子供の羽織は、たとえば七五三などでもだいたい「小袖」ですが、
これは今では珍しい「広袖」の羽織です。
ご存知と思いますが、念のため「小袖」とは、手が出る分だけの袖口のもの、
「広袖」はフルオープンのもの、です。
柄は鎧の「草摺」からとったものと思います。
鎧というのは、名称がややこしくて、同じようにできているものでも、
つける部位によって名前が違ったりします。
ええと、鎧の写真を探し出して、ほんっとにおおざっぱに写してみました。
「袖」は時代によっていろんな袖が出てきます。
この袖の部分と「草摺(くさずり)」の部分は、同じ作り方です。
この袖の部分や下のスカートみたいなのが「草摺」ですが、
これはぱっと見ただけでは、ただの派手な紐の組み合わせのように見えます。
実際には「小札(こざね)」というものをたくさんつなぎ合わせてあります。
西洋の鎧は、大きな金属板を体の形に合わせてすっぽりとカバーするタイプですが、
日本の鎧は、体を自由に動かせることが前提で、体の上からカバーするタイプ。
「草摺」の部分は、小さい板を細かくつなぎ合わせて、
体の動きに添うように動かせるものを作ったわけです。
小板の素材は、革をつき固めてかたくしたものや金属の板で、
使われる部分によって形や大きさが違いますが、親指くらい…とかそんなもんです。
この板に小穴を並べてあけ、その穴に皮ひもを通してまず横につなぎ合わせます。
最後にそれを縦につなぎ合わせますが、このとき使われるのが「組みひも」です。
これを「威(おどし)」といいます。
表側にこの組みひもがずらりと並ぶので、色がきれいに見えるわけです。
戦記モノなどを読むと「緋威(ひおどし)の色も鮮やかに…」なんて表記があります。
この「緋威」は緋色の組みひもでつないであるということです。
文字で書いてもわかりにくいので、ケンメイに探しました、ありましたよぉ作り方。
こちらです。ものすごく手がかかっているのがわかると思います。
この羽織の柄は、その「おどし」の部分が緑色、「翠威」とでもいうんでしょうかねぇ。
実際の鎧では、赤の方が鮮やかだし目立つし、力強く見えますが、
羽織ですから、こういう色にしたのではないかと思います。
この「草摺」の部分は、男物襦袢の下の方のアクセント柄などでも見られます。
デザインとして面白いし、かっちりそろっていますからきれいですね。
さて、羽織の柄としては、これは大きいけどあっさりめ。
男の子の羽織って、だいたいは鷹だの若武者だのという絵羽が多いのですが、
私はこういうほうが好きですねぇ。
ところで、これだけでとんぼがヨダレたらしてほしがるわけがない…、
と思ったアナタ、読みが深いっ!…って、そんなおおげさなハナシじゃありませんが、
最初にどーっと惹かれたのは、表じゃなくて、やっぱり羽裏です。
はいお待たせしました、こちらです。
クリックするとももたろさんのとこアップになります。
♪もーもたろさん ももたろさん…ですね。
まずこのお顔がかわいいでしょう?それとちょっと覗いているお猿さんのとぼけた顔も、
尻尾ビンビン振ってそうな犬さんもかわいいですね。
黍団子も、いっぱい入ってそうですね。
これはまだ旅の途中で「きじ」がいません。後ろにさる、前にいぬ…あれっ?
お話では「まず犬、次に猿、最後に雉」でしたっけ?それとも本によって違う?
