快読日記

日々の読書記録

「罪と罰」本村 洋/宮崎哲弥/藤井誠二

2009年10月17日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
《10/14読了 イーストプレス 2009年刊 【社会 犯罪 鼎談】 もとむら・ひろし(1976~)/みやざき・てつや(1962~)/ふじい・せいじ(1965~) 》

「犯罪というのは考えていけばいくほど、まともな答えが出てこない」(166p)
「犯罪が起こった瞬間に絶対修復できないような何かが起こってしまうんです。二度と取り除けない何かが」(同p)
どちらも光市母子殺害事件の被害者遺族・本村さんの発言です。
彼は決して"お前らに俺の気持ちが分かるか!"とは言わない。
だからこうした対話の場に出てこれるわけです。
犯罪や戦争などで傷ついた人たちが日常を取り戻す一歩を踏み出そうとするときに、
"この苦しみは俺にしかわからない"と口にした瞬間、あらゆるチャンスを失うような気がするんです。
(でもわたしなら言ってしまいそう。)
こうやって世間で議論を巻き起こすことが、彼が訴える"よい社会の実現"に近付く道であると信じたいです。

しかし、リスクは小さくありません。
中でも、わけのわからない人たち(←なんと宗教者や弁護士だそうですが)から"犯人を赦せ"と言われること。
彼本人を前にして一体どんな気持ちならそれを言えるのか、全く理解できません。
これは、他人が軽々しく「赦せ」とか「赦すな」とか言ってはいけない問題ですよね。

賢いはずの彼らの、この想像力のなさと鈍さには寒気がします。
安田弁護士の本を読んだ時に抱いた違和感はここらへんにつながっているということが、宮崎哲弥の指摘で分かったことも収穫でした。