
昨日の留袖、トップ写真が、部分アップです。
30年以上前のものなので、まぁ今の「海外輸入品タイプ」のものよりは、なんぼかマシ…。
でもねぇ…鳳凰の足、いらなくね?と今風に言ってみる…。
これをもらった時点では、身内のためにこれを着るであろうチャンスが3回ほどありました。
しかーし…一人はいまだに嫁に行かず、一人は遠いので息子連れでは無理…でパス。
残るひとりは、私が40くらいの時にお嫁さんもらいましたが、
これが今は当たり前になってる「アットホームな結婚式」で、
横浜の小さな教会で式を挙げ、披露宴は近くの中華レストランで、円卓囲んでワイワイ。
さて、その彼らの結婚式は6月でして、しかも教会とレストランは離れています。
結婚式場のように、夏でも冷房効いてるから袷でいい…なんてわけにいきません。
母は単衣の留袖…借りるわ、と言っていたのですが、こぢんまり結婚だから、
いわゆる「平服」よりもさらに普段着でお願いします、と言われまして、それなら洋服にする…と。
私も、つれていく息子はまだちいさかったし、暑さに弱いし…はっきり言えば着物持ってなかったし…。
それで母は銀と黒のレースのおしゃれなスーツ、私は少しツヤのあるグレーのスーツで、
中にレースひらひらのブラウス…にしたのですが、いざ当日、教会の正面入り口で、
ばったりであった「新郎の母親」、しっかり袷の留袖着てまして…。
母と私は「エッ?」…しかし留袖のオカアサマはニコニコ近づいてきます。
あわてて「本日は…」と言いかけたら、その母親のほうから「本日はおめでとうございます」…???。
アンタが一番おめでたい…と、言いかけました。
結局あちらのご親族全員、外国の結婚式のように、ちょっとドレスアップした程度の洋装でした。
まぁたった一人の留袖が「場違いで」めだったこと。
知り合いの又聞きの話ですが、ある若い友人が、親族の結婚式に出たところ、
相手側のお身内が、やたらといい着物ばかりのご一族だったそうで。
あとでお嫁さんは「アナタの身内は、一目で貸衣装とわかるものばっかりで恥をかいた」と
責められたのだそうです。その「若い友人」という方も、実は花嫁さんの「遠縁」の立場にある人で、
なんでウチまで招待状がくるのだろう…と思ったくらいだったそうです。
それでも知らない仲ではないし、と、当日は本人は洋装で出席したのだそうですが、
どうやら「たくさん呼ばないとカッコがつかない…」ということで、遠縁まで声がかかったらしい…。
ほんとに、いろいろありますねぇ。
そんなこんなで、とうとう紋にかぶせた和紙もとらないまま、
30年以上も、タンスに眠っていたこの留袖…。
紋のついたものは、なかなか譲るのも難しいのですが、プロに依頼すれば、
見た目にはわからないほどの「貼り紋」をやってくれます。
男物の古い紋付などで、解いているときに「なんかここだけぱりぱりしてる」と、
そんな感じで気が付きますが、古くなっているための乾燥だったりするわけで、
新しいものは、ほとんどわかりません。
実家の紋、或いは女紋なら、夫や両親と違っても本来は問題にはなりませんが、
そのことでも「うちのと同じじゃない」などと言われたりすることもあると聞いています。
紋についての知識も薄れているために、嫁ぎ先の紋でないことを言われたり…。
我が家は柏紋ですが、ほんとは母も好きだった女紋のほうがいいんですけどねぇ。
母自身も、紋付を自分で作るような年になったら、あれこれ言う人もいるし、
面倒だから、黒羽織などは通紋にした…と言ってました。後家さんの時期もありましたしね。
黒留袖で通紋だと「あ、貸衣装」と言われがちですが、
まぁ黒羽織などは、嫁に行っても実家から持ってきたといえば、通紋で通るから…と。
私も、嫁入りに持ってきた色無地や、江戸小紋は「どこへ行っても使えるように」と、
通紋になっています。
この先、もし紋を付ける機会があったら、私は母の好きだった女紋を付けたいなぁと思っています。
まぁ留袖作ることはもうないでしょうから、万が一のそのときは「柏紋」のレンタル…かしらん。
あぁ着物って、こういう時悩ましいですね。
まぁお若い方の考え方は、そうなっていくのだと思います。
紋とか家の名前とかいうものへの執着とか、
そういったものがありませんから。
でも「どうせ先祖が適当に選んだ」…というのは、
ちょっと笑えますがさびしいですね。
昔は、庶民は苗字を持ちませんでしたから、
屋号を持ち、紋も持っていました。
名前の代わりですね。
だから「適当に決めた」かどうかはわかりませんよ。
昔は使っていいものと悪いものがありましたし、
土地を移動することが、今ほどありませんでしたから、
先祖が何らかの形で、由来をたどって決めたのかもです。
揚羽蝶は、平家系の紋として有名ですし、通紋のひとつでもあります。
ちなみに、私の母方の祖母の実家も揚羽蝶ですが、
