
写真は私の大昔のGパン「マッキャンベル」です。
孔雀の羽の刺繍は、ドデカイ茶色のシミをつけてしまったのを隠すため、
シコシコ自分でやりました。なんてセンスのないデザインなんだ…。
サイズ26インチ、今は太ももで止まって上がってきません…
えーと、本日も長ーーーいわ、写真ないわです。すみません。
昨日のお話の続きです。
かなりパニクったまま、寝てしまいまして、
まぁ夢にでるほどではありませんでしたが…。
今日は「コメント」をいつも以上にドキドキしながら拝読しました。
「そーよねぇ」というご意見、「こういうのもアリ…」というご意見。
やっぱりそうですよね。
パニクったままで書いた記事ですから、少し落ち着いた状態で、
もう少しお話しをしてみようと思います。
まず、着物に今までない素材を使う、ということ、
例えば最近流行の「デニム着物」のデニムについてお話してみましょう。
初めて「デニムの着物」という文字を目にしたとき、
私はとっさに、着物の縫い目にあのジーンズのオレンジがかった黄色の、
大きなステッチがしてあるとか、袖口や裾などに鋲が打ってある、
なんて着物を思い浮かべました。
つまり完全に「GパンGジャンの着物版」を想像したわけです。
かたいだろーなー、脱いで立てたら、立つんじゃないだろか、なんて。
でもすぐに、デニムはデニムでもデニム違いだと気づき、
なぁんだ問題ないじゃん…。
要するに「木綿の、先染めの、綾織物」ですから。
「デニム」という言葉から「ジーンズ」と連想してしまったわけですが、
インプットされてるイメージというのは、おそろしいものです。
実は藍木綿の着物は、日本でも昔からあるわけです。
普通の藍木綿とデニムの違いは、デニムは緯に未晒し糸を使っているとか、
藍木綿は平織り(でないものもあります)が多く、デニムは綾織のこと。
で別物のように思えてしまうわけですね。
デニムを使ってアメリカでゴールド・ラッシュの時代、金鉱堀の男たち向けに、
鋲を打ち、しっかり縫った「丈夫な労働着」を作ったのがジーンズの始まり。
ところでこの「綾織」というもの、ツイルと呼ばれる織り方ですが、
3分の1ツイルがデニムの基本ですけれど、2分の1とか2分の2とか
いろいろあるんですね。
ジーンズをよーく見ると、斜めの綾もようがよくわかります。
ジーンズは基本的に右綾、つまり右上に上がっていくように見える綾織。
当然左綾もあるし、織り方で見た目の光沢とか手触りが違うんですね。
途中で弱音を吐いて申し訳ないんですが、繊維とか組織というものが
おもしろいなぁと思うようになって、いろいろ本を読んだりしてきましたが…。
織物ってほんっとに奥が深いのです。
単純に綾織、と言っても経糸と緯の糸の使い方の違いや、
その糸の撚りの向きの違い、綾織の法則の違いなどによって、
実にいろいろな種類の布ができるのです。
ですから、中途半端な知識でのお話だと、ご了承ください。(何を今更…)
今デニム着物として売られているものはブロークンツイル、
もしくはソフトデニムだと思います。
デニム着物は写真でしかみたことがないので、はっきりしたことはいえませんが、
ブロークン・ツイルというのは、その「綾織」を変化させたもの、です。
ジーンズですが、よーく見ると斜めに織模様がでますが、
そのとおり、布も裁断して縫い合わせると斜めにゆがんでいく…のです。
昔、メーカーもわからないところの安ーいGパンを買ったら、
一度の洗濯で、脇線がみごとにねじれて床屋さんのマークみたいになりました。
いいものでもたまにねじれますね、あれです。
あれは、使っている糸の「撚り」と、偏って織りあがっていく綾織の特徴が
そうさせるわけですが、これをふせぐためになんとかいう加工をします。
この加工については、もー難しすぎてパスです。
で、ブロークン・ツイルというのは織り方によってこのねじれを防ごうと、
そういう織り方でして、わかりやすいのは「ヘリンボーン」。
和名では「杉綾」と呼ばれます。
つまり、あるところまで右綾で織って、途中から左綾に変える、
この繰り返しを決まった目と段で行うと、アレになるわけです。
これをもっと細かくやると、杉綾のようにハッキリしなくなります。
早い話が、せっかくの綾織を綾で織らないわけですね。綾を消す、といいます。
これがブロークン・ツイル、です。つまり普通の平らな織物のように見える…。
だったら普通に平織りにすればいいのに、というと「デニム」にはならない。
デニムは綾織のもの、が決まりごとだからです。
あくまで「綾織」の中での工夫で、ねじれないように作ったのがブロークン。
織物って、奥が深いでしょう?
