天国サークル

一年目の目標→1人暮らしのお金をためる

「うたう」こと

2008-06-18 19:22:10 | Weblog
やや長いです!



「歌」の方のじゃなくて、楽器とかでいう、「うたう」こと。

私は歌い手なので、「歌」で「うた」うんです。


このことを考えるの、すごく好き。
音程とか取るの上手くない、発声とかもきれいじゃない。
だけど、「うたう」とこにはすごくこだわるあたしです。笑
(音程とか発声とかもわかってんならちゃんとやれよという突っ込み・・・はいすいません。)


いつからそういうことにこだわっていたのか・・・ということを考えてみました。
あくまでも、「考えていた」のレベルです。
「実践しようとした」「できるようになった」ではないです。

多分、私と「うたうこと」との出会いは、演歌との出会いだったように思います。
それと、演歌やあたしの歌をきいたときの、父親の感想。笑

松原のぶえさんの「女の出船」という曲があります。

出だしの歌詞がいきなり、
「涙 涙 涙 涙 涙かれても」。

やべぇ、、、、笑

これ、聴く機会あったら聴いてみてください。
そののテープを父親に買ってもらったのが、小学校5,6年生の時、
二日市ダイエーの古びたCD屋で。爆
「これはすごいよ」と、お父さんが突然買ってくれた。
思えば、あの頃から父は、私に「うたう」っていうのはこういうこと
ってゆーのを教えてくれていたんでしょうね。
その頃の私といえば、globeにどっぷり漬かっていた頃です。(globeは、歌詞の世界観はまたこれやばいけどね!笑)

そうそう、これが私と演歌との出会い。
演歌は、他の歌に比べて、「うたう」ということがすごくわかりやすいんだろうと思います。
小手先だけの演歌ももちろんあるけれども。
でも、演歌の大物たちはみんな「うたうこと」に長けているのではないかなと思います。(よくわかんないけど)

で、お父さんはあたしの鼻歌とか聴いて、
「合唱みたいになってるやん。きれいに歌おうとしても、それまでやねぇ」
みたいなことを独り言ごとみたいによく言っていました。笑
お父さんは歌謡曲大好きだから、きっとそのへんうるさいんだ(笑)

振り返れば、わたしの「うたうこと」に対する追及は、この頃から始まったように思います。
そのころからたまに、テープに録音したりして聴いていたんですけど、
音程は後回しで、気持ちの入り具合ばっかり気にしてました。爆


でも、「うたう」ということに対して耳とかも敏感になってきたのは最近になってからかな。。。
ぶっちゃけ、しばらく「うたう」っていうのが大切なことだっていうのを忘れていたんです。
その間、小手先ばっか気にしてました。
思い出せたのは、ここ1年くらい。
ちあきなおみや、岩崎宏美と出会ってからです。
そして、ちょうどそのころ、
はっきりとした「届けたい想い」みたいなのも自分の中に「ダーン!」と出てきてね。
それでやっと、自分や人の演奏を聴いて、
「うたえている」「うたえていない」みたいなことが感じ取れるようになってきました。


で、変な話、コツも少しわかってきた。笑

うたいたい情景や気持ちを、みてる、描いてるだけじゃだめ。
その情景の中に入らないと。
たまにあるんですよね。気を抜いてると(笑)
気を抜いてなくても、他のことに意識をいっぱい持ってってると。

確かにそこにうたいたいことはあるはずなのに、薄っぺらい。
入れていないということです。

周りの音を聞くんじゃなくて、
入って、体でまわりの空気を感じてこそ、うたえるのではないでしょうか。
あくまでもあたしの経験ですが。


歌い手の方以外も同じ感じですかね??


そして・・・
あたしは歌い手だから、歌のことは特に気になるんですが、
歌には歌詞がくっついてるぶん、
表現できていないとそれがすっごい明確なんです。
音符がきれいにならんで、キレイに声がキレイに出せていたら、
確かに「上手い」んでしょう。
けど、ぜんぜん「いい歌」じゃないきがする。
あれ、言い過ぎか?笑
まぁ、そういうことすらできていない自分のことはとりあえず棚に上げますけど。笑

何も考えずに歌うのは論外やけど、
「こんなこと考えながら歌いました。」じゃ、違うんです。
「こんな歌詞で、メロディーはこれ。」でも違うんです。
「この曲の、その世界の中に入って歌っています。」
私はこれを目指しています。

キレイに歌えているのになんか空っぽな感じ歌って、なんか聴いててもやもやする感じ・・・



でもまぁそんなこと言う前に、
もっと音程取るれんしゅうしなきゃね。
もっと声キレイにだせるようにならなきゃね。



はいすいません。

ここまで読む人なんているんだろうか。笑




何が言いたかったわけでもありません。
ただ思っていることを書きました。チャンチャン♪