よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

日本経済の将来を展望する? 99%の悲観論に抗して ④ GDPの誤解が生む高齢化社会への恐怖(1)

2023年03月06日 | 週刊 日本経済を読む
GDPの誤解が生む高齢化社会への恐怖(1)

 労働者一人当たりの付加価値額を労働生産性という。

一人当たりの労働生産性(A)×労働者数(B)=一国全体の総付加価値(供給)額(C)

 この等式が間違っているという人はいない。しかしC=GDPと考えると大きな間違いとなる。ここで一国全体の総需要をDとすると上式は次のようになる。

A×B=C≠D

 Cは総供給額だから総需要額Dの制約を受ける。C=D あるいは C<Dの場合だけC=GDPとなる。C>Dの場合はCがDの制約を受けて減少する。

 
C=D あるいは C<Dの場合

一人当たりの労働生産性(A)×労働者数(B)
=一国全体の総付加価値額(C)
=GDP<総需要額(D)

C>Dの場合

一人当たりの労働生産性(A)×労働者数(B)
=一国全体の総付加価値額(C)
≠GDP=総需要額(D)

 考えてみれば当然でいくら操業率を上げて在庫を積み上げても、売れなければ(需要がなければ)売り上げは立たない。せっかく生み出した付加価値額は実現されない。

 世の中の議論はこうではない。日本のGDPが伸び悩んでいるのは、一人当たりの労働生産性が伸び悩んでいるからだというのである。この議論には労働者数は人口減少社会では伸び悩むだろうという前提があるが、この前提も間違いである。これは後で触れる。ともかく「生産性の低い労働者を追い出せ」「生産性の低い企業は退場せよ」という議論であふれている。この議論は論壇や学会、政策の場では直ちには出てこないが、通奏低音のように力強く響いている。
上記式を正確に書くと

一人当たりの労働生産性(A)×労働者数(B)
=一国全体の総付加価値額(C)
=または<または>総需要額(D)

 《=または<または>》がどのような時にどの等号、不等号を取るかを探求したのがケインズである。世の中の議論は常にC=<Dとして疑いを持たない。
 考えてみればC>Dなら左辺のどちらかあるいは両方を減らさなくてはならないし、C<Dならどちらかあるいは両方を増やすことになる。鍵を握っているのは総需要額(D)なのだが、世の中の議論は「供給は自らの需要を創り出す」と信じて疑わない。

 多分そういう人の頭のなかは、貿易立国という神話、国際競争力という幻想で埋まっている。「国際競争力で世界に後れを取っている、だから貿易は伸び悩みGDPも伸び悩み日本は衰退に向かっているのだ」と。一企業が労働生産性に遅れを取るとその企業の将来は暗いものになる。これは誰もが同意するだろう。しかし一企業では通用する論理を何の検討も加えずに一国に拡張してしまうことなどできるわけがない。大きな間違いである。この大きな間違いを振りかざす自称経済学者が増えた。困ったものだ。ちなみにこのような議論を近隣窮乏化政策という。重商主義である。発達した資本主義国で採り続けられる政策ではない。

 問題は有効需要、それも内需の大きさなのだ。

 1-04:国際競争力という幻想、貿易立国という神話
一般理論 第三章 有効需要の原理 の前提 豊かになるほどそれに比例しては消費は増えない 
https://blog.goo.ne.jp/thegeneraltheory/e/ae778a707786a5ee3a882b0a456b3f4e
一般理論 第三章 有効需要の原理 再考
https://blog.goo.ne.jp/thegeneraltheory/e/46a76cf504423731d3d0d276ab4cac98
第3章 有効需要の原理 (豊かさの中の貧困というパラドクス)
https://blog.goo.ne.jp/thegeneraltheory/e/2491f3f9eb0c22609b25a35fc641e6a4



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