昨日は小さな人の幼稚園の顔合わせだった。
このところ、気が緩むとぼんやりして
しまうのだけれど、顔合わせもやっぱり
ぼんやり過ぎてしまった。
緊張するよりは良いんじゃないかな。
小さな人は今、気が向くとプレ幼稚園に
通っている。この頃はずっと気が向かずお休み中。
顔合わせの時も、園長先生と牧師の方を
前に「あの、ずっと、お休みしてたんだよね~」
と発言していた。
園長先生も牧師の方も、
「来たい時においで、来たくなかったら無理に
来ないでも大丈夫だからね」と言ってくださり
小さな人は、随分と心が軽くなった様だった。
帰宅後「来たい時だけ来ていいって~」と
小さな人は嬉しそう。
良かった。
私が幼稚園に望むもの。
それはとにかく「楽しい」ということ。
願わくば園庭は土であって欲しい。
園舎は木などの自然な素材で作られていて欲しい。
小さな人の幼稚園は、園舎が木とレンガで作られて
いる。滑り台などの遊具も木。
今は入り口のところにザクロの実がたわわに
実っている。
心にすっと馴染む幼稚園だ。
小さな人の心にも、春からのここでの生活が
ゆっくりとでも馴染むものでありますように。
ところで、この頃小さな人と私の議題は
「セイウチとトドとオットセイの鳴き声の違い」
についてだ。
夏に実家の近くの「北洋資料館」へ行って以来、
(2011.8.15日記参照)小さな人の中でトドや
セイウチが身近な存在になっている様子。
そうして
「セイウチは海のライオンと呼ばれているんだよ」
と北洋資料館で聴いたアナウンスを得意げに
伝えてくれる。
と「セイウチは『オゥオゥオゥ』じゃないの」
ち「じゃあトドは」
と「トドは「ヴォウゥヴォウゥ』って感じだよ」
ち「じゃあオットセイは」
と「『オッオッオッ』だよ、きっと」
と答えている。
実際はどうなのだろうか。
今晩の夕食。
何を食べたいか思いつかない。
スーパーマーケットをうろうろと歩いてみた
けれど、さっぱり。
このところ、気が緩むとぼんやりして
しまうのだけれど、顔合わせもやっぱり
ぼんやり過ぎてしまった。
緊張するよりは良いんじゃないかな。
小さな人は今、気が向くとプレ幼稚園に
通っている。この頃はずっと気が向かずお休み中。
顔合わせの時も、園長先生と牧師の方を
前に「あの、ずっと、お休みしてたんだよね~」
と発言していた。
園長先生も牧師の方も、
「来たい時においで、来たくなかったら無理に
来ないでも大丈夫だからね」と言ってくださり
小さな人は、随分と心が軽くなった様だった。
帰宅後「来たい時だけ来ていいって~」と
小さな人は嬉しそう。
良かった。
私が幼稚園に望むもの。
それはとにかく「楽しい」ということ。
願わくば園庭は土であって欲しい。
園舎は木などの自然な素材で作られていて欲しい。
小さな人の幼稚園は、園舎が木とレンガで作られて
いる。滑り台などの遊具も木。
今は入り口のところにザクロの実がたわわに
実っている。
心にすっと馴染む幼稚園だ。
小さな人の心にも、春からのここでの生活が
ゆっくりとでも馴染むものでありますように。
ところで、この頃小さな人と私の議題は
「セイウチとトドとオットセイの鳴き声の違い」
についてだ。
夏に実家の近くの「北洋資料館」へ行って以来、
(2011.8.15日記参照)小さな人の中でトドや
セイウチが身近な存在になっている様子。
そうして
「セイウチは海のライオンと呼ばれているんだよ」
と北洋資料館で聴いたアナウンスを得意げに
伝えてくれる。
と「セイウチは『オゥオゥオゥ』じゃないの」
ち「じゃあトドは」
と「トドは「ヴォウゥヴォウゥ』って感じだよ」
ち「じゃあオットセイは」
と「『オッオッオッ』だよ、きっと」
と答えている。
実際はどうなのだろうか。
今晩の夕食。
何を食べたいか思いつかない。
スーパーマーケットをうろうろと歩いてみた
けれど、さっぱり。