とんもの日記

いつか どこかの 本当のはなし

ついているような、いないような、やっぱり

2011-09-30 22:48:30 | 日々のこと
今日は久しぶりの遠出の日。
小さな人とたくあん男と。
朝から張り切って支度。
自然散策路のある場所へ向かって
車を走らせた。

と、思ったら道は何処もかしこも
大渋滞。おまけに高速道路の主要な場所
あちこちで事故。
オーマイガッド。
下道を走ったり、迂回したり手を尽くして
何とか目的地へ向かおうとしたが、細道
すら車でいっぱい。とうとう力尽きる。

仕方が無いので、予定変更。
ホテルでランチをしてから、ボーリングを
する事に。小さな人、ボーリング初体験。
私も15年振りくらい。
小さな人は、ボーリングの玉を手で
「エイヤッ」と転がして、すぐにガータ。
投げて2秒ほどでガータ。
後はひたすらガータレーンをのろりのろりと
転がる玉。
何と言うか・・・悲しいくらい切なすぎる。

1ゲームが終わり、ガータ無しのレーンで再挑戦。
今度はピンがモロモロモロとエレガントに倒れて、
小さな人ははしゃいでいた。
それでも、最後の最後で玉がごろりと横へ流れて
ガータになる時があり、「えぇぇぇ、ガータかい」
と思わず何度かツッコミを入れてしまった。


それから、馴染みの公園へ。
小さな人と四ツ葉のクローバー探し。
しばらくしたら、ナント!見つかった。
おぉ。びっくり。本当に見つかった。
小さな人は大事にそれを手に持って、
他にシロツメクサなんかを摘んで、花束にしている。
さて、そろそろ帰ろうかな、と花束の中の四ツ葉を
確認したら、な、無い。
今日、二度目のオーマイガード。
泣きべその小さな人を励まして、たくあん男と私で
必死に探す。
もう無いかな、と諦めかけた頃、たくあん男が
クローバー畑の中に落ちている四ツ葉を見つけた。
おぉぉぉぉ。
ついているような、いないような、やっぱり
ついている日!
今度は無くさないように、しっかり紙に挿んで
家路につく。



小さな人は、今晩も「きのこ」を読んでいる。
図書館でもう何度借りたか分からないくらい、
気に入っている絵本。
「ささくれひとよたけ:~いちにちでおおきくなり
 つぎのひには もう とけている」
という箇所で「どうして次の日にはとけちゃうの」
と小さな人が尋ねた。
「うーん、どうしてか、分からないなぁ。どうして
 だと思う」と聞くと
「あのぉ、ゆきは ふったら とけるでしょ。あめは
 ふったら やむでしょ。それと おなじことだよ」
と小さな人はいかにももっともだ、という風に
答えた。

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いそがしいあさ ~ばばばあちゃんする

2011-09-29 16:20:40 | 日々のこと
小さな人の愛読本に「いそがしいよる」
という本がある。
さとうわきこさんがお書きになっている、
ばばばあちゃんシリーズの一冊。

そうして、時々小さな人が一言。
「ばばばあちゃんするんだ」。
「出たな」と私は思う。
「ばばばあちゃんする」とはつまり
「いそがしいよる」のストーリーと同じように
「家中の物を外に持ち出して、テントを張る」
という事。
実際は外へ持ち出す訳ではなく、自分の持ち物
を和室や、他の洋室へ一式移動させて、
布で覆ってテントのようにして過ごす。

今日も朝から、「ばばばあちゃんする日」
私が洗濯物を干す間、黙々と玩具や本、
ネストテーブルや揺り椅子や食卓椅子、
目覚まし時計やままごと道具、布団や枕を
どこかへ運び込んでいる。

「とんもぉーちょっときてー」と小さな人。
見ると、1.5帖ほどのキッチンスペースに
それらがすべてぎゅうぎゅうに収まっている。
テントは私のエプロンだった。
小さな人は大層満足げに、食卓椅子2脚を
繋げたベッドで、ごろりと仰向けになっている。
「いそがしいあさ」だった。


