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教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク

憲法に反する「君が代」条例ならびに公教育の理念に反する大阪の新自由主義的教育諸条例の廃止を求めます。

年の始めに~危ない時代

2015-01-02 10:44:26 | 当該より
新しい年になりました。本年もどうかよろしくお願いします。

さて、昨年末、共に闘って来た入れ墨調査拒否処分撤回訴訟について初めての判決が大阪地方裁判所で示されました。原告勝訴!違法な調査ゆえ、処分は撤回せよとの判決です。

橋下維新政治は、労働者の分断が一つの手法でした。公務労働者を徹底的に貶め、卑しめ、あらゆる手段を用いて、排斥しようとしました。「入れ墨」裁判も「君が代」裁判も、その点で共通する闘いでした。公務労働者の「働く」矜持そのものを奪おうとした橋下政治に対し当該自身が真っ向から異議申立を行った点で共通の闘いでした。

大阪市が職員に行った入れ墨調査は大阪市個人情報保護条例6条2項違反する、それゆえ調査に応じよとの職務命令は違法おの判断です。ただ、原告が訴えていた憲法13条違反については認められませんでした。それに加えて不当転任処分にういても処分取消も認められました。

違憲判断は今後の大きな課題となりましたが、調査・職務命令は違法との判決は人権上当然のことと言えます。

翻って、「君が代」起立斉唱は調査を超えて強制であるにもかかわらずこれまでの最高裁はその職務命令は合憲合法と判断しています。

ここに、「君が代」強制問題と「入れ墨」調査との相違点が二つ垣間見られます。

一つは、「入れ墨」調査が大阪市橋下維新政治限定のものであるのに対して、「君が代」強制問題は、橋下維新がお先棒を担いだにせよ、昨今の安倍政治を見ればわかるように、グローバル社会における国家観から発した問題であるという点です。古くて新しきは国歌「君が代」強制問題と言えます。これまでの保守層の国家の教育権以上に、新自由主義者による新国家主義は市民への帰属意識の育成に主眼を置いているように思えます。つまり、「入れ墨」が対橋下政治への闘いであるのに対して、私たちの「君が代」強制は、新国家主義に対し、憲法が保障するところの個人の思想・良心・自由、すなわち個人の尊厳を死守する闘いの側面があります。

そしてもう一つは、「君が代」強制は、公務員の服務の問題にとどまらず、「愛国心」教育の問題である点です。橋下市長も松井知事も、いわゆる「君が代」強制条例について、たんにこれは服務の問題である点を強調していますが、これこそ、安倍自民党政府にある種の自信を与えることになった「愛国心」教育をどのように市民・国民に定着させるかという命題のもとに展開された点を私たちは見過ごすわけにはいきません。

公務員排斥・支配という点で、「入れ墨」問題と「君が代」問題は同種の問題でありますが、
「君が代」強制問題は、憲法改正をも視野に入れた戦争をするために権力者にとっては欠かすことのできない前準備であることを私たちは告発する必要があると思っています。

市民が国家に操られれず市民生活を享受するためには、本年は、どうやら正念場になりそうです。安倍自民党の動向。橋下維新の動向を見極めながら、「君が代」強制がなぜ行なわれるのか、そして教員が自らの意思に反して命令に従い「君が代」起立斉唱を行った先にはどのような教育が待っているのか、これまで以上に多くの方々とこの問題を共有していきたいと思いますのでどうかよろしくお願いします。

一人とて殺すまい。一人とて殺させるまい。そんな物騒な目標を置かなければならないほど危機は近づいていると言えます。

中国で考える「君が代」強制問題 ~序に代えて~

2014-12-09 12:21:25 | 当該より
「君が代」不起立減給処分取消訴訟第5回口頭弁論の傍聴支援、「君が代」処分撤回3裁判集会への参加、ありがとうございます。

今回提出した準備書面は、被告第2準備書面に対してほぼ1点に絞って反論しています。被告準備書面は、卒業式直前の私と校長の会話について、事実を捻じ曲げ、曲解を通り越して意味不明とも言ってよい内容が書かれていました。それゆえ、きちんと反論する必要があったからです。具体的に言うと、被告準備書面には、校長との会話から、原告つまり私が卒業式に「君が代」起立斉唱すると言った事実はどこにもなかったと結論づけています。??? 読んだとき、「そんなこと言うわけがないし、言った事実もない。そんな当たり前のことを、いったい被告はどういうつもりで書いたのか」と、考えました。事実は、私の卒業式に参列したいという想いに応え、校長が、「(府教委の手前)歌うと言ったことにして、(卒業式に)出るか。」と、持ちかけたことにあります。府教委はそれを認めるわけにはいかず、苦し紛れにそのような主張したのでしょう。私たちが提出した証拠、つまり森校長との会話の記録のどこをどう読んでも被告の言うような解釈はあり得ません。これでは裁判所まで愚弄するも同然です。

さて、大連での生活はちょうど3か月になります。そもそも、戦時、日本統治下の大連で過ごした母の話を聞かなったら、私は「君が代」強制をやり過ごしていたかもしれません。それを思うと、今、私がその地で中国の学生に日本語を教えることは不思議な気もしますし、また、そのことに正直なところためらいがなかったわけではありません。かつて大連で10数年も過ごしながら母に中国人の友人は一人もいませんでした。当時、日本人と中国人は日本という国家によって分断されていました。母は戦争の被害者であると同時に日本人である以上、加害者の立場でもあったわけです。

