8月4日
前回のブログの更新から今日までの間、僕は「精神障害者職業センター」(※以下、このブログでは「自立支援施設」と呼ぶ。)に2度、足を運び、主治医のいるクリニックで1度診察を受けた。
自立支援施設では、1回の面談で2時間、性格検査や各種の能力検査を行った。
なかにはIQテストのようなものもあり、昔、小学生の時にやらされたなぁ・・なんて思いながら問題を解いていくのだが、それができない。
あっという間に制限時間がきてしまう。
色々な種類の検査があるのだが、その中には簡単な算数の計算問題もあり、「二桁の数の引き算」が解けなくて頭が真っ白になったときには、相当ショックを受けた。
その他の軽作業的なテストでは、木枠の中に縦横規則的に穴のあいた二つの箱の一方から一方へ、その穴に刺さっている無数の「木の棒」を上下を反転させて埋めていく、というテストや、同じく縦横に開いた穴に金属製のピンと、ワッシャーと呼ばれる薄い円盤状の部品を組み合わせて穴にさしていくテスト、などというものもあった。
担当のカウンセラーに言われるまでも無く、僕の処理速度があきらかに遅いのは自分でも良くわかった。
「桐原さん、もう少し早くできますか?」
できねぇっつうの!これで一生懸命です!
これがうまくできるのなら、こんなとこには来てねぇよ。
僕の脳の機能の一部は完全に衰えてしまっている。
いくつかのテストの一つに、かの有名な「エゴグラム」が含まれていた。
エゴグラムは心理学の勉強をした人なら知らない人はいないというほど有名な性格分析法で、人の心を5つの要素に分解して、その人の性格を表現するものである。
(エゴグラムについてのわかりやすい説明はこちら。体験もできます。http://www.kojima-y.com/ego/ego01.htm)
結論から言うと、僕は「A」が異常に高く、反面「FC」が異常に低かった。他の要素は平均的な水準。ちなみに「A」、「FC」についての解説は以下を参照いただきたい。
A:事実に基づいて物事を判断しようとする合理的な大人の心です。データを集めて理論的に処理していきます。Aが強すぎると打算的で冷たい人間に見られます。
FC:自分の欲求のままに振る舞い自然の感情を表す自由な子供の心です。明るく無邪気で行動的です。FCが強すぎるとわがままで他人への配慮に欠けてきます。
(http://www.kojima-y.com/ego/ego03.htmより。他の要素の解説も載っています。本来は漢方系薬局のサイトの一部だが、なぜかエゴグラムについての詳細な解説がある。意図は不明。)
結果については、まぁ、そうだろうな、と本人も納得。
面談の相手はいつも決まった担当の方である。僕の担当はT橋さんという男性。恐らく30代半ばくらいだろうか。
ものごしの柔らかい方で、いつも丁寧な説明をしてくれる。
しかし、どこかたよりない。
エゴグラムの結果についての説明も、要領を得ず、何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
幸いにも僕は趣味でエゴグラムについて聞きかじっていたので、結果がプリントされたグラフを見て、なるほどねぇ、という感じだったが、何も知らない人が聞いたら多分何も理解できなかったと思われる。
どうやらT橋さんは、「カウンセラー」という肩書きの名刺は持っているが、心理畑出身の人ではないようだ。
じゃぁ、何者だ?
福祉系の人なんだろうなぁ。たぶん。
そのT橋さんとの面談はあと1回で終了する予定だ。
その最後の面談で、僕の社会復帰へ向けた自立支援プログラムが決まる。
具体的に何をさせられるのかまだ聞いていないが、まずは生活リズムを立て直すため、平日の13時~16時、この自立支援施設に通うことになるらしい。
面談の様子や、その内容については、診察の際、主治医にことこまかに説明した。
主治医はだまってそのやりとりをノートパソコンに打ち込んでいく。
ひとしきり、打ち終えたところで主治医は最近の僕の状態について尋ねてきた。
夜眠れないこと、朝起きられないことなどを伝えた。
主治医はまた黙々とノートパソコンの画面を見つめ、キーボードを叩いていく。
「夜中に・・眠れない夜に、たまになんですが・・、世界の誰とも繋がっていないような“孤独感”を感じて、物凄くいたたまれない気分になることがあります・・。」
僕のその言葉を聞いた瞬間、主治医はキーボードを叩くのをやめ、少し厳しい表情になった。
それが気のせいだったかのように、主治医の表情はすぐにいつもの表情にもどり、続けてほんの数秒キーボードを叩くと、ノートパソコンを膝上からソファの上に置き、僕の“孤独感”について精神療法的解説をはじめた。
(僕の通っているクリニックの診療室はどれもソファーセットがL字型に置かれた個室で、医師と患者は、対面して座らないように工夫されている。そこには一般診療科でみられるような医師専用のデスクはない。だから医師もソファーに座って膝の上においたノートPCを使い電子カルテを利用している。)
その時、主治医が僕にどのようなロジックで今の僕の心の状態を解説してくれたのかは忘れてしまったけれど、その説明の中で、主治医は僕の“孤独感”を“不安感”と言い換えていた。
孤独と不安。
孤独と不安は同義か?
