すいーと雑記帳

とっこの独り言

嘉手納基地、「安保の見える丘」へ

2009-10-12 19:53:04 | 日録・雑感など
(10月12日 MON)  28℃

那覇でも涼しくなって、夜は窓をごく細く開けて寝るぐらいになりました。

今日、昼食後、チョイさんの運転で嘉手納基地のすぐ横にある「安保の
見える丘」に行きました。

いやはや、あまりの広大さに言葉をなくして、溜息がでましたね。

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以下は、チョイさんの撮った写真・文など、彼のブログから転載します。

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午後、時間が空いたので、未だ行ったことがなかった嘉手納基地の「安保
の見える丘」へ向かった。

 
(安保の見える丘から)


58号線を北に走ると、キャンプ・キンザーを過ぎて、右手に普天間基地
が現れる。基地のフェンスが途切れることなく続く。英語の派手な看板を
掲げた店が並び、ここはいったい何処の国かと思う。

北谷町に来ると、右手はキャンプ桑江。そして、すぐに広大な嘉手納基地
に沿って走る。両側にフェンスが続く。もう、あきれるような広さだ。

嘉手納ロータリーを右に曲がる。嘉手納基地は、高い遮音壁にさえぎられ
てまるで見えない。

すぐに「嘉手納道の駅」に着く。
4Fに基地を見下ろす展望台があり、眼下に基地が見下ろせる。そして、
その前に反戦地主さんが所有する小高い丘、「安保の見える丘」がある。



(着陸してきたのは、F15戦闘機か?)
 

嘉手納基地は、3700mの滑走路を2本持つ米軍の極東最大の基地。
ここだけで、2万人もの軍人、家族らが暮らしている。

時々、戦闘機が着陸してくる。それにしても広い。
これだけ広い滑走路を持ちながら、すぐ近くの辺野古に、何故、新た
な滑走路が必要なのかと思う。


道の駅の3Fには、嘉手納町が作った資料館がある。


米軍機の離発着時の耳をつんざくような爆音が体験できる。
「うるさ~い!」



嘉手納基地からの油が混ざった汚水のため、集落の井戸水も汚染され、
火がついたという。(1967年)



1962年には米軍機が墜落。住民2人が犠牲になり、住宅3戸が全焼した。

その後も、1966年には空中給油機が墜落。住民1人が死亡。

さらに、1968年にはB52戦闘機が墜落。村民の重軽傷者16人、校舎、
住宅等365戸が被災した。

(引用おわり)

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まさに「米軍基地の中にオキナワがある」という言葉を体感した午後
でした。
なんだかぐったり疲れました!

夕食は、明日関西へ発つチョイさんの歓送会。
豚テビチ(豚足)と大根、昆布の煮込みを、朝から数時間かけて作ってあ
ったのですが、とても美味しかったです。

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