無二斎のなんでもあり

自分の体調とECOや省エネなど思いつくまま新しい時代を探るつもりで自分なりの考えをつづる。

電子黒板

2019-02-15 01:07:12 | Weblog
電子黒板にもさまざまあるがこれについても落合氏は「導入」する事で[IT革命は終わる」と記述している。電子黒板の設置がIT化の目的化してしまって全く意味不明の現象が出現している。ハードの進歩に「人」が全然ついて行っていない。ハードやソフトはそれなりに進化していてもそれを本来の意味で活用する動きが全くなされていない。私自身は既に現役を離れた身なのでその活用の実態について具体的な的な利用状況を知るすべはないが恐らくはパワーポイントの上にメモを上書きする程度のことしかできていないのではないかと想像している。またこれとはま反対の話を聞いたことがある。ある業界の工場の現場ではNECの98型の中古パソコンが人気があるという。8インチのシート型フロッピーデスクも健在だという。
数十年前に大規模なラインを構築し98シリーズでシステムを構築したため現在の新しいものに置き換えるには膨大な予算と時間がかかるためだましだまし運用しているとのことである。そのため98シリーズの部品や8インチのフロッピーは必需品だそうである。このようなハードとソフトのアンバランスは一企業の失敗と片付けていいのであろうか?失われた20年の間に数多くのミスマッチと言える状況が放置されたままとなりこれもまた目に見えない負債となって日本経済の重しになっていると考えられる。
私はこれも一つのテクノロジーデバイドと考えている。
要するに落合氏の「日本進化論」の中には一つの事例として取り上げられているだけのことだがそれはあくまでも氷山の一角でありポリテックの問題しかり、テクノロジーデバイドの問題しかり現在の日本の生産性の落ち込みは産業界を含めて国全体のテクノロジーに対しての軽視が招いたものであろう。
但し、それら投入すべき人材や資源はゲーム業界などの人畜無害?の分野を生み出し最近ではゲーマーと言う信じられない職業が成り立つまでに一つの成果を?あげている。
日本の生産性の落ち込みはある側面から容易に推測できたのである。

気になっていた人その2

2019-02-14 15:40:44 | Weblog
気になっていた人落合氏の続きである。BLOGなどと言うものは昼にあまり書いたことがない。昨日分を読み返してみると実に稚拙で恥ずかしくなるが思いつくままに書いている事がはっきりしすぎである。
もう少し何とかしたい。もっとも昼に書いても同じようなものかもしれないが新鮮ではある。さて日本進化論ではテクノロジーデバイドと言う記述が出てくるが私も以前から気にしていた。デジタルデプトとしてみたが意味は少し違う。テクノロジーデバイドというのは技術的な格差でありデプトはそれにより生じる負債のことである(損失)。テニスで言えばラケットとボールというハードが同じであってもプレーヤーによってそのゲームは大きく異なる。一方では観客という顧客を集め経済活動が発生しているのであるが素人のテニスではそうはならない。いやコート代など費用が発生している。一般の産業界いや政財界においても同じ様なことが大いにいえるのではないか?デジタルデバイドによる経済的な損失。私は以前からこのことが気になってしようがない。
国語と同じように情報処理についても子供の時からキーボードをマスターさせCPUと話をする(会話する)手段のレベルを一定以上につけておくべきであると考えている。CPUとの間のハードルをできるだけ下げておくことがこれからはますます必要になる。最近ではスマホが当たり前になり若い人は実に驚異的に操作しているがそれでよいのである。ゲームコントローラも同様である。少しでもテクノロジーにアタッチするハードルを各人が意識して下げることが必須項目となってくる。
落合氏が指摘しているように政治家がFAXで参加者を募り講演会と称して演説に回ることも必要ではある。しかしながらBLOGやホームページをもっともっと有効に使い自らの主義主張や政策を世界に公開し必要な資料(法令を含む)にはリンクを張りそれこそNET上でチャット形式で公開討論会を行えば世の中少しはましになるのではないだろうか?国会中継で答える立場にないとかコメントは控えるなどと無駄な時間を費やすこともなくなるのではと考えているのは私一人ではあるまい。
その上で該当演説や討論会などを顔を合わせての場を作ればより具体的で深堀出来る議論が尽くされるであろうし本来そうあるべきだと考える。この国の抱える課題は個々においてそれぞれがより複雑でより深刻になっているのだと考えている。
そのうちテレビでは今どのドメインで誰と誰が何について議論しているなどと言う画面が映されるだけになるかもしれない。いずれにせよ日本人(?だけではない)頑張れである。

