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乗り・撮りで「鉄」満喫 烏山・吾妻・弥彦線+北陸新幹線ルート その3

2024年05月28日 | 乗り鉄
わたらせ渓谷鐡道 間藤駅とわ89-310形気動車
間藤駅は宮脇俊三さんの著作、時刻表20000kmの最終駅でもある

わたらせ渓谷鐡道と銅山観光(3日目)

この日のJR未乗路線は群馬県の吾妻線乗ですが、折角栃木県にいるので、群馬県への移動を兼ねて先ずはわたらせ渓谷鐡道に乗車することにします。

鉄道だけで移動するなら東北線の小山、両毛線の桐生を経由して、わたらせ渓谷鐡道に往復乗車するということになりますが、今回は宇都宮からの距離も近く早くて便利な、日光駅に出て日光市営バスで足尾方面に抜けるルートを選択することにし、宇都宮8:46発のJR日光線で日光駅に向かいます。
高校生で込み合う7:48発に乗車した前日とは違ってこの日は高校生の姿は殆どなく(多分始業に間に合わないですね)、車内も立ち客がちらほらといった程度で、逆に外国人を含む観光客らしい人たちが目立ちました。

日光から足尾に抜ける小型の日光市営バス
日光からわたらせ渓谷鐡道終点の間藤まで45分程だ

日光駅前からは足尾方面行きの日光市営バスに乗車します(乗り場は駅とは反対側の道路脇でちょっと分かり難いです)。このバスは日光から間藤駅前を通り、後で訪問を予定している足尾銅山観光にも停車するのですが、ここで横着をするとわたらせ渓谷鐡道の末端区間である間藤(まとう)~通洞間が未乗になってしまい、これまた将来に禍根を残すこと必定なので、間藤駅での50分近い待ち時間を厭わず同駅前でバスを下車することにします。ただ、こんな乗り方をするのは私だけかと思ったら、同じバスに日光駅から乗り合わせた私以外の女性4人も全員わたらせ渓谷鐡道に乗車したのにはちょっと驚きました。ローカル鉄道乗車に魅力を感じる方は結構多いということですね。

間藤駅は県道250号線に面しており、この道路に沿って北側には下間藤、上間藤といった集落があります。 
今は駅から道路を挟んで松木川(渡良瀬川の上流河川)側に古河C&Fという鋳物関係の事業所が操業しているものの商店のようなものは何もありませんが、列車の待ち時間に下間藤付近まで歩いて見つけた案内板によると、銅山が活況を呈していたころは下間藤付近は商業地として随分賑わっていたようです。また、上の平(うえのたいら)の銅山社宅という看板の先には当時の鉱山労働者の社宅が残されていました。

鉱山労働者向けの社宅の建物が残っていた

わたらせ渓谷鐡道は1912年に沿線で産出する銅の輸送を目的に足尾鉄道として建設された延長44.1㎞の路線で、その後国有化され足尾線となり(NHKアーカイブスに1970年ごろの動画があります)、1989年に今の第三セクターとなりました。また、現在の終点は間藤ですが、足尾線時代はさらに1.9km程北の足尾本山まで貨物線が伸びていたようです。
このようにこの路線と銅山は切っても切れない関係なので、間藤10:58発の列車に乗って銅山への入り口として栄えた2駅目の通洞で下車し、かつての銅山の坑道の一部が展示されている足尾銅山観光に行ってみることにします。

銅山観光の入り口

後ろのトロッコに乗車し、先ずはこのアプト式機関車にけん引されて急坂を下る

坂を下ったところで機関車を切り離し、あとは自走して坑内へ

坑内には江戸~昭和の各時代の銅採掘の様子が実物大の人形で再現されている
なかなかリアルでボタンを押すと動くものもあってちょっと不気味

足尾銅山観光はトロッコ乗車から始まりますが、そのトロッコの走るのは通洞入り口から150メートル程でその先は今は行き止まり。坑内の説明版によると、さらに奥へ6.5km、上に20階600m、下に16階540m、総延長1234㎞に及ぶ坑道が広がっていたそうです。
トロッコを降りた後は左手の坑内を歩いて江戸、明治、大正、昭和各時代の鉱山労働の様子が再現されている場面を見学し、その後ミニシアターや精錬などに関する資料館や江戸時代の銅銭づくりの様子の資料館を見学します。
もともとはトロッコに乗って坑道に入る・・・というのに惹かれてたのがこの訪問のきっかけでしたが、展示内容はなかなか興味深いものでした。