今日は長い長い散歩に出ていた。
久しぶりに歩いて散歩。
あちこち道草し放題で、気づくと3時間くらい
うろうろ。


新鮮なイカが実家より届いたので、
早速捌いて、今晩はお刺身とフライにする予定。


明日は少し遠出。
楽しみ。

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鮪の欲求 / ちきゅうのせいぶつ

2011-09-28 20:42:25 | 日々のこと
鮪の赤身。
生本鮪の赤身。
これがいますぐどうしても食べたい、
という欲求で心身がいっぱいになる時が
たまにある。

今日がそうだった。
カレーや鰻の好物を食べたい欲求の
比ではないほど強い衝動。

生本鮪の赤身が本当に好きなのだ。
冷凍なら、その他の鮪なら、食べなくても
いい。

今日は小さな人と図書館へ行った。
その方向には美味しい魚屋と総菜屋がある
ので、ちょうどお昼にあたる頃には、
いそいそとそちらへ足を伸ばす。

でも、今時期、お魚は正直どうなのだろう、か。
魚屋の前を通る度に、ぐっと我慢する日々。
魚屋さん、ごめんなさい、と思いつつ。

しかし、今日の欲求。
食べると決めたら、楽しく食べる事。
鉄火巻きを黙々と胃に収めた。
満たされた。

総菜屋では小松菜の炊き込みご飯と
鶏の唐揚げ葱ソースを買い求める。
こちらの総菜屋では、出し巻き卵と
鶏とキャベツのカツが美味しい。
それから日替わりの美味しいもの。
お麩と蓮根の胡麻和えは美味しかった
もののひとつ。


ところで、折り紙のこと。
一度マジメに取り組んでみると、とても面白い。
図を見て想像しながら、その通りに折ってゆく。
手元をはたと見ると、思いがけない折り方が
成されていて、おぉ、と静かに熱くなる。

今日は100円ショップで、「おもちゃおりがみ」
「たべものおりがみ」、それから
「紙ひこうきおりがみ」の本を選ぶ。
今日作った中では、腕時計がとても気に入った。
まだまだ折り紙経験は浅いけれど、それでも
「1枚で、簡単に、適度な大きさに仕上がる」
というのが良いと思う。
さらに「立体になる」ならば最高。
何枚も使って、しかも最後に糊付けするのは
何だか作っていて、腑に落ちない感じ。

腕時計はそのすべてが叶えられている。
嬉々として色違いの腕時計を4本作る。
小さな人は、金色の腕時計がお気に召して
「これ、ください」とさっそく腕にはめていた。

小さな人は、この間の「昆虫折り紙」に続き
「恐竜折り紙」を買い求めた。(2011.9.16日記参照)
小さな人、恐竜も大好きなのだ。
ステゴザウルスを折る事に。
私が作っている傍らで、小さな人が
「せいぜい わたしたちも ちきゅうの せいぶつさ」
と勇み立って何度も言っている。

静かになったと思ったら、プテラノドンを
自分なりに折っていた。
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折り紙も洗濯物もたたむ作業

2011-09-27 17:08:31 | 日々のこと
今日は週に一度、
小さな人の習い事の日。
習い事と言っても、皆で集まって
作ったり、歌ったり踊ったり、泳いだり
そうして手作りおやつをいただいた後、
絵本を読んで貰う、という会。

今日は特別な日。遠足だった。
けれど小さな人は咳がコンコンと
出続けていたので、泣く泣く欠席。

ベランダからちらりちらりと外を覗く。
薄曇りの空がだんだんと晴れ渡り
秋らしい日になってゆく。


私達はただひたすら家に居て
折り紙をしたり、テレビやDVDを観たり
絵本を片っ端から読んだりして過ごす。
朝、小さな人はある番組で
「シャツのたたみかた」をジッと視ていた。
夕方になって私がいつものように洗濯物を
取り込んでいると、小さな人が
「私が、たたむ」とめずらしく叫んだ。
見ていると、テレビで見たように
きちんと丁寧にたたんでいる。
「じょうずだね」と声をかけると
「あぁ、こうやるんだーっと思って」と
小さな人は目を丸くして頷いた。

それからカットソーのたたみ方、パンツの
たたみ方、ズボンのたたみ方を教えた。
小さな人は、次々にたたんでは横に並べる。
終わった時には洗濯物の橋が出来上がっていた。

