ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

8.15

2019-08-15 18:33:31 | つれづれ

 

台風はゆるゆるで、西日本は交通網もたいへんな影響を受けています。

関東は遠く外れてはいるものの、風は強く、今夜はこれから雨がひどくなる様子。

自然には太刀打ちできませんが、少しでも早く過ぎ去ってほしいものと空をあおいで思います。

 

今日は「終戦記念日」。私はいつも「記念」と言う言葉に引っかかっていました。

記念と言うのはいいことに使われます。

そう思えば確かに、あの恐ろしくばかげた戦争が、やっと終わった記念の日、と考えればいいのかなと。

でもなんとなく、まぁそういわれればねぇ…という思いがありました。

記念と言うには、あまりにも過酷な年月であり、破壊と殺戮の日々であったから…。

そう思っていましたら、今日の読売新聞「編集手帳」で、とてもいいことを読みました。

 

かつて新聞の「こどもの詩」の欄に<終戦記念日 どうして日本が負けた日が記念日なの>

という詩が載ったそうです。それに対して、選者の詩人、川崎洋氏が答えました。

「またとない反省の日だからです」…これを読んで、長年のモヤモヤが消え去りました。

過ぎた日は戻りません。過去は消せません。

「記念日」として心に刻み、「なぜ戦争になんかなったのか」…その結果を、

戦没者310万人という数字とか、先日の「絵」とか、まだかろうじて聞くことのできる

経験者の話とか、たくさんの資料とか、写真とか…すべてのものを総動員して、

私の時代も、次世代も、ずっとずっと考えるための日、になっているのだと思います。

 

「またとない」という言葉には、戦争を知らない私たちにも持つべき責任を感じます。

いまだ戦争にあけくれる国があります。やたらと恐ろしげな武器を「あるぞあるぞ」と見せる国があります。

ボタン押したら地球がおわる、おそろしい兵器もあちこちに存在します。

そんなものが、そんなことが、どれだけ「人間」のためにならないか。

悠久のときのかなた、暮らしをまもるために、家族や部族を守るために、

ホモサピエンスはアフリカの地を離れ、長い長い旅に出て世界に散りました。

元を正せば、みんなおんなじ先祖のはずです。

お互いに本当に大切なものを、忘れないための記念日でもあると、そう思いました。

 

すべての戦没者に、「あなたがたの血と涙の上に、私たちの今の暮らしがあることを感謝いたします。合掌」

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