タイかラオスで日本語を教えるのも面白いかなと考えたりしている。実際、ラジャパットで1回生のクラス40人余に授業をし、個人的には何人もの人に教える機会があった。その時のテキストで多く使ったのが青年協力隊からもらった「日本語好き好き」である。
本格的に日本語教師をするとしたら、ハンデイが2つあると思っている。一つは関西弁、大阪と京都で60年生活して体の隅々まで関西弁がしみこんでいる、今更、共通語で日々の授業ができるだろうかという心配、2つめは2つの前歯の周辺に矯正をしなかったため隙間がある、そのため正しい発音に支障をきたすということである。
日本語教師の国家資格はないが、一般的には日本語教師養成学校で420時間の授業を受けるか、認定試験に合格することなのだが、比較的簡単なのはやはり420時間の終了をすること、日本語教師にならなくても、少し日本語教育に関わったものとして生涯学習の一環として学校に行くのも良いかなと思い、京都の学校に体験入学をした。体験の内容は文法の授業と実習の見学で夕方から3時間滞在した。(写真:日本語を教えていた高校生)
また、京都府国際センターで開催された実践講座を受講した、半日だけだが、班を作って討議する等、活気があった。そして、タイに着いた翌日に「タイ国日本語教師の会」の年次セミナーに昨年に続いて出席した、会場一杯で参加者は昨年よりも多かったように思う。(写真:タイの将棋)
日本語教育の学習会に行くとよく思うのが「文法」の学習、日本人も全く気にしない「文法」を延々とやる、思い返せば、JICA赴任前に初めて日本語を教える学習会で導入で聞かれた「京都に行く」と「京都へ行く」この違いをどう教えるかということだった。その時以来、本当にこれで日本語教育は良いのだろうか、外国人が日本語の学習を楽しいと思い、会話は上達するのだろうかと素人なりに考えるようになった、英会話ができない日本人が多いのは、学校で学習する英語が「文法」中心だからという反省があったように思うのだが、外国人への日本語教育も同じになっていないだろうかとついつい思ってしまう。