気になっていた人

2019-02-13 00:25:08 | Weblog
気になっていた人の著作を見つけた。
落合陽一氏である。僕自身の考えと似ている点があると思い購入してみた。
読んでみた。痛快である。出だしから議会政治の場所でパソコンを持ち込んでいないのが
日本だけであるという記事に大いに共感する。政治の世界にテクノロジーを持ち込む。
至極当たり前の事が日本という国では行われていない!互いの上げ足を取ることだけに時間を費やし
具体的問題の議論すら拒否しているようにしか見えない。最近の突き押し相撲のようにがっぷりと
四つに組もうとしない。
逆に相撲界が議会の真似をしているのではないかと思いたくなる。
話はポリテックであった。PoliticsとTechnologyを組み合わせた造語であると言う。
僕はこれは単にPoliticsとTechnologyだけではなく実社会とTchnologyであると考える。
今や日本では億を超えるPC(パーソナルコンピューター)が出回っていると思う。
正確な数を把握する気もないが官公庁や企業向けに膨大な端末機器が稼働している。
20年ほど前は割と気楽に使えたものが今やセキュリティの確率なしには使用できない状態に陥っている。ある意味予想されていたことではあるが現状の使いにくさと言ったら噴飯ものである。それはさておきこの膨大な数のPCが実はワープロ以上の使い方しかできていないのが
現実であるということだ。2年ほど前あるお役所の下部組織で仕事をさせてもらったことがあるが与えられたものはパッケージソフトで作られたシステムというお化けに使われることが
仕事になっている。お役所で決められた分類項目に従い情報を入力、整理するだけの仕事である。そのために数台の端末が用意されシステム以外の事は必要ないのである。
いや実際の仕事ではシステムでは作成できない情報を別途excelなどで整理して利用するのである。
お粗末なことにそこではexcelを普通に使うことすら出来ない。というか大半がその能力を持たないのである。お役所であるからもう少しましな使い方をしているかと思っていたらあら吃驚使えない人のほうが多いのである。経験者でも以前の部署でも同じであってそこにはそこ用にシステムが組まれていて自分でワードやexcelを使う必要など無いのだそうだ。
これは酷い負債である。Dijital debt(デジタルの負債)である。面白いことにできる人
(もっともそのような人はお役人にはなっていないかごく少数であろうが)は自分の文書を作成したとしてもお役所独特の様式というものに縛られて自分の発想は様式の枠外に書くしかなくなっているのである。膨大な損失である。
私がいた部署がたまたまそのような仕組みであったのかもしれないがすべての官庁、民間企業を考えるとき、このdijital debtは計算不可能なくらいのものになっており現在日本の負債の大半を占めているのではないかと思われる。
おそらく初期の段階でPCを各個人にマスターさせるには相当の費用と労力を必要としただろう。
そこでソフト屋さんの出番が来て法外な価格のSOFT費用をかけてシステムを開発していた。
日本のことであるからLAPTOPなど触ったことのない人が今後もAIを十分に理解せぬまま手前勝手なものに使うことになりここでもdebtが発生する。
負のスパイラルなどというものでは無い!!
全国民が(私を含め)もっとPCの活用を積極的に行い持てる資産(PC内にある)を活用して本来の
仕事をするべきである。幸いスマホの登場で個人の発信は極めてハードルが低くなった。
同様にPCについてもより安全で活用できる機械として見直すべきである。
振り返って考えてほしいのである貴方は今日自分の端末で何をしたか、何をさせられたのか?
それは現実な即した生のデーターをよりよく反映しているであろうか??
落合陽一さんに感化され取り合えず概要を記述した。本日はここまで

