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the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

傷跡。

2008-01-17 23:01:21 | 社会復帰編
1月17日



手首にあてた刃物の傷跡をみつけたのは、

同居している母でも、

毎日顔をあわせる会社の同僚でもなく、

27歳の青年だった。


僕の左手首には、一本の傷跡がある。


リストカットをする人たちの気持ちがわからないでいた。

死にたいのならもっと確実な方法があるし、

自分の体を傷つけて何が変わると言うのか。





ためらい傷なんて格好が悪いから、一気に切ろうと思った。

黒いカッターナイフの刃を左の手首にあてた。


力をいれる。


痛い。


でも、もっと。

眼はそらさない。


ぐっと力をこめたとき、刃先に血がにじんだ。

そのまま一息にカッターナイフを引く。


バイオリニストが、バイオリンの弦を引くように、

一息に、スマートに、大胆に。


うっすら浮かんだ一線の傷跡。


力が足りなかったか。


そう思ったとき、ぽたりと紅い雫が滲んで落ちた。



そしてとめどなく、あふれ出る紅い液体。




あぁ、そうか・・。


こういうことか。




紅い雫はとめどなく、じわじわと湧いてでる。

ぽたりと、雫がシーツに落ちた。



洗わなきゃ・・血の染みって落ちないんだよな・・。


僕は終始冷静だ。


いつだってそうだ。


自分で、自分を切ったのだから、驚く訳もなく。



にじみ出る紅い液体を、舐めた。


血の味がする。


鉄の味。




手首を切った。


血が流れて。


僕は、安堵する。




この感覚だ。



なるほど。そういうことか・・・。





少し深く切りすぎたせいか、すぐに消えるであろうと思っていた、その切り傷は、
今でも紅い一線となって僕の左手首に残っている。


母に知れたら大変だ。

彼女は狼狽し、自分を責めるだろう。




慎重に、シャツは長袖のものしか着ない。





そして今僕は彼の前にいる。





「あ・・傷・・。」



「ダメですよ、自分をいじめちゃ。」





彼は横たわった僕の手を握りながら、マッサージを続ける。

それが彼の仕事だから。



誰かに手を握ってもらうのは、悪くない。



紅い血の味は、癖になる。




手首をつたい、流れ落ちるそれは、ぬるっとしていて、あたたかい。




そして僕は、安堵する。






なるほど、こういうことなのか・・・。





彼は、僕の背中を触りながら、「肌がきれいですね」と言う。


ありがとう。





できれば、この傷跡を褒めてはくれないか。



紅い、鮮やかなそれは、美味だ。






そして僕は、安堵する。



次回、君に会ったときには・・・。




僕はまた、安堵する。









つぶれた・・・。

2008-01-10 22:11:21 | 社会復帰編
1月10日



居候している母の家から、最寄の鉄道の駅までのあいだにあったコンビニがつぶれた。


セブンイレブン。


朝、出勤したときには気づかなかったけれど、
夜、凍てつく北国の寒さに凍えながら帰る途中、明かりが消え、看板のはずされた店(の抜け殻)に気がついた。


夜のコンビには、街のあかり。


僕もそろそろつぶれそう。。。。。



桐原、「ねずみ男」と出会う。

2008-01-05 22:50:55 | 社会復帰編
1月5日


待ち合わせ場所を指定してきたのは相手。
駅構内のドーナツショップの入り口、その隣にある赤い自動販売機。




目印は黒のロングコートに、黒いロングマフラー。


約束の時間に遅れること3分。



そこに現れたのは・・・



「ねずみ男」



いるんだ、本当に。



今夜はねずみ男に占いと魔術の武勇伝を聞き、

とんかつ定食をごちそうし、

食後のコーヒーまで飲ませてあげて、

たっぷり3時間。




ねずみ男はよく喋る。

嘘つきとペテン師もよく喋る。



しかし、このねずみ男は「秘伝の占い」で僕の無くした財布のありかを言い当てた。



まがい物か本物か。





深夜残業に休日出勤が続いたこの体には、ちょっとつらい。

明日は1ヶ月ぶりに薬をもらいに病院に行こう。






桐原、働いております。





白いワイシャツ