まぁそんなわけで、デニムというのは、おおよそそういうものだということを
おわかりいただけたと…勝手に思ってお話しを進めますが…。
私は新しい素材といっても、別にかまわないと思うのは、デニムもそうですが、
それが「着物」というものの特長を損なわないもの、という思いがあるからです。
たとえばポリの着物や化繊との交織などは、実際には着づらかったり暑かったり
そういうマイナス点はあります。でも、それは着る側が工夫したり、
暑さを辛抱したりすればいいことです。
デニムの着物は単に出自がジーパンの素材だというだけで、
木綿の着物ですから、なんら問題はありません。
でも、例えば今回のジャージーですが、ハリというものがありません。
ニットジャージーのいいところは体の線にそって、伸びてなじんでくれたり、
ハリがないから体の動きをジャマしないことです。
私は、着物というのは「沿わない美しさ」というものがあると思っています。
ただ、これはあくまで私の想い、です。
ヒトサマにそれを強要するつもりは、全くありません。
以前お話しました「着物と洋服の違い」、もっとも大きいのは、
洋服は人間の体の線にあわせて裁断し縫い合わせていること、
着物はまっすぐで四角いものを縫い合わせて、体の線に合わせて巻きつけるもの。
つまり、着物というのはあくまで「線をはっきり出さない・出せない」もの、
それが着物の着姿の美しさを作りだしているもの、と思うのです。
ジャージーという素材は、これにそぐわないと思うのです。
たとえば、江戸時代の女性はいまよりゆったり着付けていましたし、
帯幅は広く、よく締められる「角だし」や「ひっかけ」はうしろに突き出ます。
後姿でヒップラインが強調されることはあまりありません。
反してヨーロッパなどでは、腰を細く見せるために、
貧血起こすようなコルセットで締め上げたり、胸を強調するような
衿あきの広いドレスを着ました。美しいと感じる観点が違うんですね。
現代の洋装でも、体の線が少しでもきれいになるようにファンデーションをつけ、
それがわかるようなものを着ます。
これはスタイルがいいとか悪いとかではなく、たとえば貫禄たっぷりの
アメリカのオバーちゃんなどが、ちゃんとブラやガードルをして、
ぴったりのニットシャツを着たりタイトスカートをはいたりしていますが、
あれはあれでとてもかっこいいと思います。
逆に私のように、体の線がわからないように…ではなく、
実はとにかくゴムとかベルトで締め付けるのが大嫌いなためなのですが、
できるだけ体につかないふわっと広がるような丈長のトップ、
ゴムのだぶだぶパンツ…これって実はよっぽどデブデブとして見えるのです。
つまり太っていても、それなりにきちんとラインを出したほうが、
形はスッキリ見えるんですね。それが洋服のミリョクです。
私は昨日のジャージー着物を着ている男性のふくらはぎを見て…と書きました。
あのラインの出かた、あれが洋服の美しさのポイントです。
まぁあの着物のジャージー素材を、ふくらはぎの写真ひとつで
「こういうものだろう」と決め付けるのもなんですが、
要するにボディラインの出やすいもの…と見たわけです。
肩や胸や腰、ヒップにそってしんなりとなじんだら…。
でも、それは「着物の美しさの見せ方ではない」と思うわけです。
いっそボテッと厚いものなら厚い分、ある程度のハリもありますから
それならそれでまた見え方が違いますよね。
トレーナーみたいな厚手のジャージーなら、アリかもしれません。
何度も申しますが、私は新しい素材もまたひとつの変化だと思っています。
ただ、今はまだ、着物というもののよさを十分理解して楽しんで、
着物のをラクにきている人が少ないのです。
例えば浴衣がカラフルになったと思ったら、ゲタもどきの履物が出てきて、
浴衣にはそれ…なんていう風潮が出てきました。
ゲタよりラク、それはゲタのはき方、ゲタのラクさを知らないからです。