主題をどこに求めるか

2018-11-20 02:42:06 | Weblog
世界の知力が落ちている。もの事を深く考えることがなくなった。
これは昭和40年頃から所謂知識人の間で叫ばれていたことであった。
折しも高度成長の最中で庶民が豊かさを実感しだし物が溢れかえる少し前のことである。
経済は限りなく右肩上がりでインフラはどんどん整備され便利な生活を求めて
収入以上に物を買う問い購買意欲が庶民の間に定着しマイホームや車を所有することが
人生の大きな目標でありこれを達成することが人の価値を決定づけることとなってきた。
同時にバブルが始まりお金を借りることで、それを消費することで生きる意味を見出すことに
誰も迷いを感じなくなって行った。そのために企業活動はさらなる利益追求を行い、企業を大きくする
ことがもっとも正しいこととされ高給を得ることが絶対に正しいこととなっていった。
経済原則が前面に押し出されてきて富を得ることが美徳であり正しいこととされ
誰も疑いを挟まなくなった!
この時知力という言葉に代弁される思索であり考えること、生きる意味の本質、人間の本来あるべき姿は
変質してしまった。知恵を失ったのである。経済原則こそが人間の価値であり、人が生きる意味が
まったくもって薄っぺらなものに置き換わってしまったのである。
ある意味生きるために最も必要なものを人は忘れ去ってしまったのである。
先人に学び思索を重ねより深い生きるという意味を、心の豊かさという最も生きる中で必要とされる
暖かで大事なものが薄っぺらな紙幣や経済データに圧倒され見失われている。
もっとも、他方で科学の進歩で人間の学べる知識や利用できる仕組みや製品は誰でも手にすることが
可能となりつつある。今こそそれらを有効に活用し本当の知力を発揮する時代に来ている。

毎日

2018-04-27 23:19:53 | Weblog
どうもブログというのは毎日書くほうが良い?(アクセスを確保できる?)
らしい・・・・
別にいいねが欲しい訳でもないが自分なりに発信したいことをその時々で
書いておきたいだけである。しかしアクセス数が出る以上一つの目標みたいになってしまう!
てなわけで特に書くこともないのだがPCを立ち上げkey boardを叩いてみる。
何も出てこない。
そうだ、プチお知らせで昔から空の写真が好きで10年くらい前は良く
シャッターが1秒ぐらいかかるデジカメで空の写真を撮っていた。
FILEが見つかったので一日一枚づつあげてみようと思っている!!
まずは何が写っているか良く解らないもの一枚!
そのうちお勧めを上げていこうと思う。
明日から連休の方も多いと思う。素敵なGW(古いのかな?)を!!
無理に書くのは結構しんどい。


思い付き

2018-04-24 23:19:44 | Weblog
先ほど飲み屋の帰りに思いついてしまったので忘れないうちに書いておこうと思います。
今の憲法が出来た時にもっとも重きをおかれたのは何だったのかと言う事です。
平和憲法、交戦権を持たないと言う事も大事でしょうが実は
『象徴天皇』『主権在民』が一番の意図だったのではないでしょうか?
平和をうたわない憲法は無いと思いますし至極当然のことであると思います!!
それよりも先の大戦の教訓として日本人が学んだことが、多くのアジア人を犠牲にして
ようやく気付いたことが国民主権であり自分たち自身が『平和』を希求し誰におもねることなく
一人一人が自立することの大事さだったのではないでしょうか?
それを見失った今『忖度』が横行し果ては官僚による『文書の改ざん』が情けないことに
公然と言われているのではないでしょうか?
このページはエネルギーについてを主題としていますが元はあの戦争がいつの間にか始められ
その理由の一つがボルネオ・スマトラの石油を求めてのことであったと言う事です。
むやみやたらに戦争をしていた訳ではないのです!ABCD包囲網という戦術に囲い込まれ
エネルギーを求めて必死だったのです。他の理由も勿論多々あったのでしょう。
しかしながらもっとも確かなことは昔から資源に乏しい日本という国が資源を、エネルギーを求めて
やむを得ず始めてしまったことだと私は解釈しています。
主旨がズレてしまいましたが、元に戻ってだからこそ今主権在民と言う事を
思い出すいい機会だはないかと思います。5月3日をまもなく迎えますが
そんな視点からも皆さん現状を考えてみましょう!!!酔っ払いがまた偉そうに言ってしまいました。
おやすみなさい!

