the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

危ない眼。

2007-06-09 03:28:20 | 鬱病日記
6月8日


相変わらず昨夜もなかなか眠りにつくことができなかった。
3時まで居間の鳩時計が鳴いていたことを覚えている。
そう、この家の居間には鳩時計があるのだ。
24時間のそれぞれの時刻と30分に1回、鳩は小窓から出てきて時を告げる。


目覚めたのは正午過ぎ。これもいつもどおり。
そのまま寝たり起きたりを繰り替えす。

ここのところ連日外出していたせいか、身体が辛い。
去年の今頃、強壮剤や栄養剤を何本、何錠と飲み続けながら、無理やり会社に通っていた時と同じような疲労感だ。
ちょっと調子にのって活動しすぎたのかもしれない。

今日はゆっくり休んでいようとも思ったが、「自立支援医療費」の更新手続きがまだだったことを思い出して、悩みに悩んだ末に「キューピーコーワゴールド」を2錠飲んで駅に向かった。

事前に電話で確認したところ、区役所の窓口の受付時間は17:00までだという。
電車と地下鉄を乗り換えて、ギリギリ間に合うか間に合わないかといったところだ。
乗り換えの駅についたが、地下鉄の駅までここから10分ほど歩かなければならない。その上、区役所の最寄り駅から区役所までも徒歩で同じくらいの時間がかかる。
このままでは間に合わないと思い、駅前でタクシーをつかまえた。

区役所に着いてから担当の窓口を探すのに少々手間取ったが、窓口に座ってからの手続きは恐ろしく事務的で、これ以上効率化する余地がないと思われるほどの手際の良さであっという間に終了した。時間にして5分程度だったように思う。

僕は手続きを終え、区役所を出た。

そこは懐かしい街だった。
僕が19才から20才にかけての1年間を過ごした街。

その街には精神科の専門病院があった。
そこで僕は白衣を着て、鍵のかかった急性期閉鎖病棟のなかで、毎日、患者さんたちと“格闘”していたのだ。
何も起こらなければ、僕は今頃その病院で看護師として急性期病棟の患者さんや精神科救急で運ばれてくる患者さんの看護にあたっていただろう。

だが、僕はその病院を1年で去らなければならなくなった。
昔の話だ。

色々と思いで深い患者さんたちを思い出しながら、地下鉄の駅まで歩く。
さて、これからどうしよう。

折角ここまで来たのだから、今月中に定期検査が必要な眼科に行こう。
3ヶ月に一度のペースで、僕は眼科の精密検査を受けている。

平日の夕方、駅ビルの中のクリニックの待合室には、二人の先客がいた。
受付を済ませ、待合室のイスに座って名前が呼ばれるのを待つ。
5分ほどで名前を呼ばれた。

最初はおなじみの視力検査だ。
コンタクトレンズをはずして、指定されたイスに座る。
片目を隠した無機質で無骨な検査用メガネをかける。
はじめは右眼から。

「・・・わかりません。」

「・・・見えません。」

「・・・すいません、ちょっとわからないです。」

僕の右目は弱視で斜視で、その上、視野の半分が欠けている。
コンタクトやメガネで矯正しても、視力が0.1を越すことはない。

幼い頃からそうだった。
今まで3度の手術をしたが、その結果がどうだったかについては語るまでもない。

小学校にあがるようになってからは、一年に一度学校で行われる身体測定が辛かった。僕の右眼では、視力検査で用いられる、一部が欠けた円とひらがなが縦に並んだおなじみの表が見えない。いや、見えるのだが、一番上に書かれた大きな文字が読めない。形がわからないのだ。円の欠けた方向もわからない。

「・・・わかりません。」

「・・・わかりません。」

「・・・わかりません。」

僕にはわからない、視力検査表の一番上の大きな字。
「わからない」を連発する僕の様子に、順番を待つクラスメイトがざわめきだつ。
いつものことだが、何度体験してもさらし者になったような気分になった。
“みんな”は僕に対して、なにか違う生きものを見るような、好奇に満ちた視線を投げつける。そして、ヒソヒソ、コソコソ言葉を交わす。


