くすりと釣りと白衣と海

薬家の道を選んでから、とうとう人生の半分を過ぎてしまった。
けれど、海で遊んでいられるうちは子供の時のまま。

我は海の子4

2009-06-22 | 生い立ち
初めて釣り竿を手にしたのは、小学校入学前の春休み。
4本つなぎの竹竿を父親から貰ったものだ。
その切っ掛けは、以降、毎年通うことになる「少年マス釣り大会」に
参加するために、父親が自分の竿の1本を譲ってくれたのだ。
その時の竿は、以降、ガイドやリールシートが着けられ、化粧糸で
華やかになりながら、「幻の魚」によってあえなくへし折られてしまったが、
今でも心の中に、いや、その感触が手に残っている。

「少年マス釣り大会」
最近は年に1日あるかどうか?町の少年指導員による催しで、当時は春休みの間、
毎日放流され、毎日山まで通ったものだ。
父親から貰ったその竿を初めて使ってマスを釣ったときのこと。
川を堰き止め、各堰に30人くらいの小学生が我よとばかりに竿を出すのだが、
まだ小学生でもない自分には、とてもその中に入っていくことができなかった。
もちろん父親同伴だが、人混みを嫌う父親なのだから、それ以上に嫌気だった。
なのでその脇を流れる、放流されていない筈の流れに仕掛けを流したところ、
「ガクン!」そんな引きが手に伝わったかと思うと、一気に下流へ向かった。
自分でも何が何だか分からなかったが、父親がそれを見て変わり、タモに
収まったのは、胴の太い居着き(鱒池から逃げ出し育ったもの)のマスだった。
腰を抜かしていた自分だが、その初めての感触と、初めて見るマスの輝きが…
とそのとき、上の方からマイクロホンのオヤジの声。
「大人が釣っちゃあ駄目だーーー!」
そう、最後に竿を持っていたのは父親なのだから、親が釣っていたと思われても
仕方のない状況。
今思えば、居着きだったわけで堂々と持ち帰っていればよかったのだが、父親は
「すみませーーーん!」と言いながら、両手で持ったマスを堰ではない元の川に
リリースした。
何とも悔しく、家では何十回とも同じ話をし、母親に「逃がした魚は大きい」とまで言われ、
(このときはじめて知った言葉かも?)とんだ初釣りだったのだが、このときの、
このマイクロホンの声の主が、自分の釣り歴にどれだけ影響する人物になるかなど
とはとても知る由もなかった。


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