案成立(震災関連予算7,782億円)
というスケジュールである。

菅首相はまだ震災の復旧復興のロードマップを発表していないが阪神・淡路大震災で政府がとった施策はつまりはすべてこれだけである。災害対策関係法律はこれだけあるが、あとはすべて自治体・被災者任せ。政府自体ができるやれることはない。

つまり菅首相は、もうやるべきことはすべて終わったと思っているのではないか。

■福島原発の処理は東京電力と保安院その他にお任せ。
東電のロードマップは3~9ヶ月かかるのであとはほったらかし。

■第1次の補正予算はもうすぐ成立予定。なのであとは第二次補正ともに官僚に丸投げ。

■東日本大震災復興構想会議という名のご大層な会議はまとまる兆しもみえずまとまるのはすくなくともあと半年はかかるとみた。まあ田母神幕僚長や守屋元次官など防衛省関係者がトップというだけでも胡散臭いと感じるのは自分だけかも。災害復興プランがあるのは(なければならないのは)経産省あたりのはず。

この東日本大震災では全世界が注目し支援がよせられている。東北はまとまって自立し行動しなければならない。いまこそ奥州経済共同体(OC)が必要である。欧州連合も最初はたった6カ国から出発した。仙台港や仙台空港などの拡張ができればハブ空港や東アジアの核となることもできるかもしれない。日本政府など相手にせずとも奥州が自由貿易と産業興隆で世界に飛び出せるチャンスでもある。世界をハード主体からソフトウエアやマインド中心に替えるターニングポイントになるかもしれない。

東北の産業には零細、脆弱な面がある。であればマイクロファイナンスなどあらたな金融支援が必要になる。いまこそ都知事が提唱し、かつ挫折したような金融機関がひつようなのだがどうにかならないか。




ハナミズキ

2011年04月21日 | 地震
ハナミズキの花言葉は

「私の思いを受けて下さい」

その花がさきだしている。

寒い東北でも桜前線が北上中。

青森あたりは4月30日頃

ちょうどその頃東北新幹線も完全復旧の予定とのこと。

ハナミズキ(一青窈)

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように






あほでおマヌケな法律にしばられる政府、学校耐震化に400億円 仮設10万戸

2011年04月17日 | 地震
あほでおマヌケな政府は一軒244万円の仮設住宅10万戸を建設することにしたらしい。この仮設住宅は基本2年間のみであとは取り壊される運命、住民の本当の復興復旧にも生活の再建にも役立たず、国民の税金をドブにすてて、本当に笑うのはプレハブメーカーだけという愚策なのだ。災害援護資金のほうも一世帯350万円というがこれも一時的な貸し付けで基本3年をこえると償還しなければならない。利子もいまどき3%取られる。

素人考えでも学校や役場などを高層化して上に市町村営アパートをつくったら一戸あたり500万円もあればおつりがくる。市町村が債権を発行すればよいので復興税も消費税増税もいらない。一体誰のための復旧復興、そして生活再建か誰も本気で考えていない。

グスコーブドリの伝記

2011年04月12日 | 地震
『グスコーブドリの伝記』は、宮沢賢治が生前に発表した数少ない童話である。命をなげうって飢饉や冷害から人々をまもる姿は賢治の生涯そのもので賢治はその主人公に自分をなぞらえていたようだ。

宮沢賢治は日露戦争、第一次世界大戦、満州事変などの戦争と三陸地震津波、関東大震災そして冷害など自然災害また米価の暴騰と米騒動さらには世界恐慌と歴史に翻弄され37歳で短い生涯を終えている。

1896年(明治29年)8月27日、岩手県稗貫郡里川口村 現・花巻市)に生まれる。賢治が生まれる約2ヶ月前の6月15日に「三陸地震津波」そして誕生から5日目の8月31日には秋田県東部を震源とする「陸羽地震」がおき秋田県及び岩手県西和賀郡・稗貫郡で大きな災害が生じた。

小学校に入学の翌年1904年(明治37年)日露戦争 

大正3年(1914年)第一次世界大戦の翌年には盛岡高等農林学校に入学
その後にはロシア革命 大戦景気によるインフレとシベリア出兵、米価の暴騰と米騒動などが起こる

1918年(大正7年)卒業論文『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』

1921年(大正10年)稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)教師、翌年11月にトシ病死。この頃『グスコーブドリ』の原型を書いていたらしい。

1923年(大正12年)関東大震災

1924年(大正13年)『春と修羅』『注文の多い料理店』

1929年 世界恐慌始まる。

1931年(昭和6年) 満州事変 『雨ニモマケズ』

1932年 4月雑誌『児童文学』第2号に『グスコーブドリ』発表

1933年(昭和8年)急性肺炎で死去 「三陸沖地震」
死の前日まで農民に肥料の相談を受けていたという。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/宮沢賢治)