僕の“右眼”は、視力が他人よりも際立って悪いだけではなく、困ったことに僕の言うことを聞いてくれない。

「話を聞くときは、きちんと先生の顔を見なさい。」

「お前、どっち向いてるの?」

僕は真正面を見ている。目の前の彼を見ている。・・つもりでいる。
だけれども、困ったことに、僕の右眼は僕の意思にそむいて、そっぽを向いてしまう。
相棒となるべき左眼と同じ方向を向いてくれない。片目だけがいつも顔の外側を向いてしまう。

だから、昔から写真は嫌いだ。
自分の顔を見るのが嫌だったから。
眼が、片方ずつ、違った方向を向いている、とても奇異な顔。
写真はそんな事実を客観的に自分自身に見せ付ける。

大滝秀治さんの“しゃがれた”声のCMではないが、僕も彼と同じように、「ず~っと、この眼でやってきたんだよねぇ・・。」







「はい。では、次に左眼の視力を測りますね。」

両眼視ができない僕は、“健全に機能する”左眼に頼って生きてきた。
片目でしかものを見ることができないから、遠近感がうまくとれない。
そのため歩いていると身体をあちこちにぶつけたりするが、それでも彼はそっぽを向いた相棒について愚痴をこぼすこともなく、これまで僕の行く道をまっすぐ見据えていてくれた。

そんな彼も、ここにきて少し疲れてきたようだ。30年、相棒なしで頑張ってきたのだから相当無理がかかっていたのかもしれない。
それでも彼は頑張って、裸眼でも普段の生活に困らない程度の視力を発揮してくれる。コンタクトレンズという力も借りて、彼は僕の生活を無言で支えてくれる。

僕の右眼はやんちゃな坊主、僕の左眼はまじめで実直で責任感が強く、献身的な少年だ。


医師は僕に顕微鏡のような装置にあごを乗せるよう指示した。
部屋が暗室になったのと同時に、右目に光が当てられる。

「・・まっすぐ前をむいてくださいね・・まっすぐですよ・・・。」

こんな時でも僕の右眼は僕の意思を聞き入れてくれない。
もちろん、いつもそっぽを向いているわけではない。
気分のいいときは、相棒の左眼と同じ方向を向いてくれる。
しかし、こういう大事な時、つまり検査や、証明写真を撮るなんていう特別な時には例外なく言うことを聞かなくなってしまう。
とても気まぐれで反抗的なヤツなのだ。

このクリニックに定期的に検査に通うようになってから、1年くらいになるだろうか。
右眼が弱視であることは知っていたが、視野の半分が欠けていることについては、このクリニックで視野の検査をするまで気がつかなかった。
当時、“黒いドット”で表されたその検査結果を見せられたときは、少なからず衝撃をうけた。
僕の右眼は僕の意思に反抗する一方で、彼自身のきまぐれで向いた方向の景色の半分を映し出していない。


「う~ん・・・。」

僕の右眼を顕微鏡のような装置で観察している医師は、同情気味にうなり声をあげる。
最近、目の前を黒い点のような、あるいは虫のようなものが飛んでいるように見えることがある。
医師は顕微鏡のような装置の向こうで、こう言った。

「あ~、飛蚊症のような感じですね・・。う~ん、これはちょっとひどいな・・。」

僕のやんちゃな右眼は、自分勝手な方向を眺め続けてきた上に、視野の半分は見えておらず、最近にいたっては見えるはずのない“虫”を見続けてきたようだ。ほとほと困った子である。

でも大丈夫。30年、君の気まぐれにつきあってきたのだ。今更、何を言われても大概のことでは驚きはしないさ。


しかし、今回の主役はやんちゃな右眼ではなく、これまで献身的な働きをしてくれていた左眼のほうだった。

顕微鏡のような装置を左眼に向けた医師は、またうなってしまった。

「あっ・・、う~ん・・これはちょっと・・。今日、眼底やりましょう。あとカメラも。」

指示を受けた看護師さんが僕を検査室に案内した。

眼圧検査、眼底検査、眼カメラ?(眼の中の写真を撮られた。)
一通り検査を終えた後、僕はまた診察室のイスに座らされ、顕微鏡のような装置にあごを乗せるよう再び指示される。