お気に入りの喫茶店

2018-04-21 07:06:26 | Weblog
一息入れて、喫茶店のお話。
ちょっと遠いのだけれども倉式コーヒーと言うのがある。
お店構えがちょっとお洒落で駐車場もついている!何よりしっかり分煙されているので喫煙しながら
珈琲を満喫できるのだ!それもしっかりとした珈琲を!!!
これがまた尋常ではない私好みの濃さで香りもしっかりとあり(当たり前だが)
スタバ、ドトールにはない(失礼)豊かな気分を味合わせてくれるのである。
店の作りがしっかりしており道路沿いにもかかわらず騒音や香りを邪魔するものもない。
天井が高くスペース的にも非常にゆったりとしているので落ち着く!!
関東に続々とOPENしているようである。
尤も行ってみないと同じような店構えかどうかは分からないがお勧めであるのは間違いない。


もともとこのブログを始めたのはエネルギ問題について・・・

2018-04-21 05:20:00 | Weblog
もともとこのブログを始めたのはエネルギ問題について調べて考えて提言したいと考えたからだが、
昨今のドタバタで話題が完全にそれてしまった!
そもそも綴りたかったのは、エネルギ問題とは過去の戦争の歴史であり戦いの歴史だということである。
食糧問題もエネルギ問題の一部として捉えることができる。逆の言い方をすればエネルギーがふんだん
に有れば食料の生産は可能である。近い将来人類は恒久の平和を勝ち取り種として満ち足りた
エネルギーで万人それぞれが飢えることなく個々にその能力を発揮できる世界が来ると
私は信じている。
夢のような話と笑う人がいるであろう。でも考えてみて欲しい、昔から衣食住というように
十分なエネルギーさえあれば人類が会得した技術でそれらの項目は満たされるのだ!知恵さえあれば
今の時代は十分に良き時代であり、既にある程度十分なエネルギーを産み出せている。
尤もここで、エネルギーコストと言う現実をしっかりと認識してないと論点はそれてしまう。1W当たりの
コストは電気代に良く例えられるがまだまだこれを低くすることは可能だと思われる。現在おそらく世界中で
エネルギーコストは平等なのである。富める者も貧しいものも平等にそれを要求される。
経済学者でこのような論点を持った人はいないのであろうか?数字だけを見て人を見ない経済が
あるのだろうか?
日本でも一応の料金体系はありエネルギを利用している量により負担は調整されているように見える。
本当にそうであろうか??もっともっと考える余地があるのではないかと思う。電力各社や石油業界、
ガス業界などの大手、いや中小のガス会社を含め真剣に検討して欲しい。
具体的に言うと例えば生活保護受給家庭や低所得者についてはガスを使えば儲かる仕組みを
組み込むのである。エネルギーを使えば使うほど儲かる仕組みである。貧しい家庭、子供たちに
それを適用するのである。
今、世界的に見て日本は幸福度がかなり低いとされ、特に福祉や教育の点で欧州諸国に
比べて大幅に劣っているとされている。おそらく現実であろう。森かけ問題は教育の場で行われている。
情けない事ではある。また論点がズレてしまった!!!!
前述のようにエネルギー(もちろん大量に廃棄されている残飯を含み)は満ち足りているのである。
配分の仕方が間違っているのである。経済の問題というより社会の仕組みつまりは政治の、行政の問題
であろう。
それを良しとしているのは現実を見ない富裕層といわれる一部の人々である。残念ながら彼らに出来る事が
有ることを彼らは気づこうとしない!!現在も貧困は存在し飢えている(ひもじい思いをしている)子供たちが
居るのが現実だ!言葉でいうと「知足下行」となるのか??
あるのに足らない世界?
取敢えずは自分の思いの一つである。
これが解決すれば人類はもう一つ上のステージに進めるのではと思う。おそらくは欧州が先にそこに到達しそう
ではあるが。エストニアなんぞは完全にコストフリーの経済になろうとしているようである。ニッポン頑張れである!!
2018.4.21am7:00




