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種々

世界の片隅でキラへの愛をこっそりと囁くブログ

デザイア

2008-09-18 20:32:57 | SEED DESTINY
今回の記事はまるまる引用で。
斎藤学「「家族」はこわい」新潮文庫P172,173より
母親と息子の関係性の問題をあらわした文章なのですが

―つまり、母親は息子にこうゆうことをします。息子がもっているいろいろな欲動(ドライブ)が形をとった欲望(デザイア)を素早く読み取り、それに類似のものを与えるという操作を繰り返します。たとえば、喉が渇いたから水を飲みたいと思うのは、体が必要としている「ニーズ(欲求)」です。「飲みたい」という気持ちを心の中で渇望の形にすると、これは欲動になって、水を飲むという行為=ビヘイビアなりアクションなりにつながっていくわけです。
しかし、「飲みたい」と思った途端に、水を出すというようなことをやるのが母親なのです。とくに男の子にやります。女の子には、母親自身がいま飲みたくなければ「我慢しなさい」という形で対応します。一方、男の子にはサッと水を出します。しかも、男の子がそのとき冷たい水を飲みたいと思っていても、母親のほうでは冷たい水はお腹に悪いからとぬるま湯を出すみたいなことをします。お母さんの価値観をいれて出すわけです。
「僕は冷たい水が飲みたいんだから、お母さん、そのぬるま湯はいらないよ」と言える子はまずいないので、冷たい水のかわりにぬるま湯を飲むということを繰り返しやっているうちに、自分の中のニーズを欲動に変えるという機構がおかしくなってきます。真の欲求を自らの汗と痛みで勝ち取ることを避けるようになります。そもそも真の欲求と母親から提供される近似の欲求充足物との区別が曖昧になります。こうして、欲動の本質がわからない子ができあがり、さらに生の感覚は鈍麻しはじめ、いよいよ母親のサービスが不可欠になるという悪循環が始り、息子の社会性の発達は阻害されます。


種デスでテーマ的にやりたかったのがこうゆうことかな、と思ってます。
ここでいう母親が議長で、
コズミック・イラの「子供たち」が息子に該当するのでは、と。
具体的には、
権限と力を与えられたアスラン(カガリやキラと敵対する、という真の願いとのズレ)
人気と名声を与えられたミーア(自分自身の名前は誰もしらない、という真の願いとのズレ)
「平和な世界」への具体的な敵と役割を与えられたシン(オーブやアスランなど、彼自身の手で討つことになる、という真の願いとのズレ)
そして、自分自身のような子供を二度と生み出さない世界への足がかりを与えられたレイ(それでも今ここにいる自分を肯定されたい、というズレ)
そして「冷たい水が飲みたい」と言ったのが、キラであったのかな、と。

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