ただ先ほどと違っていたのは、目に麻酔薬を点眼され、ドロっとした無色透明なモノを宝石を鑑定するときに目にはめるレンズのようなモノに塗り、それを直接僕の眼球に押し付けたことだ。

痛みはない。しかし、気持ちのいいものでもない。

特殊なレンズのようなものを僕の眼球に押し当てたまま、顕微鏡のような装置の向こうから僕の眼の中を覗き込んでいる医師は、一定の間隔をあけて僕に視線を向ける方向を指示する。

「・・左を見てください。・・・う~ん・・・あぁ・・・・じゃぁ次、左上・・・・上・・・・次は右上・・・右・・・右下・・・・はい、下・・・・左下・・・。」


両眼とも同じ検査を行い、ドロッとした液体で眼がベタベタになっているところを看護師さんがティッシュで拭いてくれている間、医師はパソコンに僕の両眼の写真を表示するように操作した。


少し間をおいてから、僕の両眼が映し出されたパソコンの画面を指し、医師が言った。


「とても危ない眼だね。特に左眼。」


え・・?左眼?ですか?右じゃなくて?


「そう。かなり変性してる部分もあるんだよね。こことこのあたり。網膜剥離になる可能性が極めて高い状態。」



そもそも、この眼科へ通うことになったのは、コンタクトレンズを作りに“コンタクト屋”に行った際、付属の眼科で医師の診察を受けたことがきっかけだった。

「緑内障の可能性があります。両眼とも。特に左が少し心配です。一度、きちんとした検査を受けてください。」

そうしてたまたま見つけたのが、駅ビルの傍のメディカルモールにあったこのクリニックだった。

前回までの定期検査でも、確かに“緑内障や網膜剥離になりやすい眼”との診断を受けていた。緑内障を疑わせるような状態も確認できるが、眼圧測定の値が高いわけでもない(むしろ低いそうだ)ので、経過観察としてこのまま定期的に検査を続けていきましょう、とのことだった。


今回の医師の言葉を聞く限り、緑内障のそれではなく、今は網膜剥離になる危険性が極めて高い、という。
少なくとも、前回3ヶ月前の検査よりもその兆候は顕著にあらわれ、眼の中の状態は悪くなっているということだ。

そうは言っても、特に今の段階で何らかの処置ができるわけではないので、今後も定期的に注意深く検査を受け続けていきましょう、ということで診察を終えた。


今まで献身的に尽くしてきてくれた僕の左眼は、この30年間でどうやら深い傷を負ってしまったらしい。



会計を済ませ、クリニックを出る。
あのドロッとした液体のせいで、眼がまだ通常の状態に戻っていない。
だからコンタクトはつけていない。


視界がぼやけている。
眼に映る全てのモノの輪郭が曖昧になり、そのモノの輪郭が周囲に溶け込んでいるように見える。
瞳孔を開く薬を使ったせいで、光がとてもまぶしい。


左眼の視力を失う、といことは僕にとって、とても重大な問題である。
右眼がやんちゃで未熟で、充分に機能しないからだ。

無論、網膜剥離になったからと言って失明するわけでもないだろうが、受付で渡された「網膜剥離」についての小冊子には、数通りの手術方法が丁寧に説明されている。


嫌だなぁ。こういう展開。


僕は家に帰る道すがら、わざと左眼を閉じて右眼だけで数メートルほど歩いてみた。このように左眼という優秀な相棒が機能しなくなったときは、普段は反抗的な右眼も、しかたなく僕の意思に従って動いてくれる。

その眼を通してみる世界は、全てが曖昧で、全ての境界が溶け出してしまった、奇妙な世界だった。


次の検査は3ヵ月後。
僕の左眼は、あと何年持ちこたえてくれるだろう。




機能不全の右眼だけで見る世界は、ほんの少しだけ、申し訳ないと感じている右眼の気持ちを表しているかのように、全てのモノが謙虚に映っていた。