あんなにラクな履物はないのに…。そうなるとゲタが忘れられてゆく。
かわっていくについては「淘汰」ということが必要です。
淘汰がされるには時間が必要なのと、元々のものが広く知られていることが
必要です。着物をあまり知らない人が、楽なほうへと最初から流れてしまったら、
淘汰ではなく「流行」です。
なんでもそうだと思いますが、よい商品というのは「売れるもの」ではなく、
お客様にとっていいもの、です。
元々着物は洋服に比べて全身を包み込み、動きの制限されるものです。
それをいかにラクに着てすごすか、昔の人があたりまえにやっていたことを
探り探り着てみる、それごと楽しむのが、
今この時代に「着物を着る」ことだと思うのです。
そうやっていろいろ着てみて、その上でジャージー着物を着たとき、
本当にジャージー着物というもののミリョクを理解し、
使いこなせるようになるのではないかなと、
要するにそれだけのことです。
やっぱり私の頭は固いのでしょーか。
でも、私はたとえ今スレンダーなぼでーだったとしても(想像つかんけど)
ジャージー着物は、部屋着でも着ません。
家の中で普通の着物よりラクに着られますよ、なら
最初からスエットの上下でいればいい、
というのが私の思いです。(今そーだしぃ!)
孔雀の羽の刺繍は、ドデカイ茶色のシミをつけてしまったのを隠すため、
シコシコ自分でやりました。なんてセンスのないデザインなんだ…。
サイズ26インチ、今は太ももで止まって上がってきません…

えーと、本日も長ーーーいわ、写真ないわです。すみません。
昨日のお話の続きです。
かなりパニクったまま、寝てしまいまして、
まぁ夢にでるほどではありませんでしたが…。
今日は「コメント」をいつも以上にドキドキしながら拝読しました。
「そーよねぇ」というご意見、「こういうのもアリ…」というご意見。
やっぱりそうですよね。
パニクったままで書いた記事ですから、少し落ち着いた状態で、
もう少しお話しをしてみようと思います。
まず、着物に今までない素材を使う、ということ、
例えば最近流行の「デニム着物」のデニムについてお話してみましょう。
初めて「デニムの着物」という文字を目にしたとき、
私はとっさに、着物の縫い目にあのジーンズのオレンジがかった黄色の、
大きなステッチがしてあるとか、袖口や裾などに鋲が打ってある、
なんて着物を思い浮かべました。
つまり完全に「GパンGジャンの着物版」を想像したわけです。
かたいだろーなー、脱いで立てたら、立つんじゃないだろか、なんて。
でもすぐに、デニムはデニムでもデニム違いだと気づき、
なぁんだ問題ないじゃん…。
要するに「木綿の、先染めの、綾織物」ですから。
「デニム」という言葉から「ジーンズ」と連想してしまったわけですが、
インプットされてるイメージというのは、おそろしいものです。
実は藍木綿の着物は、日本でも昔からあるわけです。
普通の藍木綿とデニムの違いは、デニムは緯に未晒し糸を使っているとか、
藍木綿は平織り(でないものもあります)が多く、デニムは綾織のこと。
で別物のように思えてしまうわけですね。
デニムを使ってアメリカでゴールド・ラッシュの時代、金鉱堀の男たち向けに、
鋲を打ち、しっかり縫った「丈夫な労働着」を作ったのがジーンズの始まり。
ところでこの「綾織」というもの、ツイルと呼ばれる織り方ですが、
3分の1ツイルがデニムの基本ですけれど、2分の1とか2分の2とか
いろいろあるんですね。
ジーンズをよーく見ると、斜めの綾もようがよくわかります。
ジーンズは基本的に右綾、つまり右上に上がっていくように見える綾織。
当然左綾もあるし、織り方で見た目の光沢とか手触りが違うんですね。
途中で弱音を吐いて申し訳ないんですが、繊維とか組織というものが
おもしろいなぁと思うようになって、いろいろ本を読んだりしてきましたが…。
織物ってほんっとに奥が深いのです。