この物語は、陰陽道にあわせたものである、というお話があります。
まず「鬼」のいる方角が「北東」で、「艮(ごん)宮」といいます。
この「宮」は、東西南北を八つに分けたもの。
更にその中が三等分されてまして、艮宮は「丑・艮・寅」と三等分されています。
よく「鬼門」を「うしとらの方角」というのはこの「丑(うし)と寅(とら)」のため。
この鬼門の反対側、裏鬼門が「南西」で「坤(こん)宮」、これが「未・坤・申」、
ここにお猿さんがいるわけです。そこから左に酉(鳥)、更に左に戌(犬)、がいます。
つまり、本来はまず猿で、鳥で、犬…ですねぇ。
桃太郎はなぜ桃か、これはこの前お話いたしました「破邪」の力があるからです。
奈良平安の昔、都を作るのには必ず「風水」を用いました。
京都は、その理想的な土地だったわけですが、鬼門は消しようもありませんから、
鬼門の方角にお寺を建てて「護り」としました。それが延暦寺。
この延暦寺にも「猿像」があります。つまり、鬼門に更に猿を置いて「魔よけ」にしたんですね。
とまあそういうわけで、桃太郎などのお話を柄にするのは、
鬼退治で宝物を手に入れる…だけでなく、魔を払い、鬼を退け、身は栄える…という
ちっと欲張りな柄なんですねぇ。
この絵は、細かいことを言えば…ももたろさん顔デカだし、犬と猿の大きさ比率が?だし、
でもま、手描きの一品であることにはまちがいなく、おまけにこれ「無双羽織」です。
羽織の紐も色をあわせているんですよ。組み方の名前はわからないのですが、
手綱のように見えますから、これは「武将」のイメージでしょう。
子供の着物としては、ほんとに贅沢な一枚ですね。
どんな御曹司が着たのでしょうか。紋は「抱き柏」です。
これを着た男の子の傍らにいたお母さんは、どんな着物を着ていたのでしょうか。
お父さんは誇らしげに、じじさまばばさまは糸になるほど眼を細めていたでしょう。
年代ははっきりわかりませんが、戦前のものであることは確か…。
いいことばかりではなく、悲しいこともつらいことも、潜り抜けてきたのでしょう。
ももたろさんはほほえむだけで、何も語ってくれませんが、
縁あって私のところに来てくれた羽織、このまま大事に保存しようと思います。
あっ着られますので、レンタルすることについてはやぶさかではございません。
これは今では珍しい「広袖」の羽織です。
ご存知と思いますが、念のため「小袖」とは、手が出る分だけの袖口のもの、
「広袖」はフルオープンのもの、です。
柄は鎧の「草摺」からとったものと思います。
鎧というのは、名称がややこしくて、同じようにできているものでも、
つける部位によって名前が違ったりします。
ええと、鎧の写真を探し出して、ほんっとにおおざっぱに写してみました。
「袖」は時代によっていろんな袖が出てきます。
この袖の部分と「草摺(くさずり)」の部分は、同じ作り方です。
この袖の部分や下のスカートみたいなのが「草摺」ですが、
これはぱっと見ただけでは、ただの派手な紐の組み合わせのように見えます。
実際には「小札(こざね)」というものをたくさんつなぎ合わせてあります。
西洋の鎧は、大きな金属板を体の形に合わせてすっぽりとカバーするタイプですが、
日本の鎧は、体を自由に動かせることが前提で、体の上からカバーするタイプ。
「草摺」の部分は、小さい板を細かくつなぎ合わせて、
体の動きに添うように動かせるものを作ったわけです。
小板の素材は、革をつき固めてかたくしたものや金属の板で、
使われる部分によって形や大きさが違いますが、親指くらい…とかそんなもんです。
この板に小穴を並べてあけ、その穴に皮ひもを通してまず横につなぎ合わせます。
最後にそれを縦につなぎ合わせますが、このとき使われるのが「組みひも」です。
これを「威(おどし)」といいます。
表側にこの組みひもがずらりと並ぶので、色がきれいに見えるわけです。
戦記モノなどを読むと「緋威(ひおどし)の色も鮮やかに…」なんて表記があります。
この「緋威」は緋色の組みひもでつないであるということです。
文字で書いてもわかりにくいので、ケンメイに探しました、ありましたよぉ作り方。
こちらです。ものすごく手がかかっているのがわかると思います。
この羽織の柄は、その「おどし」の部分が緑色、「翠威」とでもいうんでしょうかねぇ。
実際の鎧では、赤の方が鮮やかだし目立つし、力強く見えますが、
羽織ですから、こういう色にしたのではないかと思います。
この「草摺」の部分は、男物襦袢の下の方のアクセント柄などでも見られます。
デザインとして面白いし、かっちりそろっていますからきれいですね。
さて、羽織の柄としては、これは大きいけどあっさりめ。
男の子の羽織って、だいたいは鷹だの若武者だのという絵羽が多いのですが、
私はこういうほうが好きですねぇ。
ところで、これだけでとんぼがヨダレたらしてほしがるわけがない…、
と思ったアナタ、読みが深いっ!…って、そんなおおげさなハナシじゃありませんが、
最初にどーっと惹かれたのは、表じゃなくて、やっぱり羽裏です。
はいお待たせしました、こちらです。
クリックするとももたろさんのとこアップになります。
♪もーもたろさん ももたろさん…ですね。
まずこのお顔がかわいいでしょう?それとちょっと覗いているお猿さんのとぼけた顔も、
尻尾ビンビン振ってそうな犬さんもかわいいですね。
黍団子も、いっぱい入ってそうですね。
これはまだ旅の途中で「きじ」がいません。後ろにさる、前にいぬ…あれっ?
