無二斎のなんでもあり

自分の体調とECOや省エネなど思いつくまま新しい時代を探るつもりで自分なりの考えをつづる。

新しい技術の可能性

2015-12-17 23:53:29 | Weblog
今日は素敵な記事を見つけた。朝日新聞で15日に載ったもののようである。
NETで発見!内容は東大と名工大のグループがセシウムを取り出すことのできる
細胞膜のポンプを人工的に作り出すことに成功したというものである。
記事は(月舘彩子)さんの名前で出ている。無断借用である。
昨日は大企業の利益追求という表現を使ったが、上記の例も実はメカニズムとして
同じことなのである。このポンプは光で動くという記述がされているが
結局はコスト的に採算が合うのかというところに行き着く。
残念ながらそうなるのである。現在でもゼオライト吸着とかいろいろな方法で
セシウムの除去は行われている。技術の宿命として最終的にそれがその時点での
経済原則に馴染むかが問われてしまうのである。
それにしても画期的な成果であり汎用技術でそれができるのであればそれに
越したことは無い。世界的に見てもまだまだ原子力は特殊なエネルギー源であり
制御しづらい技術である。
放射線源であるセシウムを効率よく分離することができれば日本は核技術の面からも
世界の先頭に立てる可能性が出てくる。昨日は悲観的な書き方になってしまったが
実は自分自身の考えは逆である。というか何とかなるのである。
何とかしていくのである。
それは、人類全体として。個々人がどうなるのかは全くもって判らないし
不安要素(経済では恐怖指数などという数字がある?)は拡大していると思うのだが
でも、多分無責任に言えば何とかなっていくのである。
知り合いに数多くの研究者が居るが彼らはそれこそとんでもないことに
チャレンジしている。現在も常温核融合に取り組んでいる人間が居るのである。
しかも成果は徐々に出ているという。
愉快な話である。前提として一人の人間が一生を全うするのに必要なエネルギーを
早く持続的に確保できるかが命題である。それが可能となった時に人類は
次のステップへと向かうことができるのであろう。
技術の可能性を信じて
南無阿弥陀仏(今日は意図的に)
おやすみなさい

12月

2015-12-16 23:04:10 | Weblog
なんで12月なのだ?いつの間に?
歳をとると月日が本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。
それだけ緊張感の無い生活を送っている所以でもあるが・・・
今日久しぶりにログインして以前のブログを見た。実に読みづらい!!
具体性が無いのである。実はそのように作文しているのだから当然といえば当然の結果
これでは読んでいる人がたまらん!!
かといって流行のように猫が好きなわけでもなく何かに造詣が深いわけでもない・・・
強いて言うならこのブログに代表されるようなNETの世界であろうか?
てなわけで
もはやNET(スマホ?)無しの生活が成り立たないほど無責任に広がってしまったバーチャルの世界。経済すら自動売買のコンピューター同士の戦いである。
加えて大都市では殆ど死角が無いくらいに防犯カメラが設置され何時何処を歩いていたかは
すでに記録されていると思っていたほうが良い。
また、ご丁寧にこの国では一人ひとりに番号が付いた。プライバシーも情緒もへったくれもない
なんともはや、味わい深い??世界になった。その実、
全てが企業集団の利益確保のため或いは維持存続するための、言葉を変えればグローバルな大企業という誰でもない、気が付けば、もう人がどうした、こうしたではないではない、「今」を
維持するために人が存在することを要求される時代になっている。
形を変えたターミネーターの世界である。
人は番号で識別されどのような趣向であるかをデータとして分析され図られたように購買意欲を出し、或いは生活習慣を作り上げられ、少々首を傾げていようが満員電車に乗り込んで決められた時間に仕事と思い込んでいるせいぜいワードかエクセルの類でキーボードを叩き、あるいはメッセンジャーでメイルを飛ばし仕事をしたと思い込む。
実はこれは望まれた現実なのだ。居ながらにして世界の情報を把握し極めて短時間に効率よく
(実は不必要かもしれないエネルギーを使い、高度でコストの高いインフラを駆使して尚且つ、無駄な税金で官僚たちに作り上げられたルールの中で業界の有力者の意向に沿うように)労働し
適正な報酬を受け取って暮らしている。生活が成り立たない地域の人や、落ちこぼれた
人たちは難民や或いは目立たないホームレスとなり貧困にあえぎ将来の不安におびえながら
その日暮らしに近い毎日を送っている。
後は心の持ちようと、出来上がってしまったインフラたちがせいぜい破綻しないことを
祈るのみである。
南無阿弥陀仏
変なブログになってしまった。