2007-12-02 20:53:45 | 社会復帰編
12月1日


髪を黒く染めた。

長かった襟足と、耳にかかるほどの長さのサイド、そして僕の「右眼」を隠していてくれた長い前髪も短く整えられた。

髪を黒く染めたのは、中学校を卒業して以来のことだ。
鏡に写る黒髪の自分に戸惑う。


派遣業務に応募して、入社手続きを済ませてから仕事に就けずにいる期間、およそ1ヶ月。
それまでの担当者、E嬢の上司から電話がかかってきた。

「よぉ。久しぶり。(中略)・・・と言う報告を聞いて、さすがにこのままじゃまずいな、と。それで一度話しをしたいんだけど、オフィスまでこれるかな。」


この上司は遥か昔、僕の事実上の上司だったことがある。
元営業担当で配属替えで当時の僕の現場に着任したが、そのあまりの仕事のできの悪さに、当時アルバイトながらも役職についていた僕は、妻子あるその年上の「上司」に対して、連日、歯に衣着せぬダメだしをした。

その上司は今は当時よりも出世して、世間一般で言うところの課長クラスの役職についている。
何の因果か、今度は僕がその彼のお世話になるなんて・・。
世の中どこで何が変わるかわからないものである。

「俺がね、最初に“仕事ができる現場の人”として認めたのが桐原君なんだよ。」

それはありがとうございます。

でもそれは病む前の、昔の話。
今じゃ・・。

「それでね、桐原君は短期の仕事で終わるのは惜しい人材なので、うちの部署が委託を受けているA社に、“役職者候補”として入ってくれないかな。ゆくゆくはその“センター”を桐原君にまかせたいんだ。」

ほほう・・。
病み上がりの僕にセンターマネージャーをやれと。
相変わらず随分とスリリングなキャスティングをしてくれる上司である。

しかし、信頼してくれている人がいるというのは、素直にありがたい。


その上司から出された条件は2つ。
1.茶髪メッシュの髪を黒く染めること。
2.出勤の際はスーツ着用で、ワイシャツは白いものに限ること。


いまどき珍しい厳しさ。。。。
クライアントが金融機関なのでしかたがないか・・。



そして僕は、自分が白いワイシャツを1枚しか持っていないことに気づく。

今まではカラーのワイシャツで全然OKだったし、黒っぽいグレイのワイシャツに青いネクタイ、そして茶髪ロンゲという、「普通の会社員には見えない。(知人談)」格好しかしたことがなかったので、白いワイシャツなんて着たことがなかった。
社内ではだいたいカーディガン着てたし。(※寒がりなんです。)


黒く染めて短くなった髪に、白いワイシャツをあわせて鏡の前に立ってみる。



知らない人が立っている。


ついでにメガネもかけてみた。


できのわるそうなサラリーマンがこっちを見てる。



明日は8:30にオフィスに集合。
シャワーを浴びたいから早起きしなきゃ。


長期勤務に身体がついていけますように・・。

通院日・・・ついでに心理職について考えてみる。

2007-11-04 23:43:14 | 社会復帰編
11月4日



どうも最近調子がイマイチだ。
昼間にどうしようもなく身体がだるくなって、横になる癖がついた。
横になったが最後、そのまま2~3時間寝てしまう。

昼間の変な時間に寝てしまうので、夜の睡眠が浅くなった。
その上、眠りに着きにくい。

こんな状態で社会復帰しても大丈夫なのだろうか・・。


・・・なんて不安を抱えつつ、今日は2週間に一度の通院日。
派遣のアルバイトの面接を受けて合格したことは、主治医には内緒の話である。

「どうですか?」

いつものようにノートパソコンを小脇に抱えて主治医が診察室に入ってきた。


・・・・。


先生、髪の毛、染めましたね。
しかも茶髪っていうか紅いですよね・・その色は如何なものかと・・(笑)

まぁ、僕もいい年をして茶髪なので何も言えないが、ジーパンの上に白衣を着てやってくるサンダル履きの主治医はいつものようにラフだった。


今回の診察では、社会復帰の話についてもちらっと触れられた。
僕が、「家で寝てるとだるくなるのが、少し散歩などをするとかえって楽になる。」と言ったのが発端だった。

「毎日通うところがあったほうが楽なのであれば・・」

と言って、主治医は「デイケア」の施設を紹介しようとした。
ちなみに利用は有料だそうだ。

そのデイケア施設で何がなされるのかはわからないが、以前、この主治医のすすめで通った「障害者施設」で痛い思いを経験しているので(過去記事参照)、デイケアへの通所の件はあえて深く聞かなかった。