有人だった通洞駅から再びわたらせ渓谷鐡道に乗車
やってきたのはWT500形で2ドアロングシート

吾妻線乗車

銅山観光の後、再びわたらせ渓谷鐡道で桐生へ、桐生からは両毛線で新前橋へと移動し、新前橋15:20発の大前(おおまえ)行に乗車、上越線を北上して渋川を15:56に出発するといよいよ吾妻線です。

両毛線、吾妻線、上越線の水上以南のローカルは全て3ドアロングシートの211系

吾妻線は上越線の渋川から大前まで55.3kmを結ぶ路線で、1945年に長野原(現在の長野原草津口)まで長野原線として開業、その後1971年に現在の大前まで延伸された際に吾妻線となりました。また岩島~長野原草津口間は2014年に八ッ場(やんば)ダムの建設に伴って吾妻川左岸のルートから右岸のルートに切り替えられ、途中の川原湯温泉駅も対岸に移設、路線長も300m短縮されています。
また、この路線にはかつて長野原から太子(おおし)までの5.8kmの支線があり、長野原草津口から群馬大津に向かう車窓右側に放置された橋梁を見ることができます。

渋川を15:36に発車した電車は基本的に吾妻川の左岸(北側)を走り、進行方向に向かって車窓左手に吾妻川の流れを見ることが出来ます。渋川発車時点では座席が半分程度埋まった様な状態でしたが、まあ眠くなる時間ということか、駅毎に午睡から目覚めた乗客がパラパラ降りていくという感じで列車は進みます。
途中、中之条には沿線では比較的大きな集落があり、少しまとまった下車客に加えて乗客もあり、また行き違いの特急と普通列車との交換で17分も停車します。

中之条では特急草津・四万(くさつ・しま)4号と行き違い

岩島を出ると列車はコンクリートアーチ橋で吾妻川を右岸(南側)に渡り、長大なトンネルを通って川原湯温泉駅に停車、再び長大なトンネルを2本通り、コンクリートアーチ橋で吾妻川を渡って長野原草津口駅に到着します。長野原草津口到着直前には旧線に向かう線路を再利用した留置線を確認することもできますが、この区間が八ッ場ダムにより線路切り替え区間で、「ヤンバ」という地名が民主党政権とセットで記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。この切り替えに伴って、延長7.2mと日本一短いトンネルとして有名だった樽沢トンネルが廃止になったのも鉄道ファンの間では良く知られた話です。


八ッ場ダムのダム湖(川原湯温泉駅付近)
現在は水没している対岸にかつての線路があった

「草津良いとこ一度はおいで~♫」の草津温泉への連絡バスが発着する長野原草津口で殆どの乗客は降りてしまい、残った僅かな乗客も万座・鹿沢口で大半は下車して、17:11に終点大前に到着。結果的に終点大前まで乗車したのは私を含めて4両編成でたった3名という状況でした。さらに私と(多分寝過ごした・・・)もう一人は折り返し列車に乗車したので、実質的な下車客は1名ということだったようです。
因みに今年3月24日、JR東日本が長野原草津口~大前までの区間について地元に存廃協議を申し入れたとか。今回は1本の列車に乗っただけなので安易に判断はできませんが、なかなか厳しそうな感じはします。


「ここまで乗りました」の撮影用?に便利な駅名標がある終点

渋川側の踏切横から撮影 もちろん無人駅だが、待合室とトイレはあった

渋川から吾妻線の下り列車本数は途中駅までの列車や特急を含めて平日は16本(季節列車等は除く)ですが、そのうち大前までの列車は4本。17:32発の折り返しを逃すと大前19:54発の最終となり、ちょっと寄ってみたくなるような場所も見つけられなかったので行きの景色を逆に見てこの日の投宿地の渋川に戻ることにしました。

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