小さな人は折り紙もいつのまにか器用に
折るようになっていたので、洗濯物をたたむ
事も案外好きなのかもしれない。

当たり前なのかもしれないけれど、
小さな人もすでに得意、不得意があるのだなぁ
と思う。片付けはまるで苦手な様子。
「なんでやらないの、ったくもう」と
頭の回路がそちらへ働く前に、
「不得意なんだな」と捉えてみると
とっ散らかったあちこちを見ても、
小さな人に少し寛容になれるかもしれないな
と思う。


ところで、DVDの事。
「ブルーナのおはなしえほん」シリーズは
本当に秀逸。中でも「かわいいミッフィー」は
どれも傑作。音楽も映像も。
何より、ナレーションの女の子の声が最高に
可愛らしい。私が小さな頃に見ていた記憶
そのまま。今観るとむしろ斬新なくらい。


さっき、お友達が「遠足のおやつよ」と
言って、手作りマドレーヌを持ってきてくれた。
薄桃色のリボンでくるりと巻かれたマドレーヌ。
わぉ。
それに立派な葡萄を2房。
「種なしだから種ありより味がね、ちょっと・・・」
と言ったところで、小さな人がワサワサと動き
回ったので、肝心な所は聴けず。
種なしと種ありでは、種ありの方がお味が、
どうなのか。ものすごく気になる。
葡萄の産地の方だから、葡萄の味の細やかさが
分かるのだろうな。
今度あったら、聴いてみなくちゃ。
種ありなしの違いを。


いかにも秋らしい日には、いつも言いようのない
感情というか衝動というかそんなもので身体が
いっぱいになって、きゅぅっと胸が苦しい。
あの感じ、毎年その時になってハタと思い出す。
秋、好きでも嫌いでもないのだけど、
あの感覚だけはいつも必ず訪れる。
どんな感覚か、いつかうまい言葉が見つかると
いいのだけど。


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「おひなさま」です、わたし。

2011-09-26 13:32:12 | 日々のこと
小さな人はこのところ「おひなさま」
になりきっている事が多い。

朝起きるとまず服をきて、それから
ガーゼケットを身体に巻き付け、
洗濯バサミであちこちとめる。
それからタオルも腰のあたりに
ぐるりと巻き付ける。
次に私に髪を束ねてくれと言って
髪留めを持ってくる。
それで「おひなさま」完成。

「おひなさま」になった小さな人は
声も可愛らしく、言う事も素直に聴き入れて
くれる事が多い。
「おひなさま」の時はきちんと箸やフォークで
ご飯を食べる。それ以外の時はほとんど手で
食べている。

小さな人はこの所、「ぶぅぶぅ」ワザと唇を
震わせながら唾を飛ばして面白がるので
その時は「ぶたさま」とお呼びしている。
さらに面白がって「ぶぅぶぅ」と調子づく
「ぶたさま」。やれやれ。

他も食事が終わってご飯粒が衣服にたっぷりと
付いている時は「つぶだい」(ご飯粒大王の略)
と呼んでいる。


小さな人のギャングっぷり、この所、相当目に
余る。何か話しかける度に、必ず「ちがう!」
と返される。
私はきりきりきりーっとしてしまう。
がっぷり四つの気分。

小さな人と暮らしていると、自分の思っても
いなかった、新たな、もしくは元々持っていたで
あろう内面と感情を見出す。
「あぁ、自分はこんな気持ちになるのだ」と
打ちのめされたり、天を仰いだり。


我が家族。基本はイタリアの大家族。
自然があって大らかで、そんな風に暮らしたい。
と願っていれば、その何十分の一かくらいは
そんな風に暮らしていけるのではないだろうか。
という希望を持って。



そうそう、昨日の餃子。
餃子を包む時、どうしても最初は具を多めに
してしまい、最後のほうは、具がちょんぼりの
餃子になる。
どうしてか、餃子を包みながら考えた。
餃子は具が少ないのが好み。
だから最後に具がどうしようもなく余って
しまう事が恐ろしい。
具てんこ盛り餃子が恐ろしい。
だから、始めに具を気持ち多めに包んでしまおう、
と考える。
結果、最後は足りないくらい。
毎回自分で作るのだから、目分量とは言え、大体
いつも同じ分量になっているはず。
具の多少を心配せず、淡々といい塩梅で包んで
ゆけば良いのにね。

餃子包み、自分との戦いだ。
始めから最後までずっと平常心でいるための。

今回も失敗。
難しい。

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