枯れ尾花ゆれる、綿毛に光る冬麗の空
足柄エリアは雪こそ無いけれど朝晩の冷え込みカナリのモノ、林道は凍結もあるので走行要注意です。
神奈川は2月3月に雪が多いんですけど、丹沢の高い稜線部は既に積雪もあったりなので冬装備シッカリご安全に。
野外での撮影は植生保護のため三脚NG、足元チェックして足場を決めて×離れた所から望遠レンズ&三脚ナシで撮影できる技術が必須です。
冬はトリワケ山の日暮れ早い×足元凍結する×角曲がったら雪だったりするので、どうぞ登山の方はお気をつけて。
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山岳点景:大野山2023.1.8
足柄エリアは雪こそ無いけれど朝晩の冷え込みカナリのモノ、林道は凍結もあるので走行要注意です。
神奈川は2月3月に雪が多いんですけど、丹沢の高い稜線部は既に積雪もあったりなので冬装備シッカリご安全に。
野外での撮影は植生保護のため三脚NG、足元チェックして足場を決めて×離れた所から望遠レンズ&三脚ナシで撮影できる技術が必須です。
冬はトリワケ山の日暮れ早い×足元凍結する×角曲がったら雪だったりするので、どうぞ登山の方はお気をつけて。
【撮影地:神奈川県足柄2023.1.8】
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冬山、冷厳の時間
雪山シーズン始まったばかりですけど、雪山の遭難事故ニュースが多いなあと。
あいかわらず富士山も遭難が多いですけど・ちょっとどーなんだろ?って事故×それに対するコメント多すぎるなあと。
→スケートリンク状態
冬季の富士山雪面を「スケートリンク状態」って遭難事故ニュースコメントに入れている方が散見されますけど・
スケートリンクはまだブレードが効きます、で、冬季富士山=コンクリート状態=ブレードどころかピッケルのブレードもスピッツェも効きません。
スケートリンクは転んでもブレードで止まれたりしますけど・冬季富士山は転んだら滑落→摩擦で身ぐるみ剥がれて真っ裸の死体になることがフツーです。
ソレは八千峰やマイナールート・初登を制覇しているようなプロでもあるあるな事故例で・ソンなんだから複雑骨折でもナンでも助かったらカナリ運がイイ。
ついでに言えば・シャッターぶち壊す爆風が吹き荒れるのが冬富士*雲の動きの速さで下界からでも解ります
→冬キャンプ
冬季のキャンプ場=夜ないし夜明けは零下→寒さで凍えます。
アニメやマンガなんかでソロキャンプ&冬キャンプを推奨?しているようですけど、
キャンプ場ある地域=山岳地域の冬は、朝晩の冷え込み11月から一桁~マイナス→住宅のベランダにも氷が張る寒さです。
特に年明けからの寒さは厳冬期マッタダナカへ・伊豆地方でも山間部は池が波のまま凍りついたり&丹沢のキャンプ場に至っては言うまでもなく。
ゆ〇キャン△で年明けに山中湖のキャンプ場シーンありますけど、雪も低温下もあんなもんじゃなく・夏仕様テントは凍りつくし道も地面も氷化が当たり前。
自分も冬キャンプしたことあるけれど・テント泊=凍死しかねないので、バンガロー借りて暖房キッチリで楽しみます。
ちなみに車中泊でも冬季の夜車中はカナリ冷えこむため凍死しかねませんのでアシカラズ。
ここんとこ暖冬だった×コロナ過でアウトドア流行していますけど←このアタリから登山orキャンプ始めた方々にとって、通常の冬は未知の世界だと。
そんでまたアウトドア系マンガやアニメの大半がココントコの暖冬=冬リアルだと思って描いているから、マズイなあ思います。
たとえば上にも書いたけど・ゆる〇ャン△の山中湖キャンプは描写がだーーーーいぶ甘すぎる、冬季の郡内地方あんなもんじゃないです。
特に山中湖は湖が凍る=零下二桁が当たり前、午後14時になれば再凍結×雪は解けないし氷柱は伸びる、道路も凍結するから冬季閉鎖も多い。
で・山中湖は標高1,000メートル=冬季の山ってそういうことで、ソレは標高もうちょっと低くても北面なら同じようなモンになるってことです。
山は南面と北面で体感温度10度違う、って聞いたことありますか?
コレを知っているといないとでは遭難したときの生存率も大幅に変わってしまうんですけど。
で、ソレは同じ山域のキャンプ場でも同じことで・たとえば丹沢の南面と北面では冬季のコンディション全く違う状態になるってことです。
また水際もだいぶ違います、たとえば渓流=川霧による気化熱のため低温化しやすいので、河川の近くでテント泊するならどの位離れると安全確保か?って話になります。
っていうような基礎知識ちゃんとないと事故っちゃうのが冬アウトドアなので、
まずは経験者と一緒に教えてもらいながら始めないと、ホント不幸な事故に繋がってしまうんですけど。
↑
って言われて「自分は大丈夫☆」なんて思っちゃった自己流アウトドアの方いたら、既に遭難しています。
っていうことを警視庁山岳救助隊の方の手記にありましたけど、ホントそうだなあと。
登山靴が合わなくて立往生
アイゼンなく雪山に踏み込んで立往生(けっこういる)
水分補給しないで登って高山病(家族連れでけっこういる)←装備不足どころじゃない
散歩スタイルで軽率に山に踏み込んで立往生・どころか体調不良で行動不能←準備不足どころじゃない
暗くなって立往生←冬山の日没は14時、って知らないで踏みこんじゃった・スケジュール管理不足どころじゃない
…
なんていう初歩的ミスで遭難しかけている方・している方、なんど見ちゃったことか。
っていうのがコロナ過前の話なので(コロナ過以降ガチ登山控えているので笑)今ソート―件数あるのも肯けてしまうなあと。
登山もキャンプも、知識と技術と経験がないとホント事故ります。
それは自分にも簡単に起きうることで、ソレを認められないならヤル資格も当然ありません。
だって遭難事故=必ず他人に迷惑かけることで、迷惑行為なりかねない自覚がない=学ぶ意志がない=遭難事故を起こして当然という考え⇒遭難するからです。
↑
そーゆー輩が丹沢エリアもココントコ増えていて、
オカゲでなおさら丹沢を歩こうって気にならないんですよね、もらい事故したくないから。笑
ホントありえないんですけど・夏の丹沢=ヤマビル天国でヘソ出しタイツスタイルで歩くヤツとかいるんですよね。
ショッキングピンクなサイケ柄タイツスタイルな推定50代ご婦人とかいらっしゃるんですけど・アレはヤマビル吸血美容法とかあるんでしょうかね?
