マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

今年の連休はタイ その6

2013-05-16 00:03:06 | 日記

マハサラカムあれこれ

  カウントパートの妹(従妹)は翌日からクルンテープに出張とのこと、マハサラカムに行くのが一日遅かったら会えないところだった。

 事前にわかっていたとはいえ、タイは夏休み、子どもたちは誰もいない、せめて食堂の子どもとおばさんはと思ったがソンクラン以来ずっと休んでいるということだった。

 マハサラカムに4泊したが、ラジャパットのホテルに泊まったのは最初の2日、後の2日はタカシラーホテルに泊まった、ラジャパットのホテルが満室と言われた、まさか、ラジャパットのホテルがと思ったが、その理由は卒業式の練習のため保護者が予約していたのである。5月1日から3日間、卒業式の練習が行われた。ということは5日がナコンサワンでの卒業式ということになる。

 お世話になっている教官は今年は卒業式の練習に立ち会わなくても良いようで、何かと付き合ってくれて助かった、ホテルの移動、クルンテープへ行く時のバスターミナルまでの移動等にも車を出してくれて助かった。

 初日は地域訪問に一緒に行く職員と夕食をともにした。何を食べたいと希望を聞かれたのでムーカタを希望した。在任中はよく行ったムーカタの店、価格が上がっているためか、以前のように満席ではなかった。食事場所に象が来る、この日は子象、街の中で象を見るとタイだなぁと思ってしまう。今回は毎日、象を見た。

 2日目は授業を組んだ2人と食事をする予定だったが約束の時間が過ぎても連絡がない、こちらから電話をしても出ない、この日に食事に行くことになったのは、提案されて決めたのに、久しぶりに彼女らもやはりタイ人だと思ってしまう、前日の約束はあてにならない、せめて電話ぐらいしてきたらと思うが全く連絡がなかった。夕食をどうしようかと思いつつ、ラジャパットの構内を散歩していたらセンターの3階で事務をしている男性がサイクリング中で、誘ってロータスで日本食を食べた。

 翌朝、昨日はごめんなさいと電話が入る、改めて誘われたが夕食は日本人と約束があったので昼食をとることにした。タカシラーホテルの隣で昼食をとる、店員と姉妹(友達)だと言われ、4人で食事、暑かったので自分だけビールを飲む、サービスをしてくれたのか、260バーツの支払いだった。

 マハサラカムでの4日間、ほとんどタイ語だけの生活であった。チェンマイやクルンテープは日本語でやっていけるし、英語で話しかけてくる人も多い。しかし、マハサラカムではみんなタイ語、一日中、タイ語のみの日もあり、タイ語の洪水、とてもついていけない、こんな状況で生活していたのだと改めて思った。忘れていた単語もかなり思い出した。


今年の連休はタイ その5

2013-05-13 01:15:45 | 日記

8ヶ月ぶりのマハサラカム

  マハサラカムの街の様子は変わっていた、何といっても「ロータス」がラジャパットの隣に出来ていた。JICA赴任前に「ビッグC」がモーマイ(新しい大学の街)に出来て、マハサラカムも便利になったと言われていた、そのビッグCを上回る2階建ての大きなショッピングセンターである。

  店内を教官が案内してくれた。日本食のレストランもたくさんある。「富士レストラン」「やよい軒」その他、寿司店、ラーメン店等々である。マハサラカムにこれまでも何軒か日本食レストランがあったがことごとく潰れている、バスターミナルの近くにあったお店も今回行ってみたが閉店してバリケードが築かれている。タイでは日本食がブームとはいえ、これだけのお店の経営がなりたつのだろうか、思えば赴任後、コンケーンにセントラルデパートが出来て、日本食レストランがたくさんあることに驚いたがマハサラカムも似たような状況になってきた訳である。

 このロータス、大学の敷地内から入れるのでホテルから5分ほどで行け、結局、待ち合わせや食事会等々、何度も行くことになった。

 JICA在任中に出来ていたら日々の生活にどんなに助かったか、たぶん毎日のように日本食を食べに行ったと思われる。

 クルンテープ行きのバス待合所が建て直されていると思ったら、少し離れたバスターミナルも全面的に建て替えられている。あのゴチャゴチャしたターミナルではなく、店舗も屋台も整理され美しくなっている。ただ、残念なのはきれいな建物に似合わずゴミが落ちていること、モーチットのバスターミナルのように散乱しているというところまではいかないが残念である。かなり改善されてきているということだが、まだまだ地面をゴミ捨て場と思っているタイ人が多いのも現実である。

 そして、マハサラカムにもタクシーが登場していた、コンケーン等で走っているのと同じ車体である。メータータクシーとはなっているが、実際にはメーターは使わず、交渉で料金が決まるようである。バスターミナルの近くに止まっているタクシーを見てみると、ナンバーが1番なので写真を撮らせてもらった。


今年の連休はタイ その4

2013-05-12 01:11:44 | 日記

亡くなったカウントパート

   午前6時前、クルンテープからのバスはマハサラカムに到着、すでに明るくなっている。サムローに乗り、在任中と同じラジャパットのホテルに向かう。昨年の3月末にマハサラカムを去って、8月に訪問以来で8ヶ月ぶりのマハサラカムである。ホテルまでのサムローから見る景色は懐かしい。

 今回のタイ旅行の最大の目的は、マハサラカムに行くこと、JICA在任中のカウントパートの大学教官の女性が亡くなったのでお参りすることである。

 彼女は病気がちで在任中に入院することもあり、任期後半は決まった授業は持っていなかった。それでも在任中は最も長い時間一緒にいた人であり、何かとお世話になった。コーラが大好きでよくおごってもらったりもした。

