自転車 乗るぞ

読破した本、自転車、携帯で撮ったなにげない風景について

河辺家のホスピス絵日記 山崎 章郎

2006年03月01日 | 最近読んだ本
さて、新企画第一回の掲載
掲載していく順番は、私のメモ帳の順番です。
(その方がどの本まで掲載していたかがわかりやすいので)

この作者は「病院で死ぬということ」を書かれたホスピス医師の方です。
読書メモは作ってありませんが、「病院で死ぬということ」は良いです。
特に、その中で、末期がんで亡くなる直前の父親が息子に書いた手紙のくだりは
何度読んでも、涙が出ます。電車の中ではとても読めません。

さて、この本は、その山崎先生がホスピスで最後をみとった河辺さんの闘病記です
(主人公は看病をされた奥様)

以下は、少ないけどメモした文章

【原文:省略あり】
①自分の残り時間を意識して生きなければならなくなったとき、多くの人々が大切にし始めることはま
 さに日々の暮らしそのもの。自分を取り巻く見慣れた世界が急に光り輝いて見え始める
②「今、この手が他にお手伝いできることはありませんか」 いかにも忙しそうに動いている人には、  
 声をかけにくいもの。はね除けるオーラが発せられ、勝手に気が引けてしまう
③嘔吐 「苦しかったですね」 「食べたときはおいしかったですか」 「食べられて良かったですね」

【解説】
①は当たり前に生きていることのありがたさを改めて思い知らされた言葉です
②は看護士の方が患者の方にかけたさりげない一言だったと思います
 お世話を受けるばかりの患者さんは忙しそうなオーラにおされて声が
 かけにくいもの、こんな気配りの言葉がかけられる人は素敵ですよね
③これも末期症状で、「食べたくても吐いてしまう」患者さんへの声掛け
 患者さんは、吐くのはわかっていても食事の楽しさを味わいたい、
 でも吐いてしまう、そんな時に素人は苦しいのだから栄養チューブにしたら
 と思いがちですよね、でもそれでは患者さんの楽しみを奪ってしまう。
 この一言は、あらゆるものごとには二面性を持っていて、どちからから
 見ると前向きな考え方になるのかを教えてくれたように思います。
 第三者が考える吐く=苦しいと考えて、吐くことの苦痛を取り去ることが
 食事=楽しみを奪ってしまう。
 そうではなく、当事者にとっては吐いてしまっても食事=楽しみを
 得られてよかったという相手の立場にたってあげることの大切さを
 感じられる文章です

さてさて、①~③ 名文だとは思っても実践はできていません。
かなりの高レベルな対応だと思います。


第一回は終了
こんなペースで二回目以降が続けられるのかいな
(たぶん 途中からは、文章だけで解説がつかなくなるでしょうね)