東京クローバークラブ ブログ

東京クローバークラブのHPが休刊中、このブログをクラブ関係の情報交換の場といたします。

「30年会」のこと、「クローバークラブ」の命名は誰が、いつ

2015-10-28 21:15:00 | 日記
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小さな秋のコンサート
栃木篤子先生のソプラノリサイタル

日時:10月31日(土)14:00~
場所:東京建物八重洲ホール(東京駅前)







バリトン  森本 潔

今や、グリーOBにとって秋の恒例行事と言えば「30年会」。
ある日の練習後の「反省会」の席で、「いつ、どの学年が始めたのかな・・・」ということが話題になった。この二つの事柄は、そろそろどこかに書き残しておかないと、皆さんの記憶から消えてしまう心配があり、手元の資料を探したところ、以下の事柄が判明した。

1. 30年会
  昭和27年(1952年)卒団、都木直文さんが 「100周年記念誌」に寄せられた記録によると、1982年4月に持たれたのがその第一回ということである。さらに、40年会、50年会を夫々その10年後、20年後にスタートされた貴重な記録が残されている。 
  いつもクローバーの練習で会うメンバーだけでなく、もっと広い範囲の同級生たちに会う機会はないか・・・」ということから、『卒団して、30年目の集まりをやってみよう』ということになった。」と書かれている。

  未だに、その上を行く「60年会」を企画した学年はないが、現在、同期生の集まりの中で一番元気のありそうな昭和34年(1959年)卒の方々が毎年集まっておられ、今年(2015年)には、2泊3日で「山歩き」を楽しまれ、宿泊先のホテル(旅館?)では、コンサートを持たれたとの話を聞いたので、さっそく「60年会発起人会」を組織していただくようにお願いしておいた・・・。
 
2. クローバークラブの名称が初めて使われた音楽会
  またまた旧い話で恐縮ながら、「グリークラブ50年誌」にその記事があった。岡本俊夫氏・昭和25年(1950年)卒が書かれた一文である。それは、昭和21年(1946年)の同志社イヴ音楽会 (創立記念日を中心とした音楽会)。ちなみに、終戦の翌年である。片桐哲、湯浅永年、西邨辰三郎 と錚々たるグリーOBの先生方が 「グリーOB合唱団、クローバークラブとして初ステージを踏んだ」とある。歌われた曲は讃美歌531番「こころの雄琴(おごと)に」であり、指揮者は森本芳雄であった。

それ以後、この合唱団は実質的には存在せず、昭和29年(1954年)、日下部さんの指揮で関西コンクールに初出場、そして、その次の年から3年連続の全国優勝を果たした時に、その活動が実質的に復活した。さらに、東京への初進出の演奏会が昭和33年(1958年)に催され、津下さん、松本さん、橘さん、村上さん達の「産経会館を満席にする」の意気込みをきっかけとして東京クローバーが誕生したのが、すでに57年前のことである。あと3年で60周年 !!

新島襄 その心 BS11

2015-10-23 10:15:52 | 日記
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小さな秋のコンサート
栃木篤子先生のソプラノリサイタル

日時:10月31日(土)14:00~
場所:東京建物八重洲ホール(東京駅前)








いよいよ10月24日(土)午後8時~10時
BS11で「新島襄 その心」が放送されます。

同志社創立140周年の今年、同志社グリークラブOB寒河江正氏(昭和32年文学部卒、tvkエンタープライズ エグゼクティブプロデューサー)を中心にして制作された特別番組です。
この番組は、同志社創立140周年を機に、改めて校租新島襄の志の原点を探り、新島襄が目指した教育とは何か、私学の存在意義や大学教育の在り方を問うと共に、新島襄の志に共鳴し社会に飛び立った卒業生の姿を描いた作品です。

これまで新島襄本人に焦点を当てた映画やテレビ番組は非常に少なく、同志社人にとっても貴重な映像資料になると思われます。
グリークラブ関係者も多数出演します。
是非ご覧ください。



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文責:下津