中盤までは良い。さびれたジム、貧しい練習生たち、頑固で偏屈なコーチ。ついつい『あしたのジョー』を連想してしまうようなコテコテの設定だが、そういうのは僕としては大好きだ。頑固者のコーチに弟子入りを志願する31歳の女、マギー。女には教えない、と素っ気なく断るコーチ。黙々と練習を続けるマギーに手を差し伸べる元ボクサーの雑役係。この辺りの人物設定と展開もありふれているけど、観ていてワクワクさせせられる。コーチを演じるイーストウッド、ボクサー志望の女を演じるヒラリー・スワンク、そして雑役係を演じるモーガン・フリーマン、すべてハマリ役である。
もともと才能があったマギーは、デビューと同時に快進撃を続ける。ちょっと不自然なほど強すぎる気がするが、こういう少年マンガっぽい展開にはやはり胸が躍る。試合の場面はどれも迫力があるし、僕のような素人から見れば相当リアルだ。しかし、このままサクセスストーリーで終わるようなタイプの映画じゃないだろうなぁ。そう思っていたら、あの悲劇がマギーの身に襲いかかる。
そこからは、まるで悪夢だ。全身不随となったマギーに治る見込みはなく、面倒を見てやった家族は彼女から財産を奪おうとする。コーチは彼女を慈しみ、できる限り付き添ってあげようとするが、再起が絶望となった彼女を救う方法は見つからない。そして、彼女はコーチに頼む。私を――。
観たあとに暗澹たる気分になるから好きじゃない、というわけではない。人生では時に予想もできないような悲劇が起こり得るし、あの出来事が現実のものであっても不思議じゃないだろう。しかし、この映画で描かれた悲劇は、あまりにも作り物っぽい。「悲劇を起こすための人物設定」であり、「悲劇へと導くための筋運び」に思えてしまうのだ。だって、先にも書いた通り、設定や前半の展開は往年の少年マンガと大差ない。どの役者も上手いからリアリティがあるように思えるが、ほとんどの展開が「お約束通り」だ。それが終盤になって、「生きることの意味を問う」というような重苦しい物語になるのだ。
脇役たちの描き方にも深みがない。反則を行う女ボクサーは典型的な憎まれ顔だし、マギーの親や兄弟は「誰かが見てもヒドい連中」だ。観ている側は奴らに腹を立て、ますますマギーとコーチに感情移入する。コーチを演じているのが好感度バツグンのイーストウッドだからなおさらだ。僕だって、反則ボクサーをぶっとばしたい気分になった。そして、あの下劣な親兄弟にはムカムカした……のだが、一方で「これはあまりにもマンガチックじゃないか」と違和感を覚えた。そして、そのあとに決定的な場面がある。衰弱したマギーが微かに口を開くと、そこから覗く歯が真っ白なのだ。ものすごく健康的で美しい歯だ。とても半身不随で長らく横たわったままとは思えない。その場面で、僕は一気に醒めてしまった。
反感を買うのを承知で書こう。悲劇が高級であるなんて間違いだ。悲劇こそが尊いわけではない。悲劇を描くなら、それは「必然性のある悲劇」ではなくてはならない、と思う。もし、この映画が「ありふれたサクセスストーリー」として終わったら、きっと僕には大好きな作品となったはずだ。いや、世界チャンピオンになったりしなくてもいい。二度とボクシングができない身体になったという結末でもいい。どういう形であれ、最後にマギーが笑顔を見せて終わるような映画であれば、僕は清々しい気分で映画館を後にできただろう。
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