「最初はコンビニのバイトを一日3~4時間、週3日とかって感じで慣らしていくといいんですけどね、本当は。」

そんなんじゃ、暮らしていけねぇ~っつうの。
以前から感じていたことだが、僕の主治医は社会からヒトが隔離、或いは排除されることがどれほど大変なことなのか良く考えたことがないのではないかと思う。

鬱病治療の基本は、薬物療法と充分な休養、そしてわずかばかりの精神療法(というなの雑談)である。

同じ行為でも医学的には「精神療法」、心理学的には「心理療法」。
しかも、精神科医はいわゆる臨床心理学などの名目で研究されている、カウンセリング理論や、技術をその養成過程で学ぶことはない。
一方で心理士も、精神・身体医学についての学習はほとんどなされないまま、「カウンセラー」になっていく。

こんなことだから、去年の国会で同じカウンセリングを行う資格であるにもかかわらず、“医療心理士”(仮称?)、“臨床心理士”(※公的資格として既存)の二つの資格制度が作られそうになって、結局つぶれた、なんてことになるのである。

精神科医療における心理士の役割については議論があるところであるが、一応、臨床心理士という名の資格をみにつけた人の中で、とてつもなく少ない求人にありついたわずかな運の良い人が、病院・クリニック(?)等で“心理士”をしている。仕事の内容はともかくとして。

心理臨床という立場に立ったときに、「臨床心理士」という、指定された大学院の修士まで進まないと受験資格すら得られない、超・難関(というか、面倒くさい)資格制度をつくり、世の中に跋扈する怪しげな“××カウンセラー”などの不貞の輩を廃し、「心理職」という“まっとうな”(?これも怪しい表現だが)職域を確保しようとした河合隼雄氏の功績は大きい。臨床心理士制度と言えば、ユング心理学の大家で臨床心理をとわず、心理学を学ぶ者はその名を知らぬ人はいないともいえる、河合隼雄氏(元文化庁長官)の名を出さぬわけにはいかず、氏の努力なくして今の臨床心理士制度は語れない。ある種のカリスマであった。

受験資格を大学院修士課程修了とした点は、医師の養成過程をかなり意識し、チーム医療のなかで“ひけをとらない”立場に立ちたかったという思いが滲みでているようだ。
折りしも、昨今、医師に限らず、看護師は4年生大学卒業者が多くなり、薬剤師を養成する薬学部は6年制になった。理学療法士や作業療法士は以前から学部での養成がすすんでおり、栄養士でさえも管理栄養士の資格をとってまともに病態栄養学などを究めようとするなら、学部卒は当たり前だ。(医療現場における栄養士のありかたについては別途。)
このように医療技術者の高学歴化は医療の高度化にともない必然的に求められてきた。一見すると、学会認定資格でありながらも修士課程修了を条件とした臨床心理士資格制度は先見の明があったのかもしれない。

が、

心理畑の人は、6年間大学や大学院に通っても、心理学的アプローチしか学ばない。(若干の大学における取り組みを除く。)

その求められている役割が“医療”でないのなら、例えば同じ精神科医療の現場で活躍されている制度に精神保健福祉士(PSW)という国家資格がある。基本的に学部卒が受験要件であり、医学系科目も学ぶがはっきり言って質も量も(医師のそれと比較して)それほど本格的ではない。
だが、PSWという立場で患者と向き合う上では、他の医療スタッフが共通して「医療」をバックボーンとして患者に接するのに対し、PSWは「福祉」の立場からモノをいい、福祉の立場から患者の社会復帰を支援するのだから現行制度で全くと言っていいほど問題が無い。
(もっとも、本当に「福祉」をやりたいなら、医療機関では無理だ。と言った声も良く聞く話ではあるが・・。)

では、心理士はどうか?
心理士が「心理学」という学問的バックボーンを背負って、患者にアプローチする事は意味があることなのかもしれない。
だがしかし、それでは心理士の行う心理療法と精神科医が行う精神療法は、互いにどうあるべきなのか。
それを事を考えたとき、問題はそう簡単に片付くものではない。

医師が精神療法を行った患者に心理士が心理療法を行うのか?

