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真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

三礼三拍の参拝

2014年07月02日 15時38分28秒 | 日本のこと
藤乃哉人氏の講演「日本民族覚醒の時」が開かれることを以前紹介しました

http://ameblo.jp/jesmotoi/entry-11872124830.html
(↑JES本井社長のブログでの講演の紹介)

 カテゴリー変えてみました。
                     クリックしてね!


この講演で藤乃氏は、御自分の経験から常に神社にお参りに行って真剣に願う人とそうでない人の人生では、明らかにその後の差があると言われました。

今の神社は人が欲心をもっていって拝んでいるので変な霊がうじゃうじゃいるとよく聞いたりしますが、どうもそれは祈る人の意識のあり方が関わっていて、一概には言えないのかもしれません。
考えてみれば神社の本質は何も変わっていませんから。

私の住む家のそばに素盞雄神社がありまして、その前をよく通るので、藤井氏の話しを聞いた以後は通るたびにお参りしています。
わりと単純なんです。(●^o^●)
で、お参りが日課のようになると参拝の仕方が氣になったりします。

それで先述、知人から貰った飛鳥昭雄氏のビデオを見ていたらそのことに触れていまして、二礼二拍手になったのは何と戦後なのだそうです。



上の滋賀県の大杉神社の写真はフィフティフィフティ(50:50)さんのサイトから拝借しましたが、参拝とは三拝(三礼)から由来しているとのこと。

「参拝とは三拝に由来」・・ これは無視できません。
2か3かということはイスラエルの古くからの数秘術・カバラからみても重要なことだと思います。
神社はユダヤ文化の流れで元々は三人(三柱)の神様を対象としていると思われます。

 ・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・高皇産霊神(たかむすびのかみ)
 ・神皇産霊神(かみむすびのかみ)


三柱にそれぞれ礼をして三柱にそれぞれ拍手するのが習わしかも知れません。

現代キリスト教の三位一体や古代キリスト教の三位三体(三柱鳥居)などはシルクロードを超えてやってきた3と関わる数字文化です。

ソルフェジオ音階(全て3の倍数)でも書きましたが、カバラの数式がいろいろな影響を実際に与えています。
姓名の画数や生年月日などもそうです。

ですからどう考えても三礼三拍手でお参りした方が良いと思うようになりました。


と、思っていたら先の藤乃先生の講演の録音を後日確認しましたら、拍手は偶数が基本なのだそうです。

人間は奇数、神様は偶数です。お供えも偶数。
ただしお賽銭は369+0 つまり30円、60円、90円、100円、300円、600円・・・となるとのことです。

★*;?♪☆。,♪★*;;?♪☆。*?。♪★*;?☆♪★*

エゴに纏わり付いている多くの霊が神社に居ようが居まいが、神社は間違いなくエネルギースポットです。
 (過去の関連記事ですが・・・ 日本のこと(2)―日本のパワースポット

神社は適当に空き地に建てられている訳ではありません。
神社にはいろいろなカバラ的な仕組みが隠されています。

日本を代表する神社と言えば「伊勢神宮」「出雲大社」が挙がると思います。
下の図は元伊勢といわれる「籠(この)神社」と伊勢神宮の外宮、内宮、伊雑宮がほぼ一直線に並ぶという図です。


失われた聖十字架「心御柱」の謎」 (学研)309ページより

更に出雲大社の正面は西を向いていて後ろを辿ると籠神社に当たります。
伊勢神宮も外宮の後ろを辿ると籠神社に当たります。

つまり伊勢神宮も出雲大社も、「後ろの正面」は籠神社ということになります。

かごめの歌のことですが、
現象的には伊勢と出雲にとっての大元の自分ということです。
しかし形而上的には私たちを見詰める「神としての本当の自分」です。

先にもリンクしましたこのページの後半でそのこと(後ろの正面は本当の自分)に触れています。

日本という国の歴史は古く、この国は本当に多くの秘密が隠されている大変な国なのです。

↓そして神社というところは、やはり大変なところなのです。
今まで(宮司より)、
「火の鳥の存在を公に話してはいけない…」と、
口止めされていたが、
私ならそろそろ話しても良い…との承諾をもらった。
 JES本井社長のブログより
(↑時によってはクリックしても中々開きません)


私は施術の予約が入っていて聴きに行けませんが、
この火の鳥の話しの続きは7月5日に開催される本井社長の講演で話されるかも(保証できません)

2日の水曜日現在(15時で)定員100人で予約が80人入っているとのことですが、昨日と今日で20人以上予約が入っていますので間もなく満員だと思います。興味ある方は急いでください。

