トップは使いまわし写真…タイトルは「最近の若い方には人気のない着物と着方」…ですかね。
コメントで「最近のジミ傾向」というお話がでまして、私、それも気になってるんだよねぇと。
今のことだけでなく、そもそも着物の流行ってさ…というようなことからお話すると、
えー、これまた長くなりそうです。少しずつ行きましょう。
今「流行」というものは、ほんとにあっというまに広がります。
それは当然「情報の速さ」というものがあるわけで、
今は今日東京で発表されたものは、同時に日本どころか、世界中にあっというまに届きます。
ネットでなくとも、たとえばテレビ・ラジオ、そして出版物もありますから、本当に流れるごとく広がります。
情報が早い…ということはどういうことかというと、実は「ゆっくり考えているまもなく飲み込まれることがある」です。
ちょっと江戸時代までタイムスリップしてみましょう。
江戸は徳川家康が天下をとって幕府を開いてから、初めて大きな都市になったところです。
それまでは田んぼに畑、野ッ原に雑木林…とんでもなくイナカだったわけです。
古くから「都」のある京都、貿易で海外と関わりのあった大阪は、それまでに培われたものが積み重なっていました。
江戸は、町ができてから新しい文化を積み重ねていったわけです。
そして、流通で言うならば、いつも「西」が先でした。
元々武家の社会になっても「帝」は、日本で一番上の人。
これは変わりませんでしたから、日本の中心は「京都」、今の東京駅と同じで「そこから上り」はありません。
将軍でさえ、京都に行くことは「上洛」、都へ上る(のぼ)るといいました。
つまりいろんなものが、西から大阪京都を経て江戸にやってきたわけです。
でも、ひとつ何かが流行りだしても、それが江戸まで来るには時間がかかるわけですね。
江戸後期、旅が盛んになったり、名物が読み本になったりしましたが、今の速さとはくらべものになりません。
こうして全てがゆっくりと伝わり広がりするということは、そこで「練り」が入るわけです。
京都ではいいかしれんが江戸向きじゃない…とかですね。
だから江戸は江戸特有の文化が生まれました。
また、元々武家が作った社会ですから武家文化が中心で「質実剛健」とか「質素倹約」とか…。
華美や豪奢は、庶民に許されませんでした。だから逆に「裏勝り」なんて文化が育ったのです。
「伊達比べ」というお話をご存知でしょうか。
江戸の豪商「石川六兵衛」の妻お勝が、やたらと贅沢を禁止する将軍綱吉に伊達比べ(衣装比べ)を挑んだ、
というお話です。上野寛永寺に参詣する綱吉の前で、金の簾、金屏風の前に豪奢な衣装で現れ、お茶を立てた…
そのあまりの贅沢振りに綱吉は怒り、夫婦は家財没収され、身は追放になったというお話です。
実はそのまえに伏線がありまして、この六兵衛の奥さんお勝さん、京都の難波屋という豪商の奥さんが
オシャレで有名だと言うので、伊達比べを仕掛ける…そのときの難波屋夫人は、朱の繻子地に洛中図を
金糸で縫い取りした豪奢な着物で現れ、お勝さんは「黒羽二重に白で南天の枝ぶりを染め抜いたもの」、
ぱっと見れば、赤に金の細かい縫い取りの柄の方が豪華で美しい…ところが、よくよく見ると、
お勝さんの着物に描かれた南天の、赤い実の部分は全て珊瑚の粒を縫い付けたものだった…。
これでお勝さんは、勝負に勝ったと言われています。
私、この話は西と東の衣装に関する感覚の違い、好みの違いを実にうまく言い表していると思うのです。
遠く離れていればこその「はやりもの」の違い。どこで生まれたものであろうと、それを取り入れて、
自分たちの土壌にあわせる…確かに江戸文化は都の文化に比べれば、まだ新しい、
積み重ねのうすいものではあったもしれませんが、やたらどこかの何かだけを尊んで、むやみに流されない…。
確かに江戸にも都モノが流行ったことだってありますが、それは「いいもの」だから、
そしてどんなものであれ、結局は「淘汰されて、残っていくもの」が歴史となっていく…のだと思うのです。
今のハヤリは、ほんとに味わう余裕もなく、どんどん変わっていきます。
それが自分に似合うとか、それは別にまねしなくてもいいことだとか、
そんなことを考える余裕もなく「こうだ」というものがあふれ、それをなぞることで安心し、いいものだと思いこむ。
そういう危険性をはらんでいます。自身の眼や力を養う時間がありません。
確かに、洋装については、いいのかもしれません。洋装には洋装の長い歴史の積み重ねがあり、
