
1962年発売 35mmマニュアルフォーカス一眼レフカメラ
1962年、昭和37年発売の一眼レフカメラである。
東京オリンピックの2年前。
この年のプロ野球セ・リーグの優勝は阪神タイガースであった。
もちろん私などは生まれてもいない。
でも、今私の手元にあるのである。
親父が使っていたとか、そういう事ではなく、タダ単に中古で入手しただけなのであるが・・・。
このカメラ、完全にマニュアルである。
ピントはもちろん、露出も完全に手動なのである。
はっきり言えば「失敗しやすい」カメラなのである。
でも、とりあえずではあるが、露出計付き。
それも、cdsタイプで、受光部は向かって右上にチョコンと着いている。
今は、あたりまえの「TTL」ではもちろんない。
だからファインダーで確認するものではなく、カメラ上部のメーターを読むという
これも、失敗しやすいものなのだ。
外観は小さく、小型ではあるが、それは金属の塊で、重さは大体1kgくらいある。
レンズをつければ、ゆうに1kgを越える。
これは、先ごろ発売された、ニコンの最高級機「F6」をも凌ぐ重さである。
昔の人は、これでバンバン写真を撮っていたのだ。
私は、これを「勉強用」に買った。露出とか、ピントとかの基本を学ぶためである。
レンズマウント部の絞りを設定し、カメラ上部のダイヤルでシャッター速度をセット。
最高シャッター速度は1/1000秒であるから、フィルムはISO100しか使えない。
カメラ背面にはフィルム感度のドイツの規格「DIN」との互換表がついてある。
これも、時代なのである。
ちょっと重い巻き上げノブで、フィルムを巻き上げ、シャッターをチャージ。
布製の横走り式のシャッターだから、小刻みな巻き上げも可能。
じっくりとファインダーを覗きピントを合わせる。
一見ザラザラしたマットは暗いが、ピントは非常に見やすい。
これまた重いシャッターボタンをゆっくりと押し込んで撮影終了。
今のカメラと比べたら、非常にやることが多い
今は、この時代に人がやっていたこの一連の作業をカメラがやってくれるのだ。
単に人力から機械式、そして電子式と、駆動力が変わったに過ぎない。
たまに、これを持ち出して、シャッターを切ると、デジタルの今の時代に忘れているようなものを、ちょっとだけでも思い出すのではないだろうか。
この国がまさに「日出国」であった時代のカメラである。
1962年、昭和37年発売の一眼レフカメラである。
東京オリンピックの2年前。
この年のプロ野球セ・リーグの優勝は阪神タイガースであった。
もちろん私などは生まれてもいない。
でも、今私の手元にあるのである。
親父が使っていたとか、そういう事ではなく、タダ単に中古で入手しただけなのであるが・・・。
このカメラ、完全にマニュアルである。
ピントはもちろん、露出も完全に手動なのである。
はっきり言えば「失敗しやすい」カメラなのである。
でも、とりあえずではあるが、露出計付き。
それも、cdsタイプで、受光部は向かって右上にチョコンと着いている。
今は、あたりまえの「TTL」ではもちろんない。
だからファインダーで確認するものではなく、カメラ上部のメーターを読むという
これも、失敗しやすいものなのだ。
外観は小さく、小型ではあるが、それは金属の塊で、重さは大体1kgくらいある。
レンズをつければ、ゆうに1kgを越える。
これは、先ごろ発売された、ニコンの最高級機「F6」をも凌ぐ重さである。
昔の人は、これでバンバン写真を撮っていたのだ。
私は、これを「勉強用」に買った。露出とか、ピントとかの基本を学ぶためである。
レンズマウント部の絞りを設定し、カメラ上部のダイヤルでシャッター速度をセット。
最高シャッター速度は1/1000秒であるから、フィルムはISO100しか使えない。
カメラ背面にはフィルム感度のドイツの規格「DIN」との互換表がついてある。
これも、時代なのである。
ちょっと重い巻き上げノブで、フィルムを巻き上げ、シャッターをチャージ。
布製の横走り式のシャッターだから、小刻みな巻き上げも可能。
じっくりとファインダーを覗きピントを合わせる。
一見ザラザラしたマットは暗いが、ピントは非常に見やすい。
これまた重いシャッターボタンをゆっくりと押し込んで撮影終了。
今のカメラと比べたら、非常にやることが多い
今は、この時代に人がやっていたこの一連の作業をカメラがやってくれるのだ。
単に人力から機械式、そして電子式と、駆動力が変わったに過ぎない。
たまに、これを持ち出して、シャッターを切ると、デジタルの今の時代に忘れているようなものを、ちょっとだけでも思い出すのではないだろうか。
この国がまさに「日出国」であった時代のカメラである。