そして現在、戦時ではないにせよ、二国の経済的な関係は決して平等なものではありません。中国の人々と日本人である私との間には、紛れもなく今も国家が介在しています。それをないことにはできませんし、またしてはいけないことだとも思っています。しかし、その反面、私たちは国家を越えて市民として繋がることができるとも思っています。まだ、学生たちと、彼らが受けて来たであろう、いわゆる「愛国」教育の話はほとんどしていません。同様に、「君が代」強制の問題もしていません。しかし、ここ中国で暮らす日本人の私にとっては、日常の生活のなかに絶えず国家と個人の問題が存在します。いや、意識させられると言った方が正確かもしれません。
まだ、うまく表現することができませんが、愛国とは何か?中国の学生たちが「愛国」教育を受けながらも日本への敬愛の念を抱くのはなぜなのか、大連の人々が日本人である私にかくも親切なのはどうしてなのか、翻って「君が代」をただただ強制しようとする、そこにはどのような日本という国や日本人の思考回路があるのか、大げさに言うならば、国家と個人の関係についてもう少し大連で考え続けたいと思います。そして、それを糧として今後も「君が代」強制に抗していくつもりです。

12月3日11:00、減給処分取消訴訟第5回口頭弁論に傍聴支援をよろしくお願いします。

2014-11-28 07:38:47 | 当該より
「君が代」強制条例に抗して、どもに闘っているみなさまへ

「君が代」不起立減給処分取消訴訟原告よりのお願い

本日、中国大連より帰国いたします。10月6日第4回口頭弁論の折には、ビザの手続きに手間取り、帰国が叶いませんでしたが、下記、第5回法廷は、必ず原告として出廷いたします。

さて、第5回法廷においては、事実に基づき、卒業式において「君が代」斉唱時に起立斉唱すると述べない限りは、卒業式には参列できず式場外に役割分担があてがわれ排除される実態を立証したいと考えます。

平日、午前中の、お願いしにく時間帯ですが、ご都合のつく方は、是非とも傍聴支援をよろしくお願いいたします。

■大阪「君が代」不起立減給処分取消訴訟第5回口頭弁論

■12月3日(水曜日)午前11時~

■大阪地方裁判所809号法廷

■口頭弁論(5~10分程度)終了後、地裁1階にて報告のつどいをもちます。


中原大阪府教育長の辞任を求めます

2014-11-05 19:35:38 | 当該より
大阪府中原教育長は、これまでもいろんな問題がマスメディアや世論から指摘されて来ました。和泉高校校長時代、卒業式で府立高校校長としてただひとり、「君が代」斉唱時に口が動いているかどうかチェックしたことは、全国的にも大きな話題になりました。また、同じく和泉高校校長として「平和と国防」をテーマとして行った特別授業では生徒を自衛隊駐屯地に連れて行っています。最近では、『サンデー毎日』に和泉高校校長時の人事面でパワハラ疑惑についての報道もありました。

また、昨年の教科書採択をめぐっては、大阪維新の会の圧力に屈したとして教育長としての資質が問われ、府議会でもとりあげられました。

私は、何度か教育委員会会議を傍聴しました。彼のキャッチフレーズとも言うべき、価値観は、「責任と権限」の明確化です。この言葉は何度となく聞かされました。そして、それは組織のなかで、責任ある立場の者が権限を持つという意味で頻繁に使われていました。つまり議論は無用、トップが決めるという発想に終始していました。その考え方は、橋下大阪市長や松井大阪府知事にも共通するものです。

教育委員会会議で、立川委員にしろ他の委員にしろ、自らの意見を当然述べます。それを軽視する、あまりにも露骨な中原教育長の言動に驚かされたことは、1度や2度ではありません。あのころから既にパワハラの芽はあったわけです。

グローバル化の時代に本当に必要なことは、異なる立場や異なる意見を擦り合わせながら、新たな方向性を見つけることだと思います。中原教育長や橋下大阪市長の遣り方はそれとは真逆の方向に進んでいるように見えます。トップダウンはもはや時代遅れの手法と言わざるを得ません。

今回の辞意表明顛末についても、中原教育長は、松井知事や橋下市長に後ろ盾のもとに、続投を表明したのでしょうが、それこそが最も問題なのではないでしょうか。組織のなかで、起こるべくして起こったパワハラ人権侵害についての責任の取り方は辞任しかないと考えます。

速報!中原教育長辞任を示唆!

2014-10-29 22:10:21 | 当該より
大阪市橋下市長の“盟友”大阪府中原教育長が辞任を示唆!

私は、これまでに何度か大阪府教育委員会会議を傍聴しました。“さにあらん”という感想です。

以下、ツイッターから引用掲載します。

大阪府の中原教育長、女性教育委員へパワハラ発言。中原教育長は辞任示唆。橋下市長は「辞めたら府教委が回らない。問題があれば謝罪を」と述べ、辞任の必要性を否定した 産経 sankei.com/west/news/1410… 橋下大阪市長が、府教育長の辞任の是非に口出すのかが、意味不明