精神医学と医療現場の心理学は、まだお互いにベストな距離を測りかねているように見えてならない。
また、PSWのそれとは違い、心理士が患者に施す行為の一部は限りなく“治療行為”に近い。言うまでもなく、カウンセリングのことである。

チーム医療という言葉が日本にあらわれて、かれこれ10年は軽く超えただろう。
僕が以前働いていた病院の婦長が言った言葉が忘れられない。

「患者さんの治療については医師の指示に従います。しかし、看護については私達のやり方に口を出さないで頂きたい。なぜなら、あなた(医師)は、看護学について学んできていないのだから。」

医者は医学というバックボーンを背負い、看護師は看護学というバックボーンがある。薬剤師には薬学、PSWやMSW(精神科病院以外の医療ソーシャルワーカー)は社会福祉学、栄養士は栄養学、心理士は心理学。

そう、違う畑の専門化が患者をみるのだからそれでいいのかもしれない。
しかし、精神科医療の特殊性を考えたとき、既存の臨床心理士養成カリキュラムでは医学関連領域の科目が絶対的に不足している。

それは管理栄養士が米国のように「臨床栄養士」として医療スタッフの一員とはみなされないことが多いことと、本質的には同じ問題なのかもしれない。

心理士も、栄養士も、他で働くならいざ知らず、ことに医療の現場で戦いたかったら、もっと“医療”的学問をまなばなければならない。

だから先に触れた国会のおかしな議論のようなことになっていくのだ。

具体的に言うなら、このままの資格制度で“精神医学を知らない心理士”が増えていき、開業する心理士などどがあらわれ、繁盛し始めたとしよう。(日本の現状ではまずありえないだろうが・・。)

そこに鬱病の患者が現れたとき、或いは統合失調症の患者が現れたとき、その心理士は的確な判断のもとに、然るべき医療機関にその患者を紹介することができるのか?という話である。

はっきり言うが、鬱病はカウンセリングでは治らない。
充分な休養と適切な量・種類の薬物療法が必要なのだ。
そんな患者を、カウンセリングという名の下にしばりつけておくのは、症状を悪化させる以外の何者でもない。
だから、少なくとも「心の病」を対象に“擬似治療”を行うのであれば、自分の専門分野(心理学)の範囲でおさまるモノなのか、それとも他の専門職(精神科医・心療内科医など)の支援が必要なのかといった判断はできなくては困るのだ。


(医師が行う精神療法も、程度の差はあれ、どれも市販の書籍に書いてある程度の情報しか与えてくれない。本当の意味で精神療法ができる医師がいないのかもしれない。)



(※個人的に臨床栄養士の問題かは臨床心理士の問題と同等程度の大きさで僕の胸の中に納まっている。僕が大学で専攻した栄養学は、栄養学ではなく“食物栄養学”だった。僕のやりたかった病態栄養学とは程遠い。患者の栄養状態を“診断”して、経管栄養の必要性の有無の決定にまで意見を出せる米国の臨床栄養士と日本の栄養士の差は、要請過程におけるカリキュラムの問題が一番大きい。)


心理学と栄養学、全く違うようでいて、実は僕のなかで繋がっている学問であり、仕事なので少々荒っぽい論調になってしまった。

本来ならばもう少しきちんとした「論文」でも書けばよいのだろうが、残念ながら僕はその立場にない。


それどころか精神科医療サービスの受け手側になってしまった。


逆にその立場から言わせていただくなら、
医師による診断があるのは当然であり無くてはコトが始まらない。
しかし、現在日本の看護師は、看護学を背景に「看護診断」という独自の「診断」を行う。
それなのに、なぜ「心理アセスメント」や「栄養アセスメント」が医療行為として機能せず、充分な評価が得られない(保険点数の対象にならない・若しくは点数が低い)のか。


簡単に言うと、信頼されていないのである。
患者からも、他の医療スタッフからも。


もっと頑張れ、心理士!栄養士!