単純に綾織、と言っても経糸と緯の糸の使い方の違いや、
その糸の撚りの向きの違い、綾織の法則の違いなどによって、
実にいろいろな種類の布ができるのです。
ですから、中途半端な知識でのお話だと、ご了承ください。(何を今更…)
今デニム着物として売られているものはブロークンツイル、
もしくはソフトデニムだと思います。
デニム着物は写真でしかみたことがないので、はっきりしたことはいえませんが、
ブロークン・ツイルというのは、その「綾織」を変化させたもの、です。
ジーンズですが、よーく見ると斜めに織模様がでますが、
そのとおり、布も裁断して縫い合わせると斜めにゆがんでいく…のです。
昔、メーカーもわからないところの安ーいGパンを買ったら、
一度の洗濯で、脇線がみごとにねじれて床屋さんのマークみたいになりました。
いいものでもたまにねじれますね、あれです。
あれは、使っている糸の「撚り」と、偏って織りあがっていく綾織の特徴が
そうさせるわけですが、これをふせぐためになんとかいう加工をします。
この加工については、もー難しすぎてパスです。
で、ブロークン・ツイルというのは織り方によってこのねじれを防ごうと、
そういう織り方でして、わかりやすいのは「ヘリンボーン」。
和名では「杉綾」と呼ばれます。
つまり、あるところまで右綾で織って、途中から左綾に変える、
この繰り返しを決まった目と段で行うと、アレになるわけです。
これをもっと細かくやると、杉綾のようにハッキリしなくなります。
早い話が、せっかくの綾織を綾で織らないわけですね。綾を消す、といいます。
これがブロークン・ツイル、です。つまり普通の平らな織物のように見える…。
だったら普通に平織りにすればいいのに、というと「デニム」にはならない。
デニムは綾織のもの、が決まりごとだからです。
あくまで「綾織」の中での工夫で、ねじれないように作ったのがブロークン。
織物って、奥が深いでしょう?
まぁそんなわけで、デニムというのは、おおよそそういうものだということを
おわかりいただけたと…勝手に思ってお話しを進めますが…。
私は新しい素材といっても、別にかまわないと思うのは、デニムもそうですが、
それが「着物」というものの特長を損なわないもの、という思いがあるからです。
たとえばポリの着物や化繊との交織などは、実際には着づらかったり暑かったり
そういうマイナス点はあります。でも、それは着る側が工夫したり、
暑さを辛抱したりすればいいことです。
デニムの着物は単に出自がジーパンの素材だというだけで、
木綿の着物ですから、なんら問題はありません。
でも、例えば今回のジャージーですが、ハリというものがありません。
ニットジャージーのいいところは体の線にそって、伸びてなじんでくれたり、
ハリがないから体の動きをジャマしないことです。
私は、着物というのは「沿わない美しさ」というものがあると思っています。
ただ、これはあくまで私の想い、です。
ヒトサマにそれを強要するつもりは、全くありません。
以前お話しました「着物と洋服の違い」、もっとも大きいのは、
洋服は人間の体の線にあわせて裁断し縫い合わせていること、
着物はまっすぐで四角いものを縫い合わせて、体の線に合わせて巻きつけるもの。
つまり、着物というのはあくまで「線をはっきり出さない・出せない」もの、
それが着物の着姿の美しさを作りだしているもの、と思うのです。
ジャージーという素材は、これにそぐわないと思うのです。
たとえば、江戸時代の女性はいまよりゆったり着付けていましたし、
帯幅は広く、よく締められる「角だし」や「ひっかけ」はうしろに突き出ます。
後姿でヒップラインが強調されることはあまりありません。
反してヨーロッパなどでは、腰を細く見せるために、
貧血起こすようなコルセットで締め上げたり、胸を強調するような
衿あきの広いドレスを着ました。美しいと感じる観点が違うんですね。