否。
孤独であると不安になることがあるが、不安な人が皆、孤独であるわけではない。
孤独、孤立、孤高。
寂しいのはどれだ?
先生、僕は不安を感じているのだけれど、その不安は本体ではなくて、孤独感から派生した感情なんです。
精神科の臨床では、孤独と不安は同義なのかもしれない。
確かに、孤独を癒す薬は処方できなくても、不安を和らげる薬なら抗不安薬がある。
“抗孤独薬”は、ない。
実際問題として、不安感がおさまると、孤独な心も落ち着くかもしれない。
でも不安から解き放たれて、冷静になった心には、自分の孤独さ、寂しさを黙って見つめるもう一人の自分が生まれてしまう。
抗不安薬は、不安感を癒すが、孤独の輪郭をえぐりだしてしまう。
少なくとも僕の場合は。
ブログの更新をサボっている間、そんなことを考えておりました。
その日は院外薬局で、医師からの処方箋を渡し、例によって大量の薬を袋につめてもって帰ってきた。
それからもう5日ほど経過しただろうか。
なんとなく感じていた違和感。
毎回、毎日大量に薬を飲むので、気づかなかった。
僕に処方されているのは、「トフラニール」(赤い錠剤)を一日六錠。
でも、僕が今飲んでいるのは、「アナフラニール」(白い錠剤)。
薬、間違ってるじゃん!!!!!!!
薬局のメガネばばぁ、やってくれるね。
どちらも同じ精神科領域の薬だが、鬱病などの薬は調子が良くなったからと言って勝手に服薬をやめてしまうと、症状の“ぶりかえし”が起き、心の調子が以前にもまして悪くなってしまうことがあるのだ。
そのため、服薬している薬を変更する際も、慎重に従来の薬を減薬しながら、新しい薬を少しずつ足していく、という過程を踏む。
なのに今回の誤薬(ごやく:医療機関ではこう呼ぶ。)事件のせいで、ぶっつりと薬を飲むのをやめてしまったばかりか、違う薬を大量に飲み始めてしまった。
おいおいおいおい。
これで調子悪くなったら、お前のせいだぞ。
まぁ、自分も早く気付けよっ!って話なんですけどね。
今日、薬局に確認のために電話をかけたが、土日のためお休みらしい。
あのババァ・・・許さんっ。
前回のブログの更新から今日までの間、僕は「精神障害者職業センター」(※以下、このブログでは「自立支援施設」と呼ぶ。)に2度、足を運び、主治医のいるクリニックで1度診察を受けた。
自立支援施設では、1回の面談で2時間、性格検査や各種の能力検査を行った。
なかにはIQテストのようなものもあり、昔、小学生の時にやらされたなぁ・・なんて思いながら問題を解いていくのだが、それができない。
あっという間に制限時間がきてしまう。
色々な種類の検査があるのだが、その中には簡単な算数の計算問題もあり、「二桁の数の引き算」が解けなくて頭が真っ白になったときには、相当ショックを受けた。
その他の軽作業的なテストでは、木枠の中に縦横規則的に穴のあいた二つの箱の一方から一方へ、その穴に刺さっている無数の「木の棒」を上下を反転させて埋めていく、というテストや、同じく縦横に開いた穴に金属製のピンと、ワッシャーと呼ばれる薄い円盤状の部品を組み合わせて穴にさしていくテスト、などというものもあった。
担当のカウンセラーに言われるまでも無く、僕の処理速度があきらかに遅いのは自分でも良くわかった。
「桐原さん、もう少し早くできますか?」
できねぇっつうの!これで一生懸命です!