政治のことはあんまり・・・・

2018-04-16 01:31:53 | Weblog
ブログで政治のことを取り上げているものは極めて少ないと思うのだがここへ来て内閣支持率が26%とか不支持が50%越えとかの話が出てくると
ちょっと待ってという感じになる。森かけ問題や日報の話は昨年から延々と国会で審議されてきたのではないか?今ですか?という感じは否めない。
誰かが言っていたがこの一年間ほど国民は嘘を聞かされてきたわけで尚且つ捻じ曲げられた行政による不当な事業が横行していることが分かったのである。
確か今年の一月ごろは内閣支持率は50%ほどだったと思うが20%以上の人がNOと言い出したのだ!!この間首相と夫人は外遊し各地で国賓としてもてなしを受け日本の代表として交流し支援の申し出をしたり、日本製品の売り込みを率先して行っている!!先方では随分と期待していると思うが大丈夫であろうか???先方の国にはどのように映っているのだろう?心配ではある。なんか退陣の日程が検討されているとの情報も出てきているようであるが米朝の歴史的な会談を前に日本は実にお粗末な国の姿を晒すことになってしまった。情けないことである。これだけ行政が停滞し官僚が一部の政治家の思惑だけで
行政を執行しているとなるとオリンピックの開催も間に合わなくなるのではと余計な心配をしてしまう。オリンピックの各競技場の計画にも特定の政治家の意図が反映されているのではと勘繰りたくなる。税金を泥棒に預けているような気にさえなる。もちろんすべての政治家や官僚がそうではないだろう!!一部の勘違いしている人達の話であると考えたいがどこまでどうなのですか???だれか実態を調べてください。

街の様子

2018-04-12 23:59:21 | Weblog
今日は久しぶりに繫華街に出た。といっても地下鉄の乗換駅とそれにつながる地下の商店街であるが・・・
その様変わりに仰天、絶句!なんと通路を歩いているのは、自分たちのグループ以外日本人と思しき人間が皆無!!
聞こえてくる言葉も何語かも判断がつかない!!えらいこっちゃ!
喫茶店に入るとそこだけはなんとか日本人が多数派でほっと一息。以前からそのような状況は見ていたがもう少し日本人がいたような
気がしていたがそんなものではない!
観光客の面々は殆どがスマホを片手に歩いたり立ち止まったり。大型のキャリーバッグを引きずりながら
急にユーターンしてみたり!
オリンピックの時東京はもっと凄い事になるのでしょうな???
インフォーメーションセンターを作って誘導するなり何らかの策が急務と思った次第です!

文書管理?これほど腹の立つ文書管理は知らない

2018-04-11 07:51:06 | Weblog
政府とか国会は何をしているのであろうか???
今年に入ってからずーっと「文書があるの無いの」「改ざんがどうのこうの」
今度は「総理案件」とかが出てきた!!小学校では無いのであるからもう少しましな話はできないのか?
悪いことをした人は謝り審判を受けるべきであり良い悪いがわからないのであれば最低でも自分の行ったことを正直に述べるべきである。自分の持っている影響力を含めて何をやったのか言ってみなさいである。稀代の詐欺師に騙されたのなら出てきてそう言えばいい!騙されたのは私です!被害者ですと!
現状のインタービューや報道の場面を見る限りでは悪いことをした人が「記憶にございませんが」とか
「訴追の恐れがあるので言えないとか」言い逃れ時間稼ぎをしているようにしか見えない!!!
文書管理以前の話である。
この間国家としての動きは全く取れていないに等しい!大多数の日本人は洋の東西を問わず必死に懸命に働いているのである。汗をかいているのである。恥を知れ!!!!!