現代の洋装でも、体の線が少しでもきれいになるようにファンデーションをつけ、
それがわかるようなものを着ます。
これはスタイルがいいとか悪いとかではなく、たとえば貫禄たっぷりの
アメリカのオバーちゃんなどが、ちゃんとブラやガードルをして、
ぴったりのニットシャツを着たりタイトスカートをはいたりしていますが、
あれはあれでとてもかっこいいと思います。
逆に私のように、体の線がわからないように…ではなく、
実はとにかくゴムとかベルトで締め付けるのが大嫌いなためなのですが、
できるだけ体につかないふわっと広がるような丈長のトップ、
ゴムのだぶだぶパンツ…これって実はよっぽどデブデブとして見えるのです。
つまり太っていても、それなりにきちんとラインを出したほうが、
形はスッキリ見えるんですね。それが洋服のミリョクです。
私は昨日のジャージー着物を着ている男性のふくらはぎを見て…と書きました。
あのラインの出かた、あれが洋服の美しさのポイントです。
まぁあの着物のジャージー素材を、ふくらはぎの写真ひとつで
「こういうものだろう」と決め付けるのもなんですが、
要するにボディラインの出やすいもの…と見たわけです。
肩や胸や腰、ヒップにそってしんなりとなじんだら…。
でも、それは「着物の美しさの見せ方ではない」と思うわけです。
いっそボテッと厚いものなら厚い分、ある程度のハリもありますから
それならそれでまた見え方が違いますよね。
トレーナーみたいな厚手のジャージーなら、アリかもしれません。
何度も申しますが、私は新しい素材もまたひとつの変化だと思っています。
ただ、今はまだ、着物というもののよさを十分理解して楽しんで、
着物のをラクにきている人が少ないのです。
例えば浴衣がカラフルになったと思ったら、ゲタもどきの履物が出てきて、
浴衣にはそれ…なんていう風潮が出てきました。
ゲタよりラク、それはゲタのはき方、ゲタのラクさを知らないからです。
あんなにラクな履物はないのに…。そうなるとゲタが忘れられてゆく。
かわっていくについては「淘汰」ということが必要です。
淘汰がされるには時間が必要なのと、元々のものが広く知られていることが
必要です。着物をあまり知らない人が、楽なほうへと最初から流れてしまったら、
淘汰ではなく「流行」です。
なんでもそうだと思いますが、よい商品というのは「売れるもの」ではなく、
お客様にとっていいもの、です。
元々着物は洋服に比べて全身を包み込み、動きの制限されるものです。
それをいかにラクに着てすごすか、昔の人があたりまえにやっていたことを
探り探り着てみる、それごと楽しむのが、
今この時代に「着物を着る」ことだと思うのです。
そうやっていろいろ着てみて、その上でジャージー着物を着たとき、
本当にジャージー着物というもののミリョクを理解し、
使いこなせるようになるのではないかなと、
要するにそれだけのことです。
やっぱり私の頭は固いのでしょーか。
でも、私はたとえ今スレンダーなぼでーだったとしても(想像つかんけど)
ジャージー着物は、部屋着でも着ません。
家の中で普通の着物よりラクに着られますよ、なら
最初からスエットの上下でいればいい、
というのが私の思いです。(今そーだしぃ!)
よかったです~!今回の記事を拝読して、腑に落ちました。
私は寝巻きも古い浴衣です。体にまとわりつかない、着物が好きだからです。着物は体を包むものだと思っています。ジャージは着るもので、着物の形にする必要性がわかりませんでした。着物をきつめに着つけた姿とは全く異なるシルエットだと思いますし、個人的には、着物はゆったりとした皺がなければ美しくも実用的でもないと考えています。
ジャージきものに皺やゆとりがあったら・きっとだらしなく見えてしまうでしょう。着物という形ではカバーできない難点があると思うのです。
Tシャツなどはお洗濯した後、必ずと言っていいほど斜めに狂いが出ますが、ジャージ着物はその点どうなんでしょう?