賢治が創造した「サンムトリ火山」が福島原発と重なって見えるのは自分だけだろうか。賢治だけではない。東北人は性格として、自分自身はほめないし他人のことも悪くはいわない。他人の話をよく聞き、それを頭のなかで何度も反芻し慎重に判断したいと思っているから話すのに時間がかかる。口下手なのではない。自分の口からでたことに責任をもちたいから、他人にも自分にも誠実でありたい、約束したことを守りたいからベラベラ喋らないのだ。それでも一旦決めたらそれを粘り強く、自分を捨ててまでも頑固なまで実行しようとする。

しかし我慢をいつまで強いるのだろか。

津波被害

2011年04月10日 | 地震
菅直人首相が陸前高田に視察に訪れた。ヘリコプターでの視察だ。今ここに車で行ったら何時間かかるのだろう。

ハイテク漁船
津波で陸に打ち上げられた漁船の無残な姿。もったいない。修理する造船所すら被害をうけている。この漁船みかけで判断してはいけない。現在の漁船は旅客機なみのハイテクなのだ。レーダー、気象機材、魚群探知機から、一瞬で空気がはいるライフラフト(救命いかだ)まで、オートパイロットは自動操縦装置で世界中を航海することができる。くわえて漁獲した魚の冷凍設備、また高価な漁網やロープまで想像できないくらいの設備投資がいる。どのぐらいかはわからなかったが、兵庫県の漁業調査船「たじま」は12億7千万円。 一寸したジェット機が買える。あのアパッチヘリでさえ16億円程度だという。

被害を受けた船舶は1万2000隻という。個人での保証は無理、漁協を保証人にするとか船主同士で会社組織にするとかでの新たな支援措置と法令の整備が必要。被災地の農業支援も逼迫している。少なくとも4兆円程度では足りない。本格的な支援がすぐにも必要だ。

秋田エルピーダ 唯一のDRAM工場
こんなところに最先端メモリーの技術 日本における唯一のDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ)専業メーカー。秋田エルピーダメモリ - 100%出資の後工程生産子会社。前身はアキタ電子。

東北は各地に電気・自動車部品工場が点在していた。ほとんどが海外に生産拠点を移したと思っていたら、ところがどっこい生き残っている。これらが生産できないことで、世界中に影響をおよぼしている。どうする民主党、自民党の皆さん。

組織が見えない。顔が見えない。各省庁とも新年度事業などとの錯綜しないようにして連絡調整を密にすべきとき。テレビ電話の会議システムなど利用できないのか。中央に情報を集中させ同時にその情報を地方にも共有させる掲示板のようなシステムが必要であろう。どこかの大学あたりにそのような臨時のシステムを作らせればよい。

前に想像力と創造力と書いたが、前例にこだわっている場合ではない。今の法令システムや組織では対処できないと思う。阿久根市長なみの政令を乱発しなければいけない。あとで国会が検証できるようにバックアップ組織も必要だろう。

提言その2

2011年04月02日 | 地震
学校給食

避難所の近くに学校給食の施設があるところは、いまはどうなっているのだろう。このような施設をいかさない手はない。東北地方は殆どプロパンガスのはずである。各避難所にはプロパンガスの設備は手配したのだろうか。プロパンガスさえあればストーブで寒さもしのげる。いまだに設備がととのわない避難所があるのが信じられない。地域全体が被災した場合は長期の避難を強いられるだろうから自分の家で避難しているお年寄りなども含めた地域ごとの給食が不可欠となるだろう。国は備蓄米をもっと放出すべきだ。たりなくなったら輸入すればよい。自分はカリフォルニア米が好み。

仮設住宅

阪神・淡路大震災のときは仮設住宅用に建設会社などがプレハブを寄付したこともあった。中古のプレハブを国で買い上げて仮設住宅として活用すればよい。仮設なら中古のバスや大きめのバンを個人用に供給するのも、学校の新学期もせまっているこの緊急事態ならばの措置でありうる。とりあえず仮設住宅をまってはいられない状況なのだ。

イヤフォンコードのまとめ方

2011年04月01日 | 地震
このごろ物忘れがはげしいのでメモ代わりに書いておく。

イヤフォンなどのコード類をまとめるときどうしてますか。

ぐるぐると輪にしてまいてそのままポケットにいれると

また使うときに絡みあってシッチャカメッチャカというときありませんか? 

ロープの結び方などの本にこれのヒントがあります。

ロープを八の字にまとめる巻き取り方がある。

そうするとロープをまた使うときもこんがらずにスムーズに出てきます。

船乗りなど先人知恵ですな。

嘘ではありません。試してみてください。

いろいろ探したらありました。

youtube動画(イヤフォンコードの8の字巻き)