ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

一周生(いっしゅうき)3

2015-11-05 | 砂時計
夫が倒れたことを、私は自分の両親にはすぐには伝えなかった。
生死にかかわる状態ではなかったことや、無駄な心配をかけたくもなかったし、こんな年齢になっても父に叱られたくなかったこともある。
「おまえがそばについていながら、なんでこんなことになったんだ」と。
また、自分の選んだ人生が、失敗だったと両親に思われるのも嫌だったから。

しかし、夫が倒れて3,4日経ったときのこと。
突然父から電話が入った。
普段、何か用がない限りはかけてこない父である。
介護施設にいる母の面倒は老老介護で父が看てくれている。
自分たちの面倒はこどもたちにかけたくないから、という父に甘えて、
薄情で親不孝な娘は、めったに足を向けないのである。
そんな父からの電話は、母からの伝言だった。
「あの子の様子を聞いてやって。あの子が泣いてるねん。助けて、助けて、って」
それには心底驚いた。
私は、食事ものどを通らず、夜も眠れない日々が続いていたが、心の叫び声を自分の親に向けたことはなかったからである。
いや、なかったはず。だと思っていた。
だが昔から霊感めいたものを感じる母には届いていたということか・・

観念した私は、ありのままを伝えた。
電話口で父が絶句したのは言うまでもない。
が、それとともに私が息子をよびかえさず、一人で全部片付けて行っていることにも絶句した。
おそらく、私の性格を考え、すべてに思い至ったのかもしれない。
夫が、不自由な状態での面会は控えてほしい、という希望もあったので見舞いは断った。
「困ったことがあれば、いつでも連絡して来なさい」
それだけ言って父は電話を切った。

助けて、助けて。
口を開けば、そう叫んでしまいそうだった。
歯を食いしばり、その言葉は飲み込んだ。

朝ドラでおはつさんが、実家に借金を頼みに行って断られ
食い下がらず引き下がったとき
「それがわたしの誇りだす」
その一言も、私の腑に落ちた。
父に助けを乞わなかったのは、私のプライドだったのかもしれない。


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