楽であるためだけに、着物を着るというのは少し違う気がします。着物というものを楽に、自分らしく着ることがきものの楽しみでもあると思います。
ウール着物が登場した時って、こんな風に物議を醸したのでしょうか?それとも、着物の素材として理解される資質があって、着物の中に溶け込んでいったのでしょうか。
うーんうーん、何だか判んなくなってきました!確かに着物と洋服は違いますね。ずっと着てると所作が変わってきました。下手すると洋服より楽かもです。
でも今の人ってその事を知らないです…普段に着物を着る人が少なすぎます。実際、自分で着ないとわかんない。うーむ。
「普通の着物は窮屈で駄目だよねー、着付けとか難しいし、やっぱジャージ着物じゃないと~」みたいになっちゃうと悲しいですけど、でも着物を知らない、着物って窮屈なもんだって先入観のある人たちの意識に風穴を開けたりは出来るんじゃないかと。逆かもですけど、そうやって柔軟に着物と洋服の間を埋めることで、洋服があふれる中からまず一枚、着物形の服も選んでもらって、そこを取っ掛かりにして王道の着物の良さにも気づいてもらえるんじゃ…って思うのです…けど、うーん、駄目なのかなあ。
こふじ様も私も「着物っていいな」を
知ってしまっている「側」ですね。
だから知らない人に知ってほしい、と思う…、
その手段として、ジャージーもアリかな、
というのは、とてもよくわかります。
おっしゃるとおり、それがきっかけで、
本格的な着物に興味をもってくださることも
あるかもしれません。
風穴を開けるという意味では私も賛同します。
でも、その前に、なんです。
実際着物を作っていらっしゃる人なら、
それよりも着物素材として当たり前のものを
もっと安く簡便に提供する努力を
してほしいなと思うのです。
人間は怠惰な生き物で、ラクなところから
入ると、それよりきついものに進むのは、
やはり限られます。
普段に気楽に着られる木綿やウールの着物を
もっと安く…そっちが先じゃないかなーと
私は思っているんですよ。
ちょっと途中から書き直しています。
言葉がたりなくて…。
おっしゃるとおり、まっすぐなものを
曲がった体にまきつけるからこその
シワやたるみが着物独特のラインを
つくってくれるのだとおもいます。
ウールですが、一口にはいえないんですけれど
まず、着物って「柄ありき」なんです。
素材がなんであれ、裾もようがついていたら
「絵羽」つまり留袖・振袖・訪問着です。
だからポリでも振袖留袖が認められるんですね
ウールの場合は、入ってきたのが
開国直後ですから、柄というより素材で
ランクがつきました。
つまり、当時は絹がようやく
庶民にも降りてきたころで、木綿、麻が
庶民の素材だったわけですね。
だから色柄よりも、素材ということで、
着物にして着るには不都合はないけれど、
絹や木綿、麻よりは新参者だから、と
素材として、一番下のランクに入ったんです。
また、最初はほとんどが洋服素材に
使われました。
ウールは着物としてランクが下でしたから、
まずは襦袢とか子供の着物から始まり、
着物にも使われるようになりました。
「発色」はよかったですから、
モスリンなんか色柄きれいですよね。
もし、素材として最初にランクがたかければ、
着物にするようになったとき、
もしかしたら「ウールの振袖」がたくさん
できたかもしれません。
「時代」というのは、そんな影響もあります。
どれもうなずけるし、なるほどなぁと思います。
デニムの着物というと
女優の中嶋朋子さんを思い出します。外国の生地市で
買い付けられたという赤いバラ(イングリッシュローズ)の
見事な総刺繍のデニムの訪問着の見事なことといったら!
