明日のドアをノックして

過ぎゆく時の中で、夢の扉をあけましょう

「顔文字」は緊急性がない

2006年08月07日 | Weblog
「顔文字」は緊急性がない

大阪の女性が監禁された事件で、監禁当初に友人へ救助のメールをしたのだが、それを見せられた警察は「緊急性がない」として捜査をしなかったそうである。

救出メール、緊迫性なし判断=友人あてで「顔文字」-女性監禁傷害・大阪府警

関連記事  <大阪女性監禁>捜査依頼に警察動かず 両親が不満訴え

携帯メールで顔文字・絵文字を使うのは若者なら当たり前のことである。
人によっては、顔文字・絵文字を使用しないと、寂しくなったり、不安になったり、あるいは来るメールにそれらが無いと「嫌われているんじゃないか?」との疑心暗鬼すら生んでしまうらしい。

確かに、これらの形態文字が受け取り手に楽しさや安堵感を与えるのは紛れも無い。これらの文字の数が多ければ多いほど、互いのコミュニケーションが親密になる。
携帯メールでの友情は、現代人の友情を作る手段の大部分を占めていると言ってもある意味過言ではない。

監禁されたこの女性も通常、友人には顔文字・絵文字が満載のメールを多数交換し合っていたのだろう。
人間は誰でも通常の繰り返される行為が慣習化していた場合、非常時にも通常と同じ手順で行為をしてしまうことがある。それはほとんど「反射的」になされることで、非常時だからと言って、全く通常の行為を逸脱したことをやるのは、逆に難しいと思われる。

この女性にとっては絵文字・顔文字を使用することは当たり前であり、文章を綴る場合には「手が自然に動く」と言う風ほど、言いかえると、顔文字・絵文字は、携帯メールを打つ者にとっては確実に「日本語化」しているほど、当たり前の状況なのであろう。

しかし、携帯のメールなんてのを普段全くやらない警察官には、絵文字・顔文字は「ふざけた」文字にしか映らない。「緊迫感がない」と捉えるのは、世代間・文化間ギャップなのであろうか。

しかし、監禁の事実を告げてきたメールを絵文字・顔文字が使われていたからと言って、その内容の確認をしないのは、日本人の生命を守る警察として思慮ある行為だったのか?との問いには、「全然思慮がなかった」としか言いようが無い。

自分の規範ですべてのことを捉え、処理していくのは役人の性(さが)であろうか?それとも、捜査を始めない絶好の理由を見つけた言い訳なのであろうか。

こんな警察の間違った自己判断から亡くならずに済んだ生命は、どのくらいあるのだろう?行為をしない状況が、人を死に追いやることを、警察は知ってほしい。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (http://www.more22.net/)
2010-04-26 16:44:15
なるほど
返信する