これがうまくできるのなら、こんなとこには来てねぇよ。
僕の脳の機能の一部は完全に衰えてしまっている。
いくつかのテストの一つに、かの有名な「エゴグラム」が含まれていた。
エゴグラムは心理学の勉強をした人なら知らない人はいないというほど有名な性格分析法で、人の心を5つの要素に分解して、その人の性格を表現するものである。
(エゴグラムについてのわかりやすい説明はこちら。体験もできます。http://www.kojima-y.com/ego/ego01.htm)
結論から言うと、僕は「A」が異常に高く、反面「FC」が異常に低かった。他の要素は平均的な水準。ちなみに「A」、「FC」についての解説は以下を参照いただきたい。
A:事実に基づいて物事を判断しようとする合理的な大人の心です。データを集めて理論的に処理していきます。Aが強すぎると打算的で冷たい人間に見られます。
FC:自分の欲求のままに振る舞い自然の感情を表す自由な子供の心です。明るく無邪気で行動的です。FCが強すぎるとわがままで他人への配慮に欠けてきます。
(http://www.kojima-y.com/ego/ego03.htmより。他の要素の解説も載っています。本来は漢方系薬局のサイトの一部だが、なぜかエゴグラムについての詳細な解説がある。意図は不明。)
結果については、まぁ、そうだろうな、と本人も納得。
面談の相手はいつも決まった担当の方である。僕の担当はT橋さんという男性。恐らく30代半ばくらいだろうか。
ものごしの柔らかい方で、いつも丁寧な説明をしてくれる。
しかし、どこかたよりない。
エゴグラムの結果についての説明も、要領を得ず、何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
幸いにも僕は趣味でエゴグラムについて聞きかじっていたので、結果がプリントされたグラフを見て、なるほどねぇ、という感じだったが、何も知らない人が聞いたら多分何も理解できなかったと思われる。
どうやらT橋さんは、「カウンセラー」という肩書きの名刺は持っているが、心理畑出身の人ではないようだ。
じゃぁ、何者だ?
福祉系の人なんだろうなぁ。たぶん。
そのT橋さんとの面談はあと1回で終了する予定だ。
その最後の面談で、僕の社会復帰へ向けた自立支援プログラムが決まる。
具体的に何をさせられるのかまだ聞いていないが、まずは生活リズムを立て直すため、平日の13時~16時、この自立支援施設に通うことになるらしい。
面談の様子や、その内容については、診察の際、主治医にことこまかに説明した。
主治医はだまってそのやりとりをノートパソコンに打ち込んでいく。
ひとしきり、打ち終えたところで主治医は最近の僕の状態について尋ねてきた。
夜眠れないこと、朝起きられないことなどを伝えた。
主治医はまた黙々とノートパソコンの画面を見つめ、キーボードを叩いていく。
「夜中に・・眠れない夜に、たまになんですが・・、世界の誰とも繋がっていないような“孤独感”を感じて、物凄くいたたまれない気分になることがあります・・。」
僕のその言葉を聞いた瞬間、主治医はキーボードを叩くのをやめ、少し厳しい表情になった。
それが気のせいだったかのように、主治医の表情はすぐにいつもの表情にもどり、続けてほんの数秒キーボードを叩くと、ノートパソコンを膝上からソファの上に置き、僕の“孤独感”について精神療法的解説をはじめた。
(僕の通っているクリニックの診療室はどれもソファーセットがL字型に置かれた個室で、医師と患者は、対面して座らないように工夫されている。そこには一般診療科でみられるような医師専用のデスクはない。だから医師もソファーに座って膝の上においたノートPCを使い電子カルテを利用している。)
その時、主治医が僕にどのようなロジックで今の僕の心の状態を解説してくれたのかは忘れてしまったけれど、その説明の中で、主治医は僕の“孤独感”を“不安感”と言い換えていた。
孤独と不安。
孤独と不安は同義か?
否。
孤独であると不安になることがあるが、不安な人が皆、孤独であるわけではない。
孤独、孤立、孤高。
寂しいのはどれだ?
先生、僕は不安を感じているのだけれど、その不安は本体ではなくて、孤独感から派生した感情なんです。
精神科の臨床では、孤独と不安は同義なのかもしれない。
確かに、孤独を癒す薬は処方できなくても、不安を和らげる薬なら抗不安薬がある。
“抗孤独薬”は、ない。
実際問題として、不安感がおさまると、孤独な心も落ち着くかもしれない。
でも不安から解き放たれて、冷静になった心には、自分の孤独さ、寂しさを黙って見つめるもう一人の自分が生まれてしまう。
抗不安薬は、不安感を癒すが、孤独の輪郭をえぐりだしてしまう。
少なくとも僕の場合は。
ブログの更新をサボっている間、そんなことを考えておりました。
その日は院外薬局で、医師からの処方箋を渡し、例によって大量の薬を袋につめてもって帰ってきた。
それからもう5日ほど経過しただろうか。
なんとなく感じていた違和感。
毎回、毎日大量に薬を飲むので、気づかなかった。
僕に処方されているのは、「トフラニール」(赤い錠剤)を一日六錠。
でも、僕が今飲んでいるのは、「アナフラニール」(白い錠剤)。
薬、間違ってるじゃん!!!!!!!