外国に行かれると必ず生地を買い付けて
なじみの京都の職人さんに縫っていただいているそうです。
最初は職人さんもとまどわれたそうですが
今では模様の位置とか意見してくれるようになったそうです。
去年はカシミヤのTシャツを購入しました。Tシャツに
諭吉さんふたりのお値段です。
これを野暮というか、粋というかはわかりません。
ですが、とっても重宝しています。
流行に乗り遅れまいといつしか穿いていた
事がありますのでちょっと心配です。
孔雀の刺繍、すばらしい!
よくこんな細かな事をされましたね。
私はジャージ着物に対して
とんぼさんほど危機感がありません(笑)。
よくとんぼさんは
昔の雑誌の写真で
洋装と和装と混ぜたものを出して
お話してくださいますよね。
あの時は、デザインを混ぜたもの。
そして今メーカーは、
洋服の素材を使って
新鮮さを出そうとしているのではないでしょうか。
今じゃ笑い話ですけど
あの雑誌の写真を見た時、
当時の着物好きな方々も
きっととんぼさんのように
驚き、心配されたと思います。
でも結局、雑誌の通りにはなっていませんよね。
大丈夫ですって~(笑)。
その根拠ですが・・・
デニム着物については
私は実際見てきたので
今度ブログに書きますね。
それともうひとつ。
あるブログを拝見していたら
洋服の生地で着物を作られた方がいらして
その方が、洋服の生地は着るとすごくシワが残る、
やっぱり日本の木綿はすごい、という話を書いていたのです。
それを読んで、なるほどな~と思いました。
メーカーは売ろうとして
目先の新しいことを仕掛けてくるのはいつものこと。
消費者は、最初釣られて買っても
やはり残るものには
それなりの理由があるものではないでしょうか。
そんなわけで、私は
おお、おもしろいね、やってみなさいよ、という感じです。
着物以外の伝統的な文化でも
時々度肝を抜かすようなことをする人が現れて
周囲から出る杭をボコボコ打たれるのをよく見ます(笑)。
打たれて、残るのが本物です。
打たれて消えてしまったとしても、
波紋を起こし
その世界の活性化を促した意義があると思います。
だからとんぼさんは
頭が固いかな~なんて遠慮せず、
とんぼさんの感性に合わなければ
おかしい!と声を大にして言ってほしいです。
とはいえジャージの着物、
私は若者の普段着というより
介護やリハビリ用の服装にいいような気がします(笑)。
和風ガウンって感じで。
いろんなコトを考える人がいるもんだぁ、素直に感心してしまいました。
乗っかってしまって申し訳ないのですが、私もてまりばなサマのご意見に思いっきり賛成です。
コレはごく限られた人にしか着こなせませんよ~。
一般人には無理です。(笑)
いゃボディコンに絶えうるスタイルだけでなく、かなり高度なセンスが要求されると思われます。
着物も洋服も、要するに『着る物』に長けている人でないと、てまりばなサマご意見のように、病院から抜け出してきた入院患者みたいになっちゃいます。(笑)
ホントそんな危機感はいらないですよ、大丈夫ですよ。
世間に浸透するにしては無理があると思います。
外出するにしても、コレ一枚じゃ結局どうにもならないですし。
これはお洒落好きの人の為の着物の形をした洋服です。
昔いわゆるハウスマヌカンで、現在着付師(の端くれ)の私の見解です。
私は反対に、コレをすっきりカッコよく着こなせるだけのスタイルの良さと洗練さと若さが欲しいと思ってしまったのが本音です、あはは。
自信を持って、そしてとっても好きで着るなら
自由にしていいと思いますよ。
諭吉さんが何枚でも、しつかり着倒せば
問題ありませーん。
洋服地での着物は珍しくないんです。
昔からの「繰り回し」に入っているわざ。
まぁ逆に今はそれを思いつくことのほうが、
すごいですね。
てまりばなサマは春風亭昇太さん率いる『SWA!』の講演によく行かれるのですね~? 羨ましい~。
講演が一度も予定と合った事なくて、いまだ行かれず寂しいです。
昇太ファンの武者子でございました。