十勝の活性化を考える会

     
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新型コロナウイルスとスペイン風邪

2020-04-20 05:00:00 | 投稿

私の父方の祖母は、1921年に「スペイン風邪」に罹患し、享年37歳で他界したと聞いている。スペイン風邪は別添のとおりで、当時の世界人口が約20億人で約5億人が罹患し、5千万人が死亡したとも見られている。

世界人口の25%が罹患し、そのうちの1割が死亡したこととなる。現在の新型コロナウイルスとは比較にならない大きさとみられる。当時の医療、生活環境のなかでこのような事態も、人類は克服してきたのである。

 新型コロナウイルスの終息は未定であるが、経済的にも1929年以来の不況到来ともいわれ、人類が一丸となって早い終息を願うばかりである。

 「十勝の活性化を考える会」会長

 

 

注) スペイン風邪

スペイン風邪は、「1918年パンデミック」とも呼ばれ、極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミックの俗称である。

第一次世界大戦時に中立国であったため情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられたことから名付けられた。国立感染症研究所などではスペインインフルエンザと表記する。

また、かつてはスパニッシュインフルエンザとも表記され、「流行性感冒」とも表記された。

1918年1月から1920年12月まで世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。

死者数は1,700万人から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の1つである。

アメリカ合衆国ではパンデミックの最初の年に平均寿命が約12歳低下した。 スペインかぜはH1N1亜型インフルエンザウイルスによる2つのパンデミックのうちの最初のものである。2番目は2009年の新型インフルエンザ

[概要]

第一次世界大戦中の士気維持のため、ドイツイギリスフランスアメリカ合衆国での病状や死亡の初期報告は、検閲により最小限に抑えられた。

一方で中立国スペインにおける伝染病の影響は自由に報道され、アルフォンソ13世の重病を初めとする多数の記事は、スペインが特に大きな被害を受けたという誤った印象を生み出した。これがこのパンデミックの俗称である「スペインかぜ」の由来である。

しかし歴史的、疫学的データは地理的起源を確実に特定するには不十分であり、その起源には諸説ある。

ほとんどのインフルエンザの流行では、死者が乳幼児高齢者に偏り、その中間の年齢層の生存率は高いが、スペインかぜでは若年成人の死亡率がその他のインフルエンザと比較して高かった。

[起源]

起源については諸説あるが、いずれも仮説の域を出ていない。

アメリカ疾病予防管理センター (CDC) によれば、既に1915年にインフルエンザと肺炎による死亡率がアメリカで増加しているが、発生源は依然不明としている。

新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会では、カナダウイルスイリノイ州に感染したとの推定が委員から説明されている。近年のコンピューター解析によって、1918年型インフルエンザウイルスの前駆体1907年頃に発生したことが判明している。

[経緯]

起源に諸説あることから必然的に経緯も諸説ある。以下は諸説の1例に過ぎないと考えるべきである。

スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)であ。

第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5月から6月にヨーロッパで流行した。

 日本では、第1回が1918年10月から1919年3月、第2回が1919年12月から1920年3月、第3回が1920年12月から3月にかけてである。第1回の死亡者数が最も多く、ついで第2回であり、第3回はわずかである。

第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増した。第3波は1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した。

さらに、最初に医師看護師の感染者が多く医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。 この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際にはインフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。

[被害状況]

(スペインかぜの患者でごった返すアメリカ軍の野戦病院)

(マスクをつける日本の女性たち)

[被害者数]

[世界]

世界全体の推定感染者数は世界人口の25-30%(WHO)、または世界人口の3分の1、または約5億人とされる。当時の世界人口は18億人から20億人であると推定されている。


世界全体の推定死者数は1700万人から1億人と幅がある。アメリカでも50万人が死亡したとされる。これらの数値は感染症のみならず戦争災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。

[日本]

日本では、当時の人口5500万人に対し約2380万人が感染したとされる。

  • 第一回流行(大正7年8月-大正8年7月)

患者2116万8398人 死者25万7363人(致死率1.22%)

  • 第二回流行(大正8年10月-大正9年7月)

患者241万2097人 死者12万7666人(致死率5.29%)

  • 第三回流行(大正9年8月-大正10年7月)

患者22万4178人 死者3698人(致死率1.65%)

合計2380万4,673人 死者38万8,727人(致死率1.63%)

速水融の最近の研究では死者45万人が死亡したとされる。

 

日本におけるスペインインフルエンザの被害

流行

患者

死者

致死率

第一回(大正7年8月-大正8年7月)

2116万8398人

25万7363人

1.22

第二回(大正8年10月-大正9年7月)

241万2097人

12万7666人

5.29

第三回(大正9年8月-大正10年7月)

22万4178人 

3698

1.65

合計

2380万4673人

38万8,727人
(または45万人)

1.63

[特徴]

スペインかぜはH1N1型インフルエンザウイルスが原因とほぼ特定されているにもかかわらず、他のインフルエンザ流行とは異なる特徴がいくつか見られる。

ただし、第1次世界大戦中の流行であり、当時の記録には様々な混乱要素が含まれ得ることを考慮する必要がある。

[被害者の年齢層]

若年成人が死に至りやすい傾向が見られた。一般にインフルエンザの犠牲者は乳幼児(0–2歳)、高齢者(70歳以上)、免疫不全者に集中することから、これはスペインかぜの際立った特徴と考えられる。

アメリカの記録では、1918年から1919年までのスペインかぜによる死者数の99%は65歳未満であり、ほぼ半数が20歳から40歳の間である。65歳未満の死亡率は65歳以上の6倍であった。1920年になると65歳未満の死亡率は65歳以上の半分まで減少したが、それでも死者数の92%が65歳未満であった。日本の記録でも同様の傾向が見られた。

若年成人の死亡率の高さについては、スペインかぜのウイルスが引き起こすサイトカイン放出症候群が若年成人の強い免疫システムを破壊することが原因の一説として挙げられている。

妊婦の死亡率が特に高いことも若年成人の死亡率を高くした要因と見られる。

また、実際にはスペインかぜのほとんどの犠牲者が栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態による細菌性の重感染を死因としているとの指摘もあり、第一次世界大戦による過酷な兵役、軍需産業への動員が若年成人の死亡率を引き上げた可能性もある。

高齢者の死亡率の低さについては、この時代の高齢者は1889年頃に流行した「ロシアかぜ」で免疫を獲得していたのではないかとの説もある

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋』

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