っていう方とか登山口に近い公園たまーにいたりするんですけど・率直に言って、頭ちょっとアレなひとなのかなーなんて思っています。
ストックの使用法もちゃんと教わっていない→事故や環境破壊に繋がっていることが問題視されています。
ストックの先端にはカバーついているんですけど、アレ通常はつけたまま使うってご存知でしょうか?
じゃ―何のためカバー外せるのか?いうと、雪や氷で滑らないためのスピッツェがあるから。
↑
よーするに雪山で使うための尖がった滑り止めがあるわけなんですけど、
アレ無雪期の時もカバー外しちゃうと、登山道・木道・小屋の床に穴を開けて迷惑行為になります。
なのでモチロン冬季でも小屋や無雪のときはカバー装着して使うワケです。
また・ダブルストックはストック頼みになる×姿勢を崩しやすいため、転滑落の原因になりがちなんだとか。
警察の山岳救助事例でも、ダブルストック使用者による転滑落事故について警鐘を記されています。
よーするにストックの先端が滑る→両手がふさがっているため手を付けないまま転倒→滑落。
転んだ・落ちた後も両手が使えないためヒドイ転び方や落ち方になり…なんだとか。
そして冬季に限らずではあるのですが、観天望気が出来ないならアウトドアはしないほうが良いと思います。
天気の崩れ=危険だっていう実感が無いならアウトドアは無謀というか、死に行くようなもんです。
ってアタリきちんと学んで教わって、経験者に学んで、
安全に楽しんでもらえたらいいなー思います。
この迎えた2023年、どうぞ慶事ふりつもる善き年になりますように。
【撮影2016.04.29/2017.01.15】
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新しき 年の始めの 初春の けふ敷る雪の 伊夜しけ餘事 大伴家持
新しい年が始まる初春の今日、ふりつづく雪のように善い事がふり続くといい。
新しい雪のよう真っ白な、清浄な善いものが余るほど残され続いていくように。
元日の歌ですが『万葉集』の最終巻=巻第二十のいちばん最後に載っています。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したあたり、籠められる祈りが謳われています。
原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほどに残る」という意味になります。
この「よごと」を翻刻するとき「吉事」にすることが多いようですが、「餘」に歌意あるようで・字義そのまま現代語訳してあります。
雪が降り続いて、あとまで溶けず残るまま積り敷き詰めていく。
そんな雪国の厳しい寒さの底から初春の希望を祈る、そんな歌には詠み人の心と状況が謳われています。
この歌が詠まれた時、作者の大伴家持は配流された因幡国=現在の鳥取県東部で最初に正月を迎えていました。
西暦759年にあたりますが、この左遷は橘氏と藤原氏の抗争に巻きこまれたトバッチリ処分でした。
この当時の伴氏は軍部の名門で、その一族の長だった家持は文武両道として知られる歌人です。
↑
こうした状況下にあった家持は、凹んでいても不思議ではありませんが「始」「餘」の二文字に希望を感じさせます。
迎える新年の言祝ぎ歌として詠まれたんだろうなあと、明るいカンジに訳してみました。
この迎えた2023年、どうぞ慶事ふりつもる善き年になりますように。
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あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと
新しい年が始まる初春の今日、ふりつづく雪のように善い事がふり続くといい。
新しい雪のよう真っ白な、清浄な善いものが余るほど残され続いていくように。
【撮影地:栃木県日光市戦場ヶ原2017】
元日の歌ですが『万葉集』の最終巻=巻第二十のいちばん最後に載っています。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したあたり、籠められる祈りが謳われています。
原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほどに残る」という意味になります。
この「よごと」を翻刻するとき「吉事」にすることが多いようですが、「餘」に歌意あるようで・字義そのまま現代語訳してあります。
雪が降り続いて、あとまで溶けず残るまま積り敷き詰めていく。
そんな雪国の厳しい寒さの底から初春の希望を祈る、そんな歌には詠み人の心と状況が謳われています。
この歌が詠まれた時、作者の大伴家持は配流された因幡国=現在の鳥取県東部で最初に正月を迎えていました。
西暦759年にあたりますが、この左遷は橘氏と藤原氏の抗争に巻きこまれたトバッチリ処分でした。
この当時の伴氏は軍部の名門で、その一族の長だった家持は文武両道として知られる歌人です。
↑
こうした状況下にあった家持は、凹んでいても不思議ではありませんが「始」「餘」の二文字に希望を感じさせます。
迎える新年の言祝ぎ歌として詠まれたんだろうなあと、明るいカンジに訳してみました。
この迎えた2023年、どうぞ慶事ふりつもる善き年になりますように。
【撮影地:栃木県日光市戦場ヶ原2014.1】
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