ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

おはしょりのナゾ???

2005-11-07 23:49:22 | 着物・古布

古い写真ですが、昭和27年の「和服裁縫大全集」という本の、1ページです。
着物や帯は基本的にあまりかわっていませんが、髪型は今の方がハデですね。

さて、ここで見ていただきたいのは、二人の帯の下のところ。
三歳のコは赤、七歳のコは黄色の、それぞれ帯とは違うものをしめています。
これが「しごき」です。先日私の七歳の時のものを「敷物」がわりに使いました。
今ではすっかり「お飾り」になってしまっていますが
本来は何に使ったのでしょうか・・・。

実はこれがあったから「おはしょり」ができたんですね。
昔は、家の中では、着物はそのままだらーっと着ていました。
で、外に出るときは帯の下の着物をたくしあげて、この「しごき」で縛って
あまった部分を「ブラウジング」させて歩きました。
この「ブラウジング」部分が「おはしょり」というわけです。
文字通り「下にすれないようにはしょった」んです。
浮世絵の美人画を見るとよくわかるのですが、みんな帯の下にもう一本
ひらひらと紐をしめています。これが「しごき」です。
つまり、今は先におはしょりをして帯を締めますが、
昔は帯をしめてから必要に応じておはしょりをしたわけです。
もちろん、着物の着方というのは住む地域、その人の身分や職業などで、
いろいろありますし、個人の好みや工夫で、別の着方もありましたけれど、
元々は・・という意味で、そういうことなのです。

なんか、今といろいろ違いますね。
着物の歴史は、実にさまざまな変化をしていますが、全てその時代の
社会情勢とか、政治のありようなどによって、生活がかわり、
考え方がかわり・・、ということの影響で、変化してきたわけです。
「変化」のスピードは開国して、急激に早くなりました。
女性は髪を結わなくなり、襟をそんなに抜かなくてもよくなった、
コレだけでも着方は変わりますね。
更にいろいろかわって、今のような着方ができあがったわけです。
ずいぶん説明をはしょっちゃいましたが、とにかく幕末・明治の頃まで
残っていた「本来のおはしょり」もなくなりました。
そして、昭和は昭和の「暮らし」にあった変化や工夫をしたわけです。
母からもらったこの本には「羽織下帯」の作り方、というのがでてきます。
帯はみんな羽織の下でしょう・・はいそうです。でもこれは
羽織の下に締める帯、という意味ではなく、「この上に羽織を着てしまえば
帯をちゃんとしめなくてもよくてラクですよ」という帯なんです。
半幅程度の帯の両端を三角に折って、紐をつけたものです。
つまり「昔は家にいるとき、引きずりで着物を着ていて、
しごきはタスキに使って、袂がジャマにならないようにしていた」、
という工夫をしたのと同じように、家では普通の帯を締めないで、
この「帯もどき」をゆったり締め、ちょっと買い物・・のときは、
この上に茶羽織などを着てしまえば、帯をしめているように見える
という工夫をした、ということです。

もし、今でも着物を着る暮らしをしているヒトがたくさん残っていたら、
別の工夫が生まれたかもしれません。しかし、和服は洋服に席捲され、
いまやそれで暮らすものではなく「特別に着るもの」になってしまいました。
結局「花嫁衣裳」のようにキチンと着ること、が残ってしまったのですね。
家にいるときは・・がなくなっちゃったわけです。
母は、袖がジャマだから、と普段用の着物は元禄にしたり、
割烹着やひっぱり(作務衣の上着のような形のウールや木綿の上着)で、
古くて落ちないシミのある着物などうまく隠して着ていました。
すべりの悪いウールの着物の下半身だけにウラをつけてすべりをよくしたり、
裾の傷んだところを切り取って男物のように「対丈」にしたり・・。
着物が生活着であったころは、そうやってラクに着ること動きやすくあること
それを考えることは当たり前のことだったのです。
着物が特別のものになってしまった今、キチンと堅苦しくしか着られなくなって
「いろいろな着かた」を見られなくなりました。
「着物って苦しいじゃない」という声を聞くたびに、苦しくしてしまったのは、
結局日本人自身なのだ・・と思い、残念でならないのです。
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