お話では「まず犬、次に猿、最後に雉」でしたっけ?それとも本によって違う?
この物語は、陰陽道にあわせたものである、というお話があります。
まず「鬼」のいる方角が「北東」で、「艮(ごん)宮」といいます。
この「宮」は、東西南北を八つに分けたもの。
更にその中が三等分されてまして、艮宮は「丑・艮・寅」と三等分されています。
よく「鬼門」を「うしとらの方角」というのはこの「丑(うし)と寅(とら)」のため。
この鬼門の反対側、裏鬼門が「南西」で「坤(こん)宮」、これが「未・坤・申」、
ここにお猿さんがいるわけです。そこから左に酉(鳥)、更に左に戌(犬)、がいます。
つまり、本来はまず猿で、鳥で、犬…ですねぇ。
桃太郎はなぜ桃か、これはこの前お話いたしました「破邪」の力があるからです。
奈良平安の昔、都を作るのには必ず「風水」を用いました。
京都は、その理想的な土地だったわけですが、鬼門は消しようもありませんから、
鬼門の方角にお寺を建てて「護り」としました。それが延暦寺。
この延暦寺にも「猿像」があります。つまり、鬼門に更に猿を置いて「魔よけ」にしたんですね。
とまあそういうわけで、桃太郎などのお話を柄にするのは、
鬼退治で宝物を手に入れる…だけでなく、魔を払い、鬼を退け、身は栄える…という
ちっと欲張りな柄なんですねぇ。
この絵は、細かいことを言えば…ももたろさん顔デカだし、犬と猿の大きさ比率が?だし、
でもま、手描きの一品であることにはまちがいなく、おまけにこれ「無双羽織」です。
羽織の紐も色をあわせているんですよ。組み方の名前はわからないのですが、
手綱のように見えますから、これは「武将」のイメージでしょう。
子供の着物としては、ほんとに贅沢な一枚ですね。
どんな御曹司が着たのでしょうか。紋は「抱き柏」です。
これを着た男の子の傍らにいたお母さんは、どんな着物を着ていたのでしょうか。
お父さんは誇らしげに、じじさまばばさまは糸になるほど眼を細めていたでしょう。
年代ははっきりわかりませんが、戦前のものであることは確か…。
いいことばかりではなく、悲しいこともつらいことも、潜り抜けてきたのでしょう。
ももたろさんはほほえむだけで、何も語ってくれませんが、
縁あって私のところに来てくれた羽織、このまま大事に保存しようと思います。
あっ着られますので、レンタルすることについてはやぶさかではございません。
戦前のものの方が大胆で現代的といいつつ
親御さんの愛情、袖を通したお子のすこやかさがすけて見えるようです。
色もきれいですね。
兜とか鎧の柄は今でもよく見ますが、
こんな風に形じゃなく部分的なのは
初めて見ます。
羽裏の桃太郎さんふっくらしたお顔で
可愛いですね。
たった一枚の別注だったので寸法等は先方の指示通り。
彩色の色はもっと濃いめで、深い緑と茶色が印象的でした。
余りに似ているのでビックリでした。
しかし、隣に置けばもっと違っているのかも知れませんが。
感謝しております。
どんな坊ちゃんが着たんでしょう。
羽織紐は観世縒り(観世組)かしら。
ネジネジ1本の観世縒り、涼しげで大好きです。
言われてみれば手綱のようですね。
今よりずっとモダンだったりして、
びっくりします。
洋服もいいけれど、こんな着物で
子供をかざってやりたいなんて思います。
私も子供の柄では、こんな柄は初めてです。
地味な色ですが、柄自体は大きくてハデですね。
桃太郎さんを見ていると、ついニコニコしてしまいます。
帯では鎧柄を持っていますが、
着物ではありません。
なかなかのデザインだと思います。
いまだにこの柄が生きていることがうれしいですね。
お楽しみいただけてなによりです。
観世組、お知らせいただいて
ありがとうございます。
調べましたら、まさしくそれでした。
手綱のようにみえるので、
男の子でも色を使う羽織紐にしたのだと思います。
ちょっと色がさめているのが残念なんですが…。