新しい年になりました。本年もどうかよろしくお願いします。
さて、昨年末、共に闘って来た入れ墨調査拒否処分撤回訴訟について初めての判決が大阪地方裁判所で示されました。原告勝訴!違法な調査ゆえ、処分は撤回せよとの判決です。
橋下維新政治は、労働者の分断が一つの手法でした。公務労働者を徹底的に貶め、卑しめ、あらゆる手段を用いて、排斥しようとしました。「入れ墨」裁判も「君が代」裁判も、その点で共通する闘いでした。公務労働者の「働く」矜持そのものを奪おうとした橋下政治に対し当該自身が真っ向から異議申立を行った点で共通の闘いでした。
大阪市が職員に行った入れ墨調査は大阪市個人情報保護条例6条2項違反する、それゆえ調査に応じよとの職務命令は違法おの判断です。ただ、原告が訴えていた憲法13条違反については認められませんでした。それに加えて不当転任処分にういても処分取消も認められました。
違憲判断は今後の大きな課題となりましたが、調査・職務命令は違法との判決は人権上当然のことと言えます。
翻って、「君が代」起立斉唱は調査を超えて強制であるにもかかわらずこれまでの最高裁はその職務命令は合憲合法と判断しています。
ここに、「君が代」強制問題と「入れ墨」調査との相違点が二つ垣間見られます。
一つは、「入れ墨」調査が大阪市橋下維新政治限定のものであるのに対して、「君が代」強制問題は、橋下維新がお先棒を担いだにせよ、昨今の安倍政治を見ればわかるように、グローバル社会における国家観から発した問題であるという点です。古くて新しきは国歌「君が代」強制問題と言えます。これまでの保守層の国家の教育権以上に、新自由主義者による新国家主義は市民への帰属意識の育成に主眼を置いているように思えます。つまり、「入れ墨」が対橋下政治への闘いであるのに対して、私たちの「君が代」強制は、新国家主義に対し、憲法が保障するところの個人の思想・良心・自由、すなわち個人の尊厳を死守する闘いの側面があります。
そしてもう一つは、「君が代」強制は、公務員の服務の問題にとどまらず、「愛国心」教育の問題である点です。橋下市長も松井知事も、いわゆる「君が代」強制条例について、たんにこれは服務の問題である点を強調していますが、これこそ、安倍自民党政府にある種の自信を与えることになった「愛国心」教育をどのように市民・国民に定着させるかという命題のもとに展開された点を私たちは見過ごすわけにはいきません。
公務員排斥・支配という点で、「入れ墨」問題と「君が代」問題は同種の問題でありますが、
「君が代」強制問題は、憲法改正をも視野に入れた戦争をするために権力者にとっては欠かすことのできない前準備であることを私たちは告発する必要があると思っています。
市民が国家に操られれず市民生活を享受するためには、本年は、どうやら正念場になりそうです。安倍自民党の動向。橋下維新の動向を見極めながら、「君が代」強制がなぜ行なわれるのか、そして教員が自らの意思に反して命令に従い「君が代」起立斉唱を行った先にはどのような教育が待っているのか、これまで以上に多くの方々とこの問題を共有していきたいと思いますのでどうかよろしくお願いします。
一人とて殺すまい。一人とて殺させるまい。そんな物騒な目標を置かなければならないほど危機は近づいていると言えます。
さて、昨年末、共に闘って来た入れ墨調査拒否処分撤回訴訟について初めての判決が大阪地方裁判所で示されました。原告勝訴!違法な調査ゆえ、処分は撤回せよとの判決です。
橋下維新政治は、労働者の分断が一つの手法でした。公務労働者を徹底的に貶め、卑しめ、あらゆる手段を用いて、排斥しようとしました。「入れ墨」裁判も「君が代」裁判も、その点で共通する闘いでした。公務労働者の「働く」矜持そのものを奪おうとした橋下政治に対し当該自身が真っ向から異議申立を行った点で共通の闘いでした。
大阪市が職員に行った入れ墨調査は大阪市個人情報保護条例6条2項違反する、それゆえ調査に応じよとの職務命令は違法おの判断です。ただ、原告が訴えていた憲法13条違反については認められませんでした。それに加えて不当転任処分にういても処分取消も認められました。
違憲判断は今後の大きな課題となりましたが、調査・職務命令は違法との判決は人権上当然のことと言えます。
翻って、「君が代」起立斉唱は調査を超えて強制であるにもかかわらずこれまでの最高裁はその職務命令は合憲合法と判断しています。
ここに、「君が代」強制問題と「入れ墨」調査との相違点が二つ垣間見られます。
一つは、「入れ墨」調査が大阪市橋下維新政治限定のものであるのに対して、「君が代」強制問題は、橋下維新がお先棒を担いだにせよ、昨今の安倍政治を見ればわかるように、グローバル社会における国家観から発した問題であるという点です。古くて新しきは国歌「君が代」強制問題と言えます。これまでの保守層の国家の教育権以上に、新自由主義者による新国家主義は市民への帰属意識の育成に主眼を置いているように思えます。つまり、「入れ墨」が対橋下政治への闘いであるのに対して、私たちの「君が代」強制は、新国家主義に対し、憲法が保障するところの個人の思想・良心・自由、すなわち個人の尊厳を死守する闘いの側面があります。
そしてもう一つは、「君が代」強制は、公務員の服務の問題にとどまらず、「愛国心」教育の問題である点です。橋下市長も松井知事も、いわゆる「君が代」強制条例について、たんにこれは服務の問題である点を強調していますが、これこそ、安倍自民党政府にある種の自信を与えることになった「愛国心」教育をどのように市民・国民に定着させるかという命題のもとに展開された点を私たちは見過ごすわけにはいきません。
公務員排斥・支配という点で、「入れ墨」問題と「君が代」問題は同種の問題でありますが、
「君が代」強制問題は、憲法改正をも視野に入れた戦争をするために権力者にとっては欠かすことのできない前準備であることを私たちは告発する必要があると思っています。
市民が国家に操られれず市民生活を享受するためには、本年は、どうやら正念場になりそうです。安倍自民党の動向。橋下維新の動向を見極めながら、「君が代」強制がなぜ行なわれるのか、そして教員が自らの意思に反して命令に従い「君が代」起立斉唱を行った先にはどのような教育が待っているのか、これまで以上に多くの方々とこの問題を共有していきたいと思いますのでどうかよろしくお願いします。
一人とて殺すまい。一人とて殺させるまい。そんな物騒な目標を置かなければならないほど危機は近づいていると言えます。