少年トッパ

『<映画の見方>がわかる本』を読んで。



●『<映画の見方>がわかる本 『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで』 町山智浩 洋泉社

 これは2002年に出た本だけど、最近やっとこさ読んだ。いやぁ、こんなに面白いなら、もっと早く読めば良かった。とにかくもう、勉強になることが満載なのだ。作り手の「苦し紛れ」から傑作が生まれ、観客や批評家の勘違いや思い込みや曲解や拡大解釈が傑作を傑作たらしめる——そういった事例が多いことも、改めて感じさせられた。

 あまりにも有名な話だけど、『あしたのジョー』で力石徹が減量する羽目になったのは、原作者である高森朝雄(=梶原一騎)が当初から想定していたアイデアではない。作画を担当したちばてつやが、矢吹丈よりも力石徹を遙かに大柄な男として描いてしまったから、辻褄を合わせるために「力石がジョーと戦うために階級を落とす→無茶な減量を自らに課す」という展開にしたのだ。しかし、その苦し紛れの策が劇的で緊張感に満ちた物語を生み、社会現象となるまでの傑作へと化けさせたのである。

 この本で取り上げられた『2001年宇宙の旅』や『地獄の黙示録』も、数多くの「苦し紛れ」を経て世に放たれた作品だそうだ。そして、無数の勘違いや曲解による賛辞を得て、映画史に残る作品となったようである。その経緯は、まったくもって面白い。小説やマンガならば、まだ作者本人の手で内容を比較的容易に修正できるけど、巨額の予算が必要な映画では、監督やプロデューサーといえどもそうそう簡単に手を入れることなどできないもんね。そう考えると、『地獄の黙示録』に関わった者たちは、きっと胃に穴が空くほどの想いを数え切れないほど味わったのだろう。マーロン・ブランドをぶっ殺したい、と思った者もマジで多かったろうね。
 面白いのは、『2001年宇宙の旅』にせよ『地獄の黙示録』にせよ、「あえて難解に見せる」という方法が功を奏していることだ。一般大衆は「意味が分からん!」と正直に言うけど、インテリや知識人は分かったような振りをして自分の解釈を述べ、褒め称えるわけである。誤解を恐れずに言えば、そういったせせこましい選民意識こそが「苦し紛れの産物」に「確信犯的に生み出された難解な傑作」というラベルを貼ったのだろう。ちなみに『2001年宇宙の旅』には、もともと内容を説明するナレーションが付いていたんだって。それを省いたら、そりゃ訳が分からなくなるのは当然でしょ。

 この本を読んで痛感したのは、ここに取り上げられた作品をリアルタイムで観たかった、ということである。『2001年宇宙の旅』も『俺たちに明日はない』も『卒業』も『時計じかけのオレンジ』も僕はリバイバル上映で観たわけだが、封切り当時の時代の空気の中で観れば、きっと感じることは大きく違っていただろう。僕が映画を観るようになったのは1980年頃。この本の中の言葉を借りれば、ハリウッドで「見世物」から「作品」になった映画が、志を見失って「製品」になった時代である。

 1967〜1976年のハリウッド映画について、町山氏はこんな風に書いている。

 その当時、映画館に行くことは現実からの逃避ではなく、現実の問題に向き合わされることだったのです。
                              <P.5より>

 ああ、その時代に10代後半か20代でいたかった! まあ、そうだったとしても、大した人物にゃなれなかったろうけどね。
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