栃木篤子先生のソプラノリサイタル
日時:10月31日(土)14:00~
場所:東京建物八重洲ホール(東京駅前)
バリトン 森本 潔
ある日の練習後の「反省会」の席で、「いつ、どの学年が始めたのかな・・・」ということが話題になった。この二つの事柄は、そろそろどこかに書き残しておかないと、皆さんの記憶から消えてしまう心配があり、手元の資料を探したところ、以下の事柄が判明した。
1. 30年会
昭和27年(1952年)卒団、都木直文さんが 「100周年記念誌」に寄せられた記録によると、1982年4月に持たれたのがその第一回ということである。さらに、40年会、50年会を夫々その10年後、20年後にスタートされた貴重な記録が残されている。
いつもクローバーの練習で会うメンバーだけでなく、もっと広い範囲の同級生たちに会う機会はないか・・・」ということから、『卒団して、30年目の集まりをやってみよう』ということになった。」と書かれている。
未だに、その上を行く「60年会」を企画した学年はないが、現在、同期生の集まりの中で一番元気のありそうな昭和34年(1959年)卒の方々が毎年集まっておられ、今年(2015年)には、2泊3日で「山歩き」を楽しまれ、宿泊先のホテル(旅館?)では、コンサートを持たれたとの話を聞いたので、さっそく「60年会発起人会」を組織していただくようにお願いしておいた・・・。
2. クローバークラブの名称が初めて使われた音楽会
またまた旧い話で恐縮ながら、「グリークラブ50年誌」にその記事があった。岡本俊夫氏・昭和25年(1950年)卒が書かれた一文である。それは、昭和21年(1946年)の同志社イヴ音楽会 (創立記念日を中心とした音楽会)。ちなみに、終戦の翌年である。片桐哲、湯浅永年、西邨辰三郎 と錚々たるグリーOBの先生方が 「グリーOB合唱団、クローバークラブとして初ステージを踏んだ」とある。歌われた曲は讃美歌531番「こころの雄琴(おごと)に」であり、指揮者は森本芳雄であった。
それ以後、この合唱団は実質的には存在せず、昭和29年(1954年)、日下部さんの指揮で関西コンクールに初出場、そして、その次の年から3年連続の全国優勝を果たした時に、その活動が実質的に復活した。さらに、東京への初進出の演奏会が昭和33年(1958年)に催され、津下さん、松本さん、橘さん、村上さん達の「産経会館を満席にする」の意気込みをきっかけとして東京クローバーが誕生したのが、すでに57年前のことである。あと3年で60周年 !!