東京クローバークラブ ブログ

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渡部盛守(もりしげ)牧師 のこと

2015-02-05 22:45:01 | 日記
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バリトン 森本 潔

 皆さん、同志社グリークラブOB会会員名簿の終わりの方にある「御永眠者一覧」の最初、明治42年(1909年)の欄に書かれているこのお名前をご存じだろうか。私は、昨年12月06日に京都で行われたグリー110周年の機会に、現役に一つの文章を手渡してきた。その文章は、グリーの黎明期は我々の理解している「創設者片桐哲先生」よりも少なくとも数年前に始まっていたということを現役に知らせたかったからである。奇しくも、その記念式典で祝辞を述べられた村田晃嗣学長の言葉の中に、「同志社の創立の式典においても、すでに讃美歌を歌うグループがあったと考えられる・・・」という一節があったと記憶している。この稿は、現役をはじめ、我々OB一同もしっかりとそのことを心に留めたいと思う願いから書かれたものである。

 前置きはこれくらいにして、渡辺牧師のことに少し触れておく。これは、さらに後段で述べるワグネルOBの遠藤昭二氏より頂戴した「渡部盛守小伝 ~星のように~」からの引用である。

 明治36年(1903年)、5年間の中学生時代を北海道開拓伝道の草分けともいうべき、ローランド宣教師のもとでアルバイトをして過ごした盛守青年は、すでに「讃美歌を歌えた」ために、新島先生亡きあとに「ばんから」スタイルが定着した同志社にあって「正しく音程をとって讃美歌を歌う」という活動の中心となった。「音楽の好きな級友の海老沢亮氏その他の友人と相談してグリークラブを創立した」とこの小冊子に記載されている。

 現役時代から「グリーの創設者は片桐哲先生」と思い込んでいた自分は、初めてこのような背景があったことに気付いたのである。その意味で「グリー史」をよく読むと、「当時、学内の主要行事であった弁論大会に讃美歌を歌う組織として、初めてグリークラブの名称を公式に表明した」とある・・・・。その中心となって活躍されたのが片桐先生であったというのが真実のようである。

 さらに、これらの事柄を詳しく辿る機会を与えてくれたのが、上に触れたワグネルOBの遠藤昭二氏である。5、6年も前になるかと記憶するある音楽会の楽屋に彼が私を訪ねてくれたことに始まり、偶然にも卆年が同じ(1961年)だったということや、ある宣教師の支援活動を通して連絡を取り合う内にこれらの歴史的な事柄が明らかにされてきた。茅ヶ崎恵泉教会を創立されたのもこの渡部牧師であったという事実を含めて・・・。

 この稿の最初に書いた「グリー110周年記念演奏会」には、遠藤氏は神奈川県二宮町から、京都在住の医師であるお兄さん、さらに静岡在住の従姉妹と共に聴きにきておられた。

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