あなたと「意識」と「在ること」について

2016-04-01 20:38:16 | Weblog
ブログをはじめようと思ったらソフトが試用期間を過ぎていて使えない。
笑ってしまう。取り敢えず第1回である。

これは神の啓示に他ならないのだ。
さて、何を書くか啓示を与えてくれた神について書いてみよう。
神とは正しく全宇宙すべてなのである。
貴方自身を含めてすべてが神なのである。
そして、あなたはあなたを構成する細胞の中の電気化学的に作られる
電気信号で構成された記憶と知識の限りない集積おそらくDNAを含めて
それらから成る「意識」というものなのだ。
「意識」がなければ貴方はただの物体でしかない。
そしてその意識の依って立つところは地球という星をはじめとして宇宙の全てである。
一寸論理の飛躍があるが厄介なことにたいていの場合これを意識することなく
「自分が正しい」と思ってしまうことにある。
「正しい」と「正しくない(間違っている)」を「自分」と「自分と違う」で線を引くのである。
で再び厄介なことに「自分」がとある宗教を信仰している場合「自分」の依って立つところ
すなわち「神」になるのである。
この「神」が偶像崇拝や多神教等で温和なものであればまだいいが
これが戒律や或いは個別崇拝を課している場合に他者との摩擦が生じる。
それが現在の戦いを産んでいる。

さて前段に戻り意識が宇宙に由来しているとすれば全てのものは
在るべくして在るのだからそれをまず導かなければいけない。これをしっかりと納得すれば
戦いは終わることが出来る。というより生きるための戦いに(他者を倒すことの無い)
向かうことが出来る
これから綴って行く無限のエネルギーを求める戦いに。


約84kg


新しい技術の可能性

2015-12-17 23:53:29 | Weblog
今日は素敵な記事を見つけた。朝日新聞で15日に載ったもののようである。
NETで発見!内容は東大と名工大のグループがセシウムを取り出すことのできる
細胞膜のポンプを人工的に作り出すことに成功したというものである。
記事は(月舘彩子)さんの名前で出ている。無断借用である。
昨日は大企業の利益追求という表現を使ったが、上記の例も実はメカニズムとして
同じことなのである。このポンプは光で動くという記述がされているが
結局はコスト的に採算が合うのかというところに行き着く。
残念ながらそうなるのである。現在でもゼオライト吸着とかいろいろな方法で
セシウムの除去は行われている。技術の宿命として最終的にそれがその時点での
経済原則に馴染むかが問われてしまうのである。
それにしても画期的な成果であり汎用技術でそれができるのであればそれに
越したことは無い。世界的に見てもまだまだ原子力は特殊なエネルギー源であり
制御しづらい技術である。
放射線源であるセシウムを効率よく分離することができれば日本は核技術の面からも
世界の先頭に立てる可能性が出てくる。昨日は悲観的な書き方になってしまったが
実は自分自身の考えは逆である。というか何とかなるのである。
何とかしていくのである。
それは、人類全体として。個々人がどうなるのかは全くもって判らないし
不安要素(経済では恐怖指数などという数字がある?)は拡大していると思うのだが
でも、多分無責任に言えば何とかなっていくのである。
知り合いに数多くの研究者が居るが彼らはそれこそとんでもないことに
チャレンジしている。現在も常温核融合に取り組んでいる人間が居るのである。
しかも成果は徐々に出ているという。
愉快な話である。前提として一人の人間が一生を全うするのに必要なエネルギーを
早く持続的に確保できるかが命題である。それが可能となった時に人類は
次のステップへと向かうことができるのであろう。
技術の可能性を信じて
南無阿弥陀仏(今日は意図的に)
おやすみなさい

