東京クローバークラブ ブログ

東京クローバークラブのHPが休刊中、このブログをクラブ関係の情報交換の場といたします。

OB四連に向けての合宿無事終了 + ONE

2017-06-21 16:40:00 | 日記
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第21回OB四連に向けての同志社の合宿は6月17、18の両日名古屋で行われ、地元名古屋、関西、関東などの国内組のみならず、マレーシアからの参加もあり、約100名のメンバーが二年ぶりに一堂に会した。

本番まであと約一ヶ月だが、小久保大輔先生ご指導の デュオパの「荘厳ミサ」のソリストも決まり、2日間にわたる集中練習で全体のイメージが可成り見えてきた。過去60年間、グリーとクローバーで何度も演奏されてきた曲だが、今回は本番でどのような味の演奏になるか楽しみである。

今回の担当校は慶応で、昭和女子大人見記念講堂を使うが、幕開けからステージストームまで今までと違った構成になっており、客席の反応がどのようになるかも見どころだろう。各校馴染みの合同演奏曲の練習も進んでいる。

東京クローバーとしては、2002年にボストンからウィリアム・トーマスを迎えて同講堂で演奏した“Messiah”に参加した。近年改装され、どう変わったかも興味深いところである。

初日の夜は勿論、合宿の帰り道でもいろいろのグループが美酒を味わった。中には一人で名古屋の夜を楽しんだ者もいたようであるが・・・

何はともあれ本番は同志社グリーOBとして恥じない演奏で締めくくろう!


+ ONE

今回のブログ原稿仕上げに際し、OB会HPのGLEE SALOON VOL92で前回のフェスティバルホールでの第20回OB四連関係の記事を参照したあと、「MESSAGE from Keishi Ito」を見つけた。編集子としては皆様にぜひお読みいただきたい内容だと思い掲載させていただく。すでにご覧になっておられる方は素通りしてくださっても結構です。


25年が経過したということ

同志社グリークラブ 技術顧問 伊東 恵司(H2年卒)
同志社グリークラブ110周年記念演奏会に、実に25年ぶりに足を運んでくれた人物がいました。今回は、そのことについて語っておきましょう。ちょうど25年前の私は、学生指揮者として85回目の同志社グリークラブの定期演奏会の舞台に緊張して立っていました。人数の充実と、声の充実と、福永陽一郎の音楽の充実と、結果としてそのステー ジが福永陽一郎の最後のステージになったということで、恐らく近年(近代)の中では特に重要な演奏会として語り継がれているステージです。それを客席で聞いていた一人の中学生がその人です。

彼が、去年の同志社グリークラブの110回目の定期演奏会を実に25年ぶりに聴きに来てくれていたのです。25年前、当時トランペットを吹いていた中学生は、吹奏楽の顧問の先生と一緒に「ザ・シンフォニーホール」の客席におり、福永陽一郎の指揮する「岬の墓」の演奏を聴いて大きな感動と自分の音楽の道が開けていくのを感じました。しかしそれ以上の衝撃として、隣の客席で演奏を聞きながら号泣する大人がいたらしく、その姿が「ある種の尊い人生と音楽の謎・・」のようなものとして引っかかっていたそうです。

そこまで突き動かすものは何なのか、演奏中に泣けるということはどういうことなのか、という問いが25年間胸を離れなかったということでした。25年後、当時の中学生は,今は音楽家になっているのですが、110周年の同志社グリークラブの演奏会のチラシを見かけ、そこに福永陽一郎の名前があり、「十の詩曲(ショスタコーヴィチ作曲)」のタイトルがあることを理由に東京から京都まで新幹線に乗って足を運んでくれたのです。実に25年ぶり2回目の同志社グリークラブの定期演奏会です。

演奏会後、かつての中学生は私の楽屋に来てくれました。彼は、委嘱新曲「帆を上げよ、高く」があることを意識せずにはるばるやってきた同志社グリークラブの演奏会で、彼は、その委嘱曲の2曲目(春愁のサーカス)を聞いて思わず号泣してしまったこと、25年前に自分の隣の席で号泣した大人のように、不意にあふれた涙を堪えきれなかったことを伝えに来てくれたのでした。この人のことをご存知でしょうか? かつての中学生は、本当は来たかった病床の祖母(福永暁子さん)にメールをしていました。

25年ぶりに、同志社グリークラブの定期演奏会に足を運んでくれたかつての中学生とは今は指揮者、音楽家として東京で活躍されている福永陽一郎のお孫さんの小久保大輔さんでした。

「春愁のサーカス」を含む「帆を上げよ、高く」の演奏は、当初から予定されていた信長貴富作品集のCDに急遽加えられることになり、この6月にジョバンニレーベルから販売され「ハーモニー誌上」では特選をいただいています。この6月、名古屋の老舗男声合唱団である「東海メールクワイヤー」の定期演奏会で、福永陽一郎没後25年、生誕90年の特別オール福永陽一郎プログラムが組まれ、開催されました。

小久保大輔さんはもちろん、福永先生の奥様も名古屋までならということで来ておられました。私は、ありがたいことに、会長の都築氏から請われて「日本の歌」と「黒人霊歌」(ともに福永陽一郎編曲)と、私にとって思い出の深い「岬の墓」の3ステージ分の指揮をさせていただきました。

もうすでに死後25年経過している訳ですから、このグリーサルーンの読者のうちでも福永陽一郎を知らない世代が随分増えたということにもなります。もちろん同志社グリークラブは福永陽一郎の合唱団であったわけではありませんが、そこから与えられた影響はあまりにも大きかったのだな、ということを改めて感じます。あの強烈な個性と、そこから受けたインプレッションを整理して言語化することは今の私には難しいです。

私は、師匠を失ってから合唱指揮者としての活動を始めたわけですが、恐らく最初の5年くらいはそこから離れられず、その後の10数年間はようやくそこから離れ、独自の勉強を重ねての活動を続けてきました。そうして、最近再び福永陽一郎の残した作品や演奏と向き合う機会を得ており、その偉大さや本質に触れる教えの数々を思い出しております。同志社グリークラブが福永陽一 郎のアレンジした曲を歌うにはまだ声と数が足りません。いつの日か、潤沢な声と人数で、リヒャルトシュトラウスの歌曲集やチャイコフスキーの歌曲集を演奏出来る日を夢見ています。

文責:下津

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