その一番上の積み重ね、が今はやっているものだからです。しばらく立てば落ち着き、自分でチョイスできる…。
でも、何度も言うように、着物はその積み重ねを見ていない人が多い時代です。
積み重ねられてきたものを見てくれば、洋装と同じような感覚では着物はよさを引き出せないものだとか、
着物の魅力は、洋装とは違うところにあるとか、そういうことがわかるのですが…。
私は別に洋装をけなしているわけではないのです。
洋装には洋装の魅力があります。でも、基本的に全く違うもので、全く違う歴史のものを、
融和させるには、それなりのテクニックがいります。
たとえば、コーヒーの粉を、お抹茶のようにシャカシャカとあわ立てて飲んだって、おいしくはありません。
でもおいしく入れたコーヒーを、九谷焼だとか、唐津焼だとか、日本古来の美しい焼き物のカップで飲めば、
眼も舌も、おいしいコーヒーを味わうことはできます。
ちょっと昔を振り返って、どうすると着物のよさが引き出せるか、それを理解して着るものや組み合わせ、
着方を選べば、「洋」の取り入れ方も、上手にできると思うのです。
昔の人は、うまく「洋」を取り入れて、ちゃんと自分たちのものにしてきた、
そういう実績の上に、今の着物があるわけですから。
なんだかとても抽象的なお話になりました。
具体的なことは、次回といたします。
私からみれば40歳でも「娘」ですよ。
まぁ代替で言うなら30半ば位…ということなのでしょうけれど、
着物の年齢って洋服と違うんですよ。
たとえ紺地でも派手なものもあります。そこが着物のおもしろいとこなんですね。
あんまり真っ赤では、ちと勇気がいりますが、たとえば着物で派手なものも、
羽織だと難なく着られるということもあります。
着物のフシギ…そんなことも含めて、書いてみたいと思っています。
着物の基本、なんていうリクツっぽいことじゃなくて、
着物ってなんだってところから未経験だから、
あたらしいものを洋服感覚で選ぶのでしょうね。
売るほうも悪いのですよ。売るためなら伝統も無視ですから。
今記事をかいているところなんですが、洋服の感覚で選ぶと、
ちとはずれるんです。
着物の派手と言うのは、赤いからピンクだから、ではないんですよ。
私でも、着られるピンクありますし。
そのアタリが難しいところであり、たのしいところでもあるんですね。
最近のかたは小紋といってもジミですね。
今しか着られない…は、年をとらないとわからないのかも。
私は嫌でも母に着せられましたけどね。
いろんな着物を着てみてほしいものだと思います。
親は娘には「赤」と、当然のようにいいますね。
自分が着られなかったから、というのもあったみたいですよ。
母の年代は戦争でしたからねぇ。
私も濃い色が多いのです。びんぼー性で、汚れめだたないし…って。
八掛や小物でやさしい雰囲気にはできますが、羽織を優しい色にするという手もありますよ。
色の細かいお話に到達するまでに、ちとかかりそうですが、
それでご参考になることがあればいいんですが…シンパイ。
何をどう組み合わせても、母や祖母から
「あんたって地味好みよね」「まだ若いんだから、もっと派手にしたら?」と
言われる私は40代半ばです…。
そりゃあ祖母や母と比べたら、いつまででも「若い」です!
タンスに入ったままの花柄や朱色地の小紋を
今後どうやって着るか(着てみたい気はします)頭を悩ませています。
帯や半衿、羽織などで対応できるとよいのですが。
1歩間違えると「狂い咲いたおばさん」になりそうで怖いです。
色目というのは気になっていました。
特に成人式に目にする晴れ着。
あの感覚はなんだろうととても違和感を覚えていたのですが。。。。
若い方にはその時にしか着れない物を着てほしいと思うのですが。。。
私は洋服も着物も黒系がいいなんて暗いですが、こういう明るい柄のもかわいいですね~。30代はどうなのかしら、色は控えたほうがいいのかしら、若い人の基準がよくわかりません。
地味好みもいいけれど、お若い方には
こういうのを着てほしいですね。
良いですねぇ 珊瑚はいらないけれど
結婚前は 親にお任せ というより
完全に親の好みで揃えた物ばかりで
「若い子は赤系」と決まっているのかと苛立つほど
呉服屋さんも親も「ローズ系か朱系のいずれにしても赤!」
自分で誂える様になってからは
洋服の好みと同じに 黒・濃茶・濃青ばかり。
年を重ねた今になって 優しい色も良いのでは?
と思う様になりました。
さて この先最小限のプラスでどの様に変化できるか
次回の日記が楽しみです
あれ 違う