 彼女が亡くなったのは昨年の11月30日の夕方、ラジャパットで最も高い建物の本部棟の15階からの飛び降りだった。スカイプをしていたらセンターの教員から連絡が入ってわかった。3月に正味5日間の訪タイがあったが、ゆっくりと行きたいという思いもあり、ちょうど月命日にマハサラカムに行けるよう今回の旅行の日程を組んだ。

 夜行バスで来たので午前中は部屋で休もうと思っていたが、よくお世話になる教官が予定よりも早く来られたので一緒に出かけることにした。

 亡くなったカウントパートの妹(従妹)もラジャパットに勤めており、カウントパートと一緒に大学の宿舎に住んでいる。在任中は日本語を教え、タイ語を教えてもらっていたのでよく知っている。できたら宿舎も訪問したいと思い、昼休みの時間帯に職場に行った。お悔やみを言って、宿舎は夕方ということになって5時に再度職場に行くことになった。その後、教官が現場を案内してくれた。

 夕方、宿舎に案内してもらった、写真はカウントパートの娘さんが飾っているということで部屋にはなく、小さな仏像がおかれて祭壇になっていた。お供えとともに京都の土産を彼女に渡した。

 翌日、現場に花を供えようと思ったが、センターの職員から現場へのお供えは禁止されていると言われ、せめてと思いコーラを置いてきた。コップが現場にあり、誰かも同じようにしたのではないかと思われる。

 いつも自分の姿を見かけると名前を大きな声で呼んでくれていたのが懐かしい、昨年8月に訪問した際も最初に姿を見つけて、センターの前庭から呼んでくれたのが思い出される。


今年の連休はタイ その3

2013-05-08 00:41:48 | 日記

チェンマイ最終日

 泊まったホテルは「トップノースホテル」、どこのホテルでも良かったが、市内散策に便利なところと堀の中にあるホテルというだけでインターネットで予約した。ゲストハウスを大きくした感じだがプールもある。ファランが泳いだりベンチに座ってのんびりしている、中国人も見かけたが結局、日本人には一人も出会わなかった。

 8時30分、ツアーのワゴン車に乗る、一人乗車に13人乗りの新車のワゴン、何かもったいない、ドイステープの手前で小さな車に乗り換える、モン族の村まで道が狭いためという説明、モン族の村は思った通り観光化され、見学場所のほとんどが土産物屋である。それでも初めて「ケシの花」を見られたのは良かった、以前はケシの栽培で生計をたてていたという説明であった。

 王室の離宮は美しい、チェンライでも同様の離宮に行ったが、国王の母親の離宮で花はチェンライの方が多かった。

 少し時間があったのでドイステープ寺院にも寄ってもらった、昨年の2月、ラジャパットの学生たちと一緒に来ているので1年ぶりの訪問となった。相変わらずの大勢の人である。

 夕方の航空機でクルンテープに飛ぶ、もともとはチェンマイからバスでマハサラカムに行く予定をしていたが、チェンマイからマハサラカムまでのバスは約14時間かかる、腰の具合も良くないし、高くつくがクルンテープへ飛行機で戻って、モーチットからバスに乗ると7時間だし、乗り慣れたバスなので眠れるしとチェンマイに着く前に決め、到着時に空港で航空券を購入した、オリエント・タイ航空、初めて乗る会社で着陸地は昔懐かしいドンムアン空港である。ドンムアン空港からだとモーチットのバスターミナルも近いという判断もあった。

 モーチットのバスターミナルに着いたのは7時、早くにマハサラカムに着いても困るので22時35分発の最終で行くことにした。バスターミナルで3時間半待つこととなった。コンビニで簡単な食事を買って待つことにした。


今年の連休はタイ その2

2013-05-07 02:21:42 | 日記

チェンマイを歩く?

 暑いけど、チェンマイの街の様子を知ろう、そのためには歩くのが良い、と帽子をかぶり街にでる。できるだけ日陰を歩くように心がけるが、あまりの暑さにすぐにリタイア、前日と同じくマッサージ店へ、歩いた時間の倍以上の休息を経て、地図を片手に歩くが、小さな工場街へ、お昼を食べる場所がない、レストランはないかと探していると、ゲストハウスがあり、何とかかなり遅い目の昼食を食べる、限界と歩くことをやめトゥクトゥクで帰ることにした、ナイトバザールの場所を通過中、近くに日系の旅行会社があることを思い出しその場所で降ろしてもらった。

 旅行会社で歩くのをやめて翌日のツアーの相談をする。条件は午前中の半日、これまで行ったことがない所ということで探す、結局、ドイステープを過ぎた所にあるモン族の村と国王の離宮に行くことにした。4時間のコースで客一人に日本語ガイドがついて入場料金も含めて2000バーツであった。

 旅行会社の女子店員が「パイソーン」と言っている、聞き慣れた言葉だが何の意味だがすぐに思い出せなかったが、2回目に言われた時に「送っていこう」という、「モーターサイ大丈夫か」と言われ、「OK」と返事、バイクの後ろに乗せてもらってホテルに、しばし休憩して土曜市場に行くことに、夕方になったので、歩いて行く、20分ほど歩いて市場に、すごい人、ファラン等の外国人も少し見かけるが、圧倒的にタイ人、観光客が多いチェンマイ・ナイトバザールとはかなり異なる、売っている物は他の街のナイトバザールと同じ感じ、急遽、知人と待ち合わせて屋台で食事をとる、人が多すぎてなかなか前に進まない、知人とも別れて、早い目にホテルに戻り休むことにした。