・・・っていうか、お前が頑張れ、桐原。(笑)



なんだか今日の記事は滅茶苦茶だなぁ・・・。
体の調子が悪いと頭の働きまで悪くなる。


薬飲んで寝よう・・・。


出端(でばな)を折られる。

2007-11-01 01:10:05 | 社会復帰編
11月31日


先日受けた面接に合格し、いよいよ明日から派遣先に出社することになる。
・・・はずなのに、前日になっても連絡がこない。

いつ、どこに、どうやって、行けばよいのかわからない。

派遣人数が1人の小規模業務だからと言って、なめるなよっ!と憤慨していた丁度そのとき、携帯がなった。
今回の業務の派遣元担当者E嬢からだ。

「はい、桐原でございます。」

「××株式会社のEですぅ。お疲れ様ですぅ。」

この担当者の話癖は、語尾を意味なく延ばすところである。
何度も聞いていれば慣れるのだろうが、最初はかなり耳障りに思う。

「桐原さんに申し訳ない報告をしなければならないんですぅ。」

E嬢によると、当初11月1日からの派遣予定だった業務だが、営業の“仕切り”が悪く、派遣期間や、研修の有無、業務資料等、調整が必要な段階で、当初予定の11月1日からの派遣は難しくなった、のだそうだ。

「じゃぁ、いつから働けるんですか?」

業務開始も未定らしい。ここの会社(支店)の営業はアホか?
最悪遅くても22日からは・・・って、こういう話が業務開始予定日の前日まで発覚しないというのは、担当者の無能力さを表すと同時に、組織としてまったくなっていないと思う。

予定日から働けないと言っても、いつから始まるかが未確定なので、いきなり「明日からになりました!」なんてこともあるわけで、その上期間も中途半端だから別の仕事を探すに探せない。



ふざけんなっ。



前にも書いた(?)ように、この派遣元会社は僕が社会からはじき出されることになった因縁の会社で、かつて僕はこの会社の正社員だった。


と、いうわけで・・。


「じゃあ、他の仕事ください。以前僕がいた部署Aとか部署Bとか、こまごました業務があると思うんですよね~。多少、時給が下がってもいいんでそういうの手伝わせてくれませんか。」


入社時、この会社の競合会社にも合格しているのを、わざわざ蹴ってまで入社したのに、この始末である。このくらい言っても当然だ。

「あ・・そ、そうですねぇ。わかりましたぁ。課長にも相談して改めてご連絡しますぅ。本当になんだかすみません~。」


そして早速携帯からもとの上司の会社のアドレスにメールを送る。

「・・・という状態になっておりまして、つきましてはそちらの部署の仕事を手伝っても構わないので、E嬢に声をかけてみてもらえますか?お願いします。」

はい、根回し終了。
僕が辞める直前に所属していた部署は人事関連の部署で、細かい仕事なら腐るほどある。主に個人情報を人事システムに入力する仕事がまわってくるのでは・・・と踏んでいるのだが・・・。


そんなこんなで、出端(でばな)を折られ、少々計画に狂いが生じたが、肯定的に考えると、いきなり病み上がり(あがってないけど)で、クライアント先に派遣されるより、派遣元のオフィスで事務仕事の手伝いをやってからのほうが、リハビリぽくって良いかもしれない。


あとは元上司がうまく取り計らってくれることを祈りつつ・・。


明日以降の連絡を待つことにしよう。



あと、もう一つ。

全くの余談(というか、このブログの存在自体が余談)だが、今、桐原はダイエットをしている。
毎食、“ダイエット用クッキー”しか食べない、という生活だ。

直径3cmほどの平たい円状のクッキーを1食あたり7個食べる。

僕の場合は、これに日によってヨーグルトとか、コーヒーゼリーなんかをあわせて食べるが、かれこれ2週間になるだろうか、少し痩せてきた気がする。
今居候しているうちには体重計というものがないのでやせたか太ったかは見た目の判断。
でも、なんかいい感じ♪
もう少し続けよう。