12月

2015-12-16 23:04:10 | Weblog
なんで12月なのだ?いつの間に?
歳をとると月日が本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。
それだけ緊張感の無い生活を送っている所以でもあるが・・・
今日久しぶりにログインして以前のブログを見た。実に読みづらい!!
具体性が無いのである。実はそのように作文しているのだから当然といえば当然の結果
これでは読んでいる人がたまらん!!
かといって流行のように猫が好きなわけでもなく何かに造詣が深いわけでもない・・・
強いて言うならこのブログに代表されるようなNETの世界であろうか?
てなわけで
もはやNET(スマホ?)無しの生活が成り立たないほど無責任に広がってしまったバーチャルの世界。経済すら自動売買のコンピューター同士の戦いである。
加えて大都市では殆ど死角が無いくらいに防犯カメラが設置され何時何処を歩いていたかは
すでに記録されていると思っていたほうが良い。
また、ご丁寧にこの国では一人ひとりに番号が付いた。プライバシーも情緒もへったくれもない
なんともはや、味わい深い??世界になった。その実、
全てが企業集団の利益確保のため或いは維持存続するための、言葉を変えればグローバルな大企業という誰でもない、気が付けば、もう人がどうした、こうしたではないではない、「今」を
維持するために人が存在することを要求される時代になっている。
形を変えたターミネーターの世界である。
人は番号で識別されどのような趣向であるかをデータとして分析され図られたように購買意欲を出し、或いは生活習慣を作り上げられ、少々首を傾げていようが満員電車に乗り込んで決められた時間に仕事と思い込んでいるせいぜいワードかエクセルの類でキーボードを叩き、あるいはメッセンジャーでメイルを飛ばし仕事をしたと思い込む。
実はこれは望まれた現実なのだ。居ながらにして世界の情報を把握し極めて短時間に効率よく
(実は不必要かもしれないエネルギーを使い、高度でコストの高いインフラを駆使して尚且つ、無駄な税金で官僚たちに作り上げられたルールの中で業界の有力者の意向に沿うように)労働し
適正な報酬を受け取って暮らしている。生活が成り立たない地域の人や、落ちこぼれた
人たちは難民や或いは目立たないホームレスとなり貧困にあえぎ将来の不安におびえながら
その日暮らしに近い毎日を送っている。
後は心の持ちようと、出来上がってしまったインフラたちがせいぜい破綻しないことを
祈るのみである。
南無阿弥陀仏
変なブログになってしまった。

激変

2015-07-24 00:03:24 | Weblog
しばらくお休みしている間に世の中が激変していることに気づかされた。
また、なんとなく解っている積りであった事が「実は」と言う理解を深めたことも
多々あった。例によって思いつくまま
まず、安保法制
憲法9条と言うのは「交戦権の放棄」と言う認識で、実は自衛隊と言うもの
自体がそもそも説明するときに大変だなあと思っていた。(例えば孫とか子供に
説明しようとすると・・)今回いろいろテレビを見ていてやっと個別的自衛権
と言うものがあって、日本が攻撃されたときには国民を守るために自衛隊は
戦闘できるのだと言う解釈が成り立つと言うこと。
かみさんに説明したところ納得してくれたので多分いいのではないかと思う。
それから、集団的自衛権は協定や同盟を結んでいる他国に協力できる
と言うことらしいが個人的には国連軍と言うのがあるからそれに参加していく
ことで良しとできないかなあと言うこと。
次に
科学技術の進歩が凄くて今の工作技術(製造技術)で絶対に出来ないものが
3Dプリンターで作ることが出来るらしい。主に病気で亡くなる場合だったと
思うが以前は検出出来なかった血液中の成分で関連性の無い4種類の成分
を分析することで寿命がある程度わかるようになっているらしい。
ITの世界は0と1のデータで成り立っているが、このバーチャルの世界が
実体化出切る様になりつつあるらしい。
などなど、もう吃驚しているしかない世界になっている。
若い人
割と若い人と喋る機会が増えたのであるが、年寄りが言うところの帰属意識
が希薄で何に関しても執着しない場合が多い。特に国家或いは会社と言うもの
については極端にその意味を亡くしている。たまたま日本に生まれたまたま
そこで働いていると言う感覚のようである。しかしながら自分が日本と言う国に
生まれて極めて恵まれた環境に居ることはしっかり納得しており同時に
今の企業の姿勢を敏感に察知しており、「国のため」「会社のため」というのは
ナンセンスであると殆んど本気で考えている。
但し、決してこれらのことを考えていない訳ではない。結構真剣に考えて生きて
いくために勉強して努力した上で上記のように解釈していることが多くこれまた
吃驚させられる。
その点昔はテレビを見る行為自体が娯楽であり、また何を見ても結構勉強に
なったり楽しかったりしたので自分の考え方の半分ぐらいはマスコミのおかげ
だと思っているが、今のマスコミはそういう意味では極めて薄っぺらになって
いると思う。まだまだ沢山ありますがこの辺で・・・・
おやすみなさい。
2015.07.23