つづく・・・・・

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7 コメント

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神社 (t.t)
2014-07-03 01:53:08
いつも有難う御座います。

先だってもお話を伺いまして改めて思いましたが、神社の本来の役割を感じますと(確かに人の欲心よりの祈願によってか邪の巣?の様になっていた様ですが...)現在はたまには日々の感謝をお伝えする為の参拝は必要か、とも思いましたが....。

合掌
返信する
t.tさん (とびら)
2014-07-03 10:56:08
今日、本文にも追記しましたが、神社自体はエネルギースポットで、何ら邪の影響を受けていないような気がします。

仰るように人々が参拝する意味があるものとして神社は作られていたとすると、その意味が実際に動き出すはずだと思います。

ありがとうございました。
返信する
Unknown (t.t)
2014-07-04 01:53:59
改めまして、今まで神社は邪の巣だから近付いてもいけない!と邪魔もの扱いでした自分を顧みさせて頂きます。

{神の社}の字のごとく、神様のお出ましになられるところとは容易に想像できるはずですが..。
以前に番組の中であの北野たけしさんが初めてでしたかお伊勢様に来られました際も、自分の欲心のみのお願い事は浮かばずにやはり宇宙のエネルギ-に心からの「ありがとう」ただそれだけ..とのコメントをされていますが、
頭に残っていました。

有難うございました。
再合掌
返信する
t.tさん (とびら)
2014-07-04 08:40:39
「宇宙」というより「日本の神」ということを、私たちは少し考えた方がいいかも知れませんね。
古くからの日本の魂が(国籍は無関係)、光の子としての役割をいま果たそうとして日本を中心に生まれ変わってきました。
光の子は今の時期に照準を当てて何度も生まれ変わって学んで来たのです。
そういう日本の光の子を支援する役割をもった光の存在(神)がいると思います。

だから、ただ単にたけし氏のいうような「宇宙」ということではなくて具体的に願って良いと思います。
いまここで、私たちの役割が明確になっていくはずです。

自分の役割が見えはじめたら、天と地上の共同創造を活性化させるきっかけが必要です。それが儀式です。
神社にお参りするというのは、そういう意味でもひとつの儀式です。
序に、お墓参りだって儀式なのです。儀式を馬鹿にしてはいけませんです。

ですから、具体的なお願い事は別に悪くはないと思いますよ。
その願いの元とか、その願いが叶ったとしてその先に何をしようとしているのか、あくまでも動機が大事なんです。

それと前述しましたが、霊界では地上の人々のために役立ちたいと待機していて、その機会を待っている霊がたくさんいるのです。
彼らにも仕事をさせて上げないといけないのです。彼ら神様にも遣り甲斐が必要です。人生は彼らと私たちの共同創造です。
そういう意思確認のきっかけも必要なのです。それが儀式です。

だから願いや祈りは叶う方向に動かすことは充分に可能なのです。
宇宙の法則には「頼まれもしないのに一定以上の援助はしてはいけない」という法則があるのです。
これは地上でも同じです。お節介は罪になる場合もあります。
だから常に宇宙に対して自分の意思を発信しておくことは大切なことなのです。
しかし同時に、唯お願いするだけではなくて、お願いして還ってきた霊感やシンクロされた現象に対して正しく対応する責任も生じるのです。

それと毎日のように神社にお参りするようになって氣がついたのですが、お賽銭を入れる人がほとんどいません。(o|o)
観光地の有名な神社では逆にお賽銭を入れない人の方が圧倒的に少ないですが、地域の神社では余りにも極端にお賽銭が投じられていません。
毎回でなく、まとめて捧げているのでしょうか? お賽銭はある意味、契約締結の「印鑑」の代わりのような気もしますが、いかがでしょうか。

本文で紹介した藤乃哉人氏は願い事が叶ったらお礼をしなければいけませんとも言っていましたが、願いっ放しではいけないということです。
願った後も自分がそれについて前向きに行動するということと、叶ったらお礼をするというのは地上でも同じですね。

長くなりました。ありがとうございました。
返信する
両段再拝 (神社マニア)
2016-01-27 19:55:38
江戸期以前の拝礼法は、両段再拝が主流と言うのが常識

三礼三拍の参拝の根拠は何処にあるのでしょうか?
返信する
Unknown (八雲神)
2016-02-25 16:40:57
戦前に神懸りだった私の祖父もやたらに3に拘っていたそうです・・・御興味のある方はFC2ブログ・・・スサノオ大神我家に現る?を覗いて見てください。
返信する
Unknown (とびら)
2016-02-25 16:53:31
ご紹介ありがとうございます。
返信する

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