
まだ松の内ですので、お福ちゃんにもお正月の晴れ着を…。
お引きで着ていたころの「両褄柄」の留袖です。
襲の白い着物が、そのまま綴じ付けてあります。
全体はこちら。
鶴の羽とか菊の花びらなどに刺繍があります。
もちろん「手刺繍」ですね。

下前の菊には刺繍がありませんが、色鮮やかです。

きれいなんですが、ダメージがあちこちにあります。
たとえば「鶴さん」の白いところにうっすらとシミ…。

そのほか背縫いのあたりだけヤケていたり、刺繍の金糸が緩んでいたり…。
この留袖、紋のところに和紙が縫い付けてありまして、
大切にされていたもののようなのですが、
長い年月、同じ思いで大切にはされてこなかったらしく、
お尻のあたりに大きなシミがあったりで、とても残念な着物です。
もし、状態がよかったとしても、イマドキこういう留袖をほしがる人は、
「着る」ためより「加工」のための方が多いでしょうね。
ヤフオクでも、ショップでも、前柄の華やかなものほど売れています。
まだ使える部分だけでも使っていただくのは、
着物にとってもシアワセなことだとは思いますが、
状態よかったら「留袖」として着られたらいいですねぇ。
これはすぐにヤケがきますので、記念写真?のあとは、普段着に…。
以前も着てもらったものですが、矢絣のお召しです。

このレース編みみたいな柄のところが気に入ってます。

これはギリギリ着られると思いますが、やや重いです。お召しですからねぇ。
せめていつもはいい加減な「帯」だけは、ちゃんとかわいく結びました。

「留袖」といえば…いつなんだーと思っていた「甥っ子」が、
昨年の暮に結婚しました。そのときがきたら「色留袖」を考えていたのですが、
ちょうど母も息子も…の時期で京都まではちと遠い…。
向こうも「大丈夫だから」と言ってくれたので、実家も我が家もパスしました。
こじんまりのパーティーだったそうです。
彼は、いつも京都でお世話になるイトコの息子です。
ここに越してきてまもなくに、親子三人(母親、彼と妹)でやってきました。
イトコは離婚して女手ひとつで彼らを育てていました。
妹のほうはいわゆる明朗快活、当時16歳くらいでしたか…。
彼は「寡黙なオトコ」でした。当時高校3年生くらいだったと思います。
しゃべらないといっても、ふてくされているわけではなく、
聞いた事にはちゃんと答えるし、出したお茶を行儀よくすすっていました。
そのとき息子がいましたので、私は話をしながら息子にジュースを飲ませたり、
途中で「ごめんねー」と、衝立の影でオムツ交換したり、やっていました。
イトコが「子とんぼちゃんいるし、おばさんたいへんやから…」と、
彼らをつれて小一時間で、実家のほうへ移動していきました。
それから何ヶ月かたって…イトコから電話があり、
「息子が進路決めたって言うて…」と。
彼は「障害のある人の役に立ちたい」と、福祉の道をめざして
進学することにしたというのです。なんでも上の学校に行くのに迷っていたそうで。
「モノ言わん子やから、突然でびっくりしたけど、
とんぼちゃん親子見てて、感じるところがあったらしいんや」とのことでした。
彼はその後、夢をかなえて無事福祉の仕事に就いたのですが、
何かと不穏な時代に入っていまして、せっかく勤めてもリストラされたり、
思うところにいかれなかったり…。
それでも働かなければならなくて、まったく別の仕事でしのいだり…。
大変だったようです。今でも福祉関係の仕事についているようですが、
実際「薄給」なんですよね。
息子の施設でも、独身者は「結婚なんてできませーん」と言うし、
所帯持ちは「カミさんにアタマが上がらないんですよ、
向こうのほうが稼ぎがいいんだから」と笑いながら言ってます。
施設の職員の出入りも多いし、ほんとになんとかならないかと思います。
そんな状態でも、一緒に苦労してくれるというお嫁さんがみつかって、
ほんとに私は嬉しかったです。写真を見ましたら、とても美人さんでした。
新しい年、若い二人に幸多かれと祈りつつ、留袖の着付けをした午後でした。
お引きで着ていたころの「両褄柄」の留袖です。
襲の白い着物が、そのまま綴じ付けてあります。
全体はこちら。

鶴の羽とか菊の花びらなどに刺繍があります。
もちろん「手刺繍」ですね。

下前の菊には刺繍がありませんが、色鮮やかです。

きれいなんですが、ダメージがあちこちにあります。
たとえば「鶴さん」の白いところにうっすらとシミ…。

そのほか背縫いのあたりだけヤケていたり、刺繍の金糸が緩んでいたり…。
この留袖、紋のところに和紙が縫い付けてありまして、
大切にされていたもののようなのですが、
長い年月、同じ思いで大切にはされてこなかったらしく、
お尻のあたりに大きなシミがあったりで、とても残念な着物です。
もし、状態がよかったとしても、イマドキこういう留袖をほしがる人は、
「着る」ためより「加工」のための方が多いでしょうね。
ヤフオクでも、ショップでも、前柄の華やかなものほど売れています。
まだ使える部分だけでも使っていただくのは、
着物にとってもシアワセなことだとは思いますが、
状態よかったら「留袖」として着られたらいいですねぇ。
これはすぐにヤケがきますので、記念写真?のあとは、普段着に…。
以前も着てもらったものですが、矢絣のお召しです。

