ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

忘れてはいけない日の2、8月9日です。

2019-08-09 20:07:35 | つれづれ

 

写真は、広島の高校生が描いた「原爆の絵」の展覧会ポスター。

画像、お借りしました。

 

先日NNNドキュメントで放送されました。地元の基町高校で、12年前から続けられていることだそうで、

戦争を知らない世代の生徒さんたちが、被爆者から証言を聞き取り、それを絵にしているのだそうです。

 

絵とはフシギなものです。

原爆関連の写真は、今までにもたくさん紹介されています。

写真はまんまリアルですから、正直なところ、残酷すぎて眼を背けてしまうものもたくさんあります。

幸か不幸かモノトーンがほとんどですから、まだいいのかもしれません。

あれで実際の色がついていたら、それこそ直視できないものもたくさんあると思います。

私は長崎の原爆資料館で、熱線で溶けてくっついたガラス瓶とか、ごはん粒がそのまま炭になっているお弁当とか、

リアルなものを見ていますが、それだけでも説得力がある、なんていうことでは言い表せないほど、

強い印象が残りました。

絵は色があります。写真のリアルさがない分、少しほっとしつつ見られます。色というのは説得力があります。

たしかに眼が飛び出てるの、顔半分焼けているのと、たいへんな場面ではありますが、

「絵である」というワンクッションのおかげで、じっくり見る勇気がもてます。

確かに、原爆を知らない世代の若い人が描くのですから、想像画になるのかもしれませんが、

何もしらないまま勝手に想像するのではなく、証言してくれた方と話し合い、

悩んで描いて、消して、また描いて…の繰り返し。

ただの思い付きではないわけですから、それなりに胸に迫るものがあります。

毎年開催されているのだそうで、私は出来ればあちこちでやっていただきたいなと思いました。

 

また、被爆者が自分で描いた絵、と言うものもあります。

崩れた建物に押しつぶされて出られないい子供が助けを求めている、でも助けられない、

謝りながらその場を去った人が、今でもそのときのことを夢に見ると…。

ふと思い出しました。あの阪神大震災のとき、火災が広がってきたのに体が挟まって出られない家族を

なんとかたすけようとしてもどうにもならない…火が迫ってくる中で、動けない人が「もぅえぇから、逃げて」と。

引きずられるようにしてその場を離れさせられた人は、今もきっと後悔や悲しみの思いを消せずにいるのでしょう。

東北震災のときにも、波に流されていく家族を助けられなかったことを、いまだに重く背負っている人もいるでしょう。

どうにもならない、運命としかいえない「生と死」の分かれ道。

 

天災は、避けられないこともたくさんあります。あの時もっと早くに逃げていれば、とか、もう少し手を伸ばしたらとか、

そんな後悔を持つことがあっても、なにしろ津波も地震も避けようがありません。

でも「戦争」は違います。アレは人災です。なんであんな恐ろしい爆弾を、人の上に落とすことが出来るのか。

落とした人は「英雄」と呼ばれ、自分は命令に従い、任務を遂行したのだと、胸を張っていえるのでしょう。

でも、その爆弾を作ったのも、落とせと命じたのも人間です。

それは「止めようと思えば止められるもの」です。

戦時下においては、国を守るため、という大義名分があります。いまここでその是非を論じるつもりはありませんが、

いろいろなことの絡まりが、闇へ闇へとことを進ませていった結果が、ヒロシマでありナガサキです。

「わかったでしょ。こうなるのですよ」ということを、しっかり見据えていかねばなりません。

今の日本は、たくさんの問題を抱えているとはいえ、爆弾や地雷におびえることはありません。

実はそれは、たくさんの犠牲者の上に成り立った「奇跡」なのだと、自覚したいと思います。

このさきも、本当に「過ちは二度と繰り返さない」ことです。

戦争を知らない若者が、悩みながら考えながら描いた「原爆の絵」。

証言してくださる方たちの年代は進み、もうじきに「経験者」はいなくなります。

だからこそできるだけたくさんの「証言」をしっかり残し、それを伝えることが、

今を生きる私たちができること、だと思っています。

 

長崎のたくさんの犠牲者に、合掌。

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