新・秘密基地

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好きな歴史人物 ②

2011-06-02 22:27:31 | その他
相変わらず戦国武将ブームに真っ向から反抗するかのように平安期の武将を行います。

今回は源為朝を紹介します。

誰それ?という方のために完結に説明しますと、源頼朝や源義経の叔父さんに当たる人です。

何した人?と言いますと、規格外の武勇を誇ったすんごい人とお答えしましょうか。

背は2mを越し、五人張りとも八人張り(これは文字通りその人数でないと弦が張れない弓のこと)とも言われる大弓を楽々引いたと言われています。

為朝は源氏の棟梁である源為義の八男として生まれました。

すごい暴れん坊でして、13歳の時に勘当という名目で筑紫の国(今で言う福岡県)へと飛ばされます。

為義の狙いは平家の勢力が強い九州を源氏の勢力下に置くために為朝を派遣したということみたいです。

為朝は九州で暴れまくり、20数回の戦を経験し、その九州を手中にしたことから鎮西八郎と呼ばれています。

そして17歳の時、都で後白河天皇と崇徳上皇の権力争いに端を発した藤原忠通、頼長兄弟の対立が起こると、九州から呼び戻されます。
いわゆる保元の乱ですね。

この戦で為朝は父とともに崇徳上皇&藤原頼長方につき、兄である義朝と戦うことになります。

17歳ながらも戦に長けた為朝は夜襲をかけることを進言しますが、頼長に乱暴な手段と言われて却下されてしまい、あべこべに後白河天皇側の夜襲に遭います。

この時、為朝は自分の守る西門に押し寄せてきた平清盛の軍勢に向かって矢を射掛け、それが一人を貫通してその後にいたもう一人まで射抜いたと言われています。(まるで漫画のような非常識さである)

清盛の家来はその矢を持ち帰って清盛に見せると、清盛はその矢を見て大いに驚いたとかなんとか。
なんかもう槍の刃みたいな鏃だったそうですからね~。

しかし、戦は後白河天皇方の勝利に終り、崇徳上皇は讃岐(今の香川県)に流され、父である為義は打ち首になりましたが、為朝はその武勇を惜しむ声があったために伊豆大島へと流されることになります。

ただし、その恐るべき強弓を引けないようにと腕の腱を切られてしまいます。

ですが、この規格外の男には全然堪えなかったようで、しばらくすると普通に弓を引いていたようです。

そして今度は伊豆諸島の平定を企み、伊豆介工藤茂光と争うことになります。

為朝は伊豆諸島を手中にしますが、都に応援を頼み援軍を連れて戻った伊豆介工藤茂光に反撃されます。

その戦いで為朝は300人乗りの軍船目掛けて一矢で船を沈没させるという神業を披露しますが、多勢に無勢で最後は負けを悟り、自害して果てたそうです。


しかし、為朝には伝説が残っていまして、この時伊豆大島を脱出してそのまま琉球(今の沖縄県)に向かい、その地を平定して琉球王朝の開祖になったという話があります。

本当だったら夢がありますね~。
現地には以前、そういう歌も残っていたとかなんとか。

とにかく、この方にはスケールの大きさを感じるのであります。




コメ返

>あひぃさん
そんな漫画があったとですよ。
しかし、古本屋でもなかなかみつからないかもしれないですね。

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1 コメント

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Unknown (千年)
2011-06-03 20:50:14
わぁー!!!
絵かっこいい・・・っ!!!
何ていうか、私もそういうスタイリッシュ(?)な絵描きたいです・・・っ((

直家さんの絵は歴史系の人物とか、雰囲気いい感じに
描けてますよね(`・ω・)!!

刀とか弓矢とか描けるようになりたいんだけどググってみると
難しそうでいつも断念しちゃいます・・・orz
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