すいーと雑記帳

とっこの独り言

慰霊の日

2011-06-24 12:29:02 | 日録・雑感など
6月24日 FRI  30℃ 

台風5号が近づいているせいか、昨夜から風が強くて涼しすぎるぐらいです。

昨日は、沖縄戦末期、牛島中将が自殺して日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる1945年6月23日(一説に22日)から66年目の「慰霊の日」でした。
県内の学校、役所などはお休み。母のかかりつけのKクリニックもお休みでした。

母の体調もイマイチだったし、昨日は静かにおうちにいて、正午に、二人で黙祷をしました。

県民の4人に一人が犠牲になったという苛烈な沖縄戦から66年。
昨日は、沖縄の各地で戦没者慰霊祭が行われました。
(沖縄タイムス2011.6.24)

(同上)

QAB琉球朝日放送
2011年6月23日「戦後66年 祈りの一日」(ニュース動画

戦後66年も経った今も、県内の多くの場所と人々の心に戦争の傷跡がなまなましく残っている沖縄なのに、ほんの数日前に、その沖縄の頭越しに、日米政府は「普天間飛行場の辺野古移設 V字滑走路建設」を勝手に決めてしまいました。
他にも「先島諸島への自衛隊配備」「沖縄にオスプレイ配備」「高江ヘリパッド建設」等々を次々に決めては、負担をすべて沖縄に押し付けてきます。
一体沖縄の人々のことをどう考えているのか、理解に苦しみますし、何回言っても言い足りないぐらい腹がたちます。

昨日も菅首相が沖縄に来て、全戦没者慰霊式で挨拶文を読んでいました。
その直前に浦添市N中学2年生の女の子が読んだ「幸せの1枚」という、教師だった祖母と教え子たちのことを書いた心のこもった文章、切々とした内容を聞いた後だけに、菅首相の挨拶は、文字通り「空疎」そのものでした。

今までも歴代首相が、戦没者慰霊式に参列して、亡くなった人たちに「哀悼の意」を表し、今なお沖縄に基地の大部分を置いていることを「慙愧の念に堪えない」なんて言うのだけれど、こんなに実態とかけ離れた空しい言葉はありません。

戦争の犠牲になって亡くなった沖縄県民の方がたに、本当に「哀悼の意」を表したかったら、また政治家として人間として「慙愧に堪えない」のだったら、せめて必死にアメリカ政府と交渉して、普天間基地の一つでも即時閉鎖するか、または本土へ引き取って沖縄の負担を軽減して欲しいものだと思います。
昨今のヤマトの政治家の言葉は完全に死んでいると感じます。

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那覇新都心で事件です。


私もしょっちゅう行く那覇新都心サンエー前で、信号待ちをしていた若い男性が、見知らぬ若い男にわき腹をさされて重傷ですって!!
こわいね~! 私も常に周囲に気を配っていないと・・・ボ~ッとして自転車に乗っていたらあかんわね。

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