平家の落人の家系。
これは系図や膨大な数の御位牌でわかっています。
また、母方の祖父は先祖が和歌山の人で、
商いで財をなした人だそうですが、
和歌山には多い「違い鷹の羽」です。
今の我が家の紋は「柏」ですが、これは新潟に祖先がいたらしい種の柏紋。
曽祖父の代では、すでに東京で暮らしていたらしいですから、
きっと分家して出てきたんでしょうね。
紋なんて、今の時代には「そうでなければならない」
というものではありませんが、ルーツが少しわかると、
なんか愛着が持てるものではあります。
柏紋はあまり好きではありませんけどね。
女は比較的カンタンに、替える方も多いです。
男の紋より気楽です。
嫁いでいけば変わるものだったり、
実家の紋でもよかったり、姉妹が多いと、
ちょっと変形させたりと、もともとが男の紋、
つまり「その家の紋」より、自由なものでしたから。
「デザイン的に綺麗だから、うちは揚羽蝶に決定!」と主張しています。
「名門の出じゃないし、どうせ先祖の誰かが適当に選んだんだよ」というのは
確かにそうだと思います。
今後、「揚羽蝶」で押し通せば、そのうち本当になりそう。
せっかくだから「揚羽蝶」の中でも素敵な紋を探そうかと思います。
ちなみに母方の祖母の実家まで遡れば、揚羽蝶が登場します。
助走のいる鳳凰…だったりして。
飛び立つのが下手な鳥っていますよね。
家紋もいいものだと思っていますが、
使おうとするとあれこれ…は面倒です。
もうすこし自由でもいいと思いますが…。
場が限られる着物は、行く先もなやましいものです。
紋というものが、一般庶民も使いだしたのは、
まだ近年のことですから、
決定事項はいろいろ地域性があります。
これだけ世の中が変わっても、
いまだに「関西、関東」と分けて考えることも
いろいろあります。
だいぶ交じり合ってきてはいても、
古いこと肩の張るようなことは、よけいにすんなりとは
交じり合いません。
元々は公家から始まり、武家の文化となり、
やっと庶民にまで広がってきたわけですから。
大地を蹴ったばかりで・・・っと。
「火の鳥」という鳳凰ですねぇ。
ふふふ
家紋なんて無い家に嫁いでますんで、もうやりたい放題ですわ。
というのも、なんだか寂しいんですけど。
飛んでいるなら飛んでいるらしい脚ならいいのに。
赤いので若向けかなあとは思いますが、柄としてはいいですし、いい行き先があるといいですね。
どこに行っても使えるように…私の親族関係だと、通し紋でなくても実家の紋ならどこに行っても使える、なんですが。
まあ、人には貸せませんが。
女紋ではなく、実家の女性用の紋を付けてます。
女系で継ぐ女紋というのは、どうも近畿のわりと狭い地域の風習ではないかと思います。
大阪の船場などでは、大きなお店だと息子に継がせるより娘に優秀な婿をとって継がせたとかいう話もありますし、そういう土地だからこその風習かなあと何となく思っていました。
おっしゃる通りです。
通紋は、着物での暮らしが変わってくるに従って、
呉服屋さんが後押しした…なんてことも言われているのですが、
女性なら誰が使ってもよい、という名目の紋です。
自分の家の紋や嫁ぎ先に関係なく使えるもので、
皇室関係に近い「五三の霧」
長く続くことの象徴の「蔦」(蔦はどんどん伸びますから)
劇的に変身するところから繁栄の象徴の「揚羽蝶」
などがよく使われます。
結婚が決まらないうちに準備するものについては、
相手の紋がまだわからないので、
通紋は重宝だったんですね。
本来、自前の留袖でも構わないのですが、
通紋にしておけば、誰でも着られるところから、
貸衣装でも多く使われるため、
貸衣装だと思われてしまうということがあるわけです。
元々「紋」は男子が主流でしたから、女はわりと自由でしたし、
逆に当家の紋はつけない…とかもあったようです。
女紋というのは、女性が継いでいく紋、
つまり母から娘に、その娘が嫁いで女の子を産んだら、
その子に…と伝わるものです。
男女ともに、同じ紋を付けるようになったのは、比較的
近代に入ってからのことと言われていますし、
関東関西でも習慣が違います。
全く、ややこしいことですね。
兄弟がいると、甥や姪がいますが、
我が家は二人ともひとりっこですからねぇ。
こうなったら4親等でも…なんて、
意気込んでいましたが、結局…でした。
いい年になってきましたが、最近は「会社の上司に
仲人を頼む…ということも減ってきたので、
そっち方面でも用がないんですわ。
もったいないですねぇ。
母が嫁入りの時に持ってきた着物には「丸なしの五三の桐」が付いていて、これは誰が着てもいいのよ、と云ってたのですが、
「通紋」=「五三の桐」ということでしょうか?
こんなに素敵な留袖なのに、一度も袖を
通さないままとは本当にもったいない事ですね。