大浦勝鬨のブログ

磐笛・根竹環・法螺貝 天然笛伊都能売呼吸法奏者

あの世へゆく準備 1<4>

2018-05-16 12:45:16 | 日記


              <鳴り鳴りやまず 天の磐笛> 転期<2>青年期-20-40歳

         私が24歳の時、空手道、華道、謡曲に励んでいた頃。 第2回全日本空手k道選手権
         大会で準優勝した時<昭和37年>の頃、 奇しくも合気道の開祖植芝盛平翁に出会った
         その時の問答。   「先生私も合気道を学びたいと--」 「先生曰く、空手道の内に
         合気の精神を編み出せと--」  私はやる気満々**** 暫くしてから先生曰く--
             「君には無理だと」  私はガクン となりましたが、この時ふと͡故中山力松
         大本宣伝使<吾が師> の言われていたことを思い出しました。

         「植芝先生も出口王仁三郎聖師にたち向かって行くと、赤子同然。 「植芝͡コイ-」と
         言われ、植芝先生が聖師に立ち向かって行くと、聖師が鎮魂印を結んで「ウン ウン」と
         言うだけで飛ばされていた。 「何回やっても同じだった」と---この時私は信仰に勝る  
         ものはなにものも無いと、改めて思いなをしました。

         その後大本の大道修業を、亀岡大本本部で7日間受講する。--講義内容は中学の時に聞い
         た内容とほぼ同じでしたが、感じ方が全然違いました。--本部長から光を貰ったね、と
         言われたが、何の事か解りませんでした。

              *神戸にて 空手試合で 指を折り 一念発起 初修業受ける。

          
              合気道開祖-植芝盛平翁<78歳 自衛隊伊丹駐屯地に見えた時の勇姿

         

         

         

         

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