十勝の活性化を考える会

     
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若さと老い

2021-11-02 05:00:00 | 投稿

 “若さと老いを考えてみた。若さとは、昨日までできなかったことが今日はできること。老いとは、昨日まで出来たことが今日は出来ないということだろう。2階に行くのにも手すりを使わないと出来ないということだろう。

歳をとったら忘れることが多いが、これは仕方がないことである。歳をとったら細胞が死んでいくからである。ただ、頭を活性化することによって進行を遅らせることは出来ると勝手に思っている。ただ、息子からは、「70歳にもなれば、いつ死んでもおかしくない歳だ!」と言われている。

私は61歳の時に脳出血で倒れて、救急車で病院に運ばれたが、一命をとりとめたが、入院時は「介護3」でベッドの上の生活が長く続いた。「車いす」から「押し車」、「杖」と長い間つづき、嘔吐も1年ぐらい続いたのでビニール袋をいつも持ち歩いた。

現在は手術の後遺症で認知症であるが実質支援で、杖も使わずバスを利用し、いろいろな所に行っている。利き手だった右手が、少し使えるようにもなってきた。姪っ子夫婦が薬剤師であるが、6年前、「おじさん、あとはリハビリしかないよ!」とそっけなく言われた。言われたときは半信半疑であったが、今はその通りだと思っている。私の障害は、薬では治らないのである。

私と同じ脳出血を罹患した知人が、以下のことを書いているので、参考までに載せよう。

『 わが国も批准している障害者権利条約は、障害のある人だけに権利を与えたものでなく、障害のある人も障害のない人も、“すべての生活者”に権利を有しています。現在私は、定期的に医療や福祉サービスを受けています。医療や福祉をはじめとして多くの社会組織には、「施す」側と「受ける」側の存在があります。そこには自ずと、上位にある側と下位にある側との関係があります。医療では、医師と患者。福祉では、支援者と障害当事者といった具合です。

それは意識の根底に、自分が他者に対して何ができるかという、いわば上位に立つ無意識の思い込みが忍び込んでいることもあります。障害のない人から見て多くの人は、障害があるから「できない」という思い込みは、気づかないうちに行動、言動に表れるもので、私は何回もそういう状況を経験しました。

最近、人が人を世話したり、支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本当に気付くものです。

現在私は里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。

これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。

私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。今度は、中途障害を持ったから気づいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワメントは、社会的障壁や不均等をもたらす社会的メカニズムの変革を考えています。』

この文章を書いた知人は脳出血で倒れた時、周りの人に「M氏の人生は終わった」と囁かれたそうであるが、彼は見事に障害を克服し現場に復帰した。彼は支えられたり、支えたりすることに関して、「立場が入れ替わった時に、はじめて気づくものです。」と書いている。

「十勝の活性化を考える会」会員