このレース編みみたいな柄のところが気に入ってます。

これはギリギリ着られると思いますが、やや重いです。お召しですからねぇ。
せめていつもはいい加減な「帯」だけは、ちゃんとかわいく結びました。

「留袖」といえば…いつなんだーと思っていた「甥っ子」が、
昨年の暮に結婚しました。そのときがきたら「色留袖」を考えていたのですが、
ちょうど母も息子も…の時期で京都まではちと遠い…。
向こうも「大丈夫だから」と言ってくれたので、実家も我が家もパスしました。
こじんまりのパーティーだったそうです。
彼は、いつも京都でお世話になるイトコの息子です。
ここに越してきてまもなくに、親子三人(母親、彼と妹)でやってきました。
イトコは離婚して女手ひとつで彼らを育てていました。
妹のほうはいわゆる明朗快活、当時16歳くらいでしたか…。
彼は「寡黙なオトコ」でした。当時高校3年生くらいだったと思います。
しゃべらないといっても、ふてくされているわけではなく、
聞いた事にはちゃんと答えるし、出したお茶を行儀よくすすっていました。
そのとき息子がいましたので、私は話をしながら息子にジュースを飲ませたり、
途中で「ごめんねー」と、衝立の影でオムツ交換したり、やっていました。
イトコが「子とんぼちゃんいるし、おばさんたいへんやから…」と、
彼らをつれて小一時間で、実家のほうへ移動していきました。
それから何ヶ月かたって…イトコから電話があり、
「息子が進路決めたって言うて…」と。
彼は「障害のある人の役に立ちたい」と、福祉の道をめざして
進学することにしたというのです。なんでも上の学校に行くのに迷っていたそうで。
「モノ言わん子やから、突然でびっくりしたけど、
とんぼちゃん親子見てて、感じるところがあったらしいんや」とのことでした。
彼はその後、夢をかなえて無事福祉の仕事に就いたのですが、
何かと不穏な時代に入っていまして、せっかく勤めてもリストラされたり、
思うところにいかれなかったり…。
それでも働かなければならなくて、まったく別の仕事でしのいだり…。
大変だったようです。今でも福祉関係の仕事についているようですが、
実際「薄給」なんですよね。
息子の施設でも、独身者は「結婚なんてできませーん」と言うし、
所帯持ちは「カミさんにアタマが上がらないんですよ、
向こうのほうが稼ぎがいいんだから」と笑いながら言ってます。
施設の職員の出入りも多いし、ほんとになんとかならないかと思います。
そんな状態でも、一緒に苦労してくれるというお嫁さんがみつかって、
ほんとに私は嬉しかったです。写真を見ましたら、とても美人さんでした。
新しい年、若い二人に幸多かれと祈りつつ、留袖の着付けをした午後でした。
言えない色、好きです。
大正から昭和にかけての花嫁さんのよう。
たしかお友達も黒留袖の衣装だったと思います。
鶴の柄の留袖、いつかは出会いたいと思っています。
(着る機会があるのかは置いといて;;)
古典的な、地味カワイイ~のが欲しいのですが、新品ではなかなか無いのですよね~
かといってアンティークではサイズがあれだし・・・。
難しいものです。
今年もたくさん眼福させて頂きます^^
よろしくお願い致します
左右対称に柄があるものを両褄柄って言うのですか?
昔の留袖は左右対称に柄があるんだよね、って呉服屋の若い店員さんに言ったら「そーなんですか?」って言ってました・・・(笑)
留袖、良い色柄に良い配置、一時期こういうのは古臭いと言われましたけど、誰がなんと言おうと良い物は良い!ですよね。
大柄なのに品が良くて、本当に素敵だと思います。
青の矢羽お召しも・・・
どうも私はこういうアンティークな色柄が似合わないんじゃなかろうか?と最近気が付き始めてるんですけども。
着てみたいですわぁ。
大変で大事なお仕事をしている人が報われないというの、本当に悔しい気がします。
そういう部分にこそ税金を使って欲しいですのにねぇ。
こういう染めは、ほんとになくなりましたね。
色使いが独特で、ただ「派手」なわけじゃ
ないんですよね。私も大好きです。
この留袖も、もしかしたら元は振袖で、
お嫁入りのあと、袖を切ったのかもしれません。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
鶴さんですしねぇ、ぴったりですね。
今の留袖の柄は、まさしく「留袖柄」というような
なんとなく大きいかハデか…で、
ジミかわいい、は、なかなかありませんね。
いいのとであいますように。
おつう様も、まだ先だけどいずれは「必要」!
なものですものね。
ですもんね。
今はない染め、染料も違うのだと思います。
なんともいえないやわらかさと華やかさですね。
「両褄」は、昔おはしょりをあとからする着方のもの。
家の中では、着物を長めにして、
お引きずり(芸者さんほどではありませんが)で
歩いていたころは、外に出るときたくし上げてしごきで縛っていました。
これがおはしょりの始まりです。
家の中で着物を下げると、歩くときも座るときも
前は左右に分かれますから、両方とも
同じ柄をつけたわけです。
今はおくみから前身ごろにかけて
柄が大きくなり、脇からうしろへ、だんだんと
柄が小さくなって右身頃にかけてすぼまっていく…
ですが、このころはおくみが一番柄が高いんです。
それから前身ごろから脇につながり、
背縫いを境に左右対称になるわけです。
だからこうして着ると、前は柄ばっかり、
になるわけです。ギリギリ戦前くらいまでは
残っていたと思いますが…。
今の呉服屋さんの若い店員さんでは、
知らないでしょうねぇ。
私も、もし着る機会と、着られる状態のものが
ここにあったら、絶対着ます。
今のハデさ華やかさとは、まったく違いますよね。
りら様、アンティークもの、着こなしは抜群です。
自信もってお召し下さい。
よろしければこの矢絣も・・・ヒヒヒ。
いや、これ着られるのギリギリです。
特老などでもそうですが、あんなに重労働なのに
と、いつも思っています。
財務大臣が変わるし…ほんとになんとかキチンと
してほしいものだと思います。