薬局のメガネばばぁ、やってくれるね。
どちらも同じ精神科領域の薬だが、鬱病などの薬は調子が良くなったからと言って勝手に服薬をやめてしまうと、症状の“ぶりかえし”が起き、心の調子が以前にもまして悪くなってしまうことがあるのだ。
そのため、服薬している薬を変更する際も、慎重に従来の薬を減薬しながら、新しい薬を少しずつ足していく、という過程を踏む。
なのに今回の誤薬(ごやく:医療機関ではこう呼ぶ。)事件のせいで、ぶっつりと薬を飲むのをやめてしまったばかりか、違う薬を大量に飲み始めてしまった。
おいおいおいおい。
これで調子悪くなったら、お前のせいだぞ。
まぁ、自分も早く気付けよっ!って話なんですけどね。
今日、薬局に確認のために電話をかけたが、土日のためお休みらしい。
あのババァ・・・許さんっ。
鬱陶しい梅雨が明け、夏らしく暑い毎日ですね。
おはようございます 亮司さん。
はい!!
亮司さんの おっしゃる通り 更新を心待ちにしていました。
何か 苦しんで辛い思いをしているのではないか…?
体調を崩して日常生活に支障がありはしないか…?
などなど…
お節介なおばさんみたいですよね。
でも また
いつもの亮司さんが 帰って来て嬉しかったです。
いつも冷静沈着な亮司さんが
< ババァ > なんて書いちゃったりして、なんだか とっても新鮮な感じ☆(^-^)
自分の感情を素直に 現す事って 時にはとっても大事な事と思うのです。
現し過ぎるのも 問題有りですけどね!?
兎に角 良かった。安心したと言うのが正直な 私の思いです。
しかし、お薬を間違えられるのは 患者にとって一大事、もう少し薬剤師としての プロ意識を しっかりと自覚してもらいたいものです!
すみません、エラソーに…
人間 生まれる時も 天に召される時も一人で孤独な者と 頭では理解していても、生身の人間にとって
不安・孤独は辛いもの…
自分自身でコントロールできたら いいのに…
こんなブログですが、更新を心待ちにしている、なんて言われると気恥ずかしいやら、もっとまともな記事を書かなきゃ、などと身が引き締まる思いです。
これからも、たまに長期休業状態になるときもあると思いますが、ゆっくり更新していきますので、毎日とはいいません、気が向いたときに見てやってください。
このブログに新しいお客様とは珍しい。
コメントいただき、ありがとうございます。
これまでの記事もずっとお読みいただいていたのでしょうか?
それならお礼を言わなければなりません。
ありがとうございます。
僕に伝えたいこと?いったいどんなことでしょう?
>あなたが本人なのか、はたまた、空想なのか・・・。
この質問には答えられます。
僕は本人です。
空想の人物ではありません。
幸か不幸か、リアルな世界に生きています。
但し、“桐原亮司”という名前は僕の本名ではありません。適当につけた名前ではなく、意味がある名前です。
記事にしている内容は、原則として全て事実です。
但し、内容の伝わりやすさを考慮して、細かい部分の説明を省いたり、または少し誇張したりしている場合があります。
また、企業名や個人名など、過去から現在にわたって僕に関わった人たちがこの記事を見たときに、それらが特定されて周囲に迷惑をかけてしまわないように、一部で名称を変更したり、周囲の事実関係とは若干ことなる内容に書き換えたりしている場合があります。
しかし、記事の本筋は始まりから終わりまで、全て事実です。
僕はあまり文章を書くのがうまくないので、いつも、短く、読みやすく、伝わりやすい記事にまとめようと心がけて書き始めるのですが、それがなかなかうまくいきません。
いつも、冗長な文章に終わってしまいます。
もし、これまでに綴った全ての記事が僕の空想の産物だとしたら、僕は優秀なゴーストライターを雇って、数冊の本の出版を目論んでいたかもしれません。しかし残念ながらそのような事実はありません。
このブログはリアルな僕が自己憐憫に浸る場所です。
失恋したときに、わざわざ失恋ソングを聴いて泣くのと同じ感じです。
このブログを始めたのは、元上司の薦めがきっかけでしたが、今ではこのブログ自体が、リアルな僕の正気を保つ装置の一部になっています。
これからも僕はこのブログでは、事実しか書きませんし、事実しか書けません。
そういう前提にたって、これからも気が向いたときに遊びにいらしてください。
お待ちしています。