お時給のぶんは、しっかりと。

2007-10-27 22:21:42 | 社会復帰編
10月27日



都心のオフィスビルは、土曜日ということもあって人影もなく、ひどく閑散とした印象を受ける。

そんなビルの中のある一室に、僕たちは集められていた。

担当者の女性が説明するとおりに、誤まりなく、住所や氏名、生年月日を記入し、印鑑を押さねばならない。
何枚も何枚も同じことをひたすら書いていく。

そして最後に、ちょっとした厚紙で作った見るからに安っぽい台紙の上に自分の顔写真を張り、チェーンをぶらさげて「社員証」の完成である。

そう、僕たちは“入社手続き”のためにここに集められた。


この企業では手作りの「社員証」は、非正規社員の証。
いわゆる正社員はプラスチックで作られた顔写真、社員番号付きの「社員証」を持っている。


結論を言おう。

僕は11月~12月までの2ヶ月間、派遣で働くことになったのだ。

就職活動や社会復帰を考え始めたのは10月の初め頃からだったように思う。
鬱病特有の症状が顔を出さなくなって久しいのと、現在唯一の収入源である健保組合からの「傷病手当金」の支給期限が12月末までということで、新たな収入源を確保する必要にせまられたからだ。
それに付け加えるとしたら、休職期間を含めて丸2年も“社会”からはみ出した生活を送っていることに言い知れぬ不安を感じ、その思いがピークに達したからということもある。


実は、社会復帰にあたって、医師の正式な許可は得ていない。
主治医には内緒の就職活動である。

もっとも、はじめから正規雇用であれば申し分ないのだが、この格差社会のご時勢。僕が住む北の都市での有効求人倍率は首都圏のおよそ半分程度。“まともな人”も就職活動が難しいのに、“鬱病者”で履歴書上、丸1年の空白期間がある者が正規雇用されるのは、蛙が蜥蜴になるより難しい。

また、最初から正規雇用でフルタイムで働いて、身体がついていくのか、という不安があったのも事実である。

求人広告などを見て本格的に就職活動をはじめてからおよそ1ヶ月。
その間に、3社の面接を受けた。

そのうち1社から「時給制の管理職」というわけのわからない(実はこの業界では常識なのだが)役職の内定をもらった。
しかし、最終的には以前勤めていた時の会社の同僚の紹介で、以前勤めていた会社から「派遣」されて働く立場を選らんだ。
条件面が良かったからということもなきにしもあらずだが、元上司から「是非、戻ってきて欲しい。」との懇願も受け、この会社に再入社することになったのだ。

正規社員ではなく、「派遣」として。

少し前の話だが、篠原涼子扮する「スーパー派遣」が、派遣社員に対する偏見で満ちた職場で、正規社員たちを次々にやっつける(?)ドラマが放映されていたが、まさにあの「派遣」である。

「派遣」の基本は“お時給”。
今回は幸運にも、交通費は別払い(上限あり)だという。

業務内容を詳しく書くとすぐに業界がばれてしまうので、仕事内容はデスクワークとだけ紹介しておこう。

担当者曰く、「以前にも違う方に行ってもらった会社の同じ業務です。簡単なようなので心配はいりませんよ。」との事。

土日を含む週7日間を二人のシフトでまわすのだという。
だから、てっきり二人同時に働くのを基本として、休日をシフトでまわすのかと思っていたら、

「基本は桐原さんに週5日、9時~18時で出てもらい、お休みの日だけ別の人を派遣する形にします。」

との説明があった。


ここの会社のこの支店で「派遣」業務を担当している部署の組織長は、僕のことを良く知っている人である。もともとは営業をやっていた人で、僕らの世界で言うところの“現場”にまわされてきたときは、あまりの使えなさに年上で役職も上ながら、自分の若さも手伝って、毎日のように叱責していた記憶がある。

もちろんその組織長も、僕の休職理由や退職に至った経緯を知っており、その原因となった病名も鬱であることは承知しているはず。(というか、支店内の正規社員で知らない人はいなかった・・・。)

それなのに病み上がり(正確にはまだ“上がって”はいない。)の僕に、週5日を一人で回す業務を持ってくるとは、とても度胸がある。

ご存知のように「派遣」は、派遣元から派遣先へ“派遣”されて派遣先の担当者の指示命令に従って業務を行う。
当たり前の話だが、契約上決められた期間は必ず“出社”するのが大前提であり、いくら体調を崩そうが、親戚が亡くなろうが、彼氏にフラレようが、何が何でも派遣先で“穴”をあけることは許されない。

なのに、これから社会復帰しようと思ったばかりの僕に「一人区」の派遣の仕事を紹介してくれるなんて・・。

信頼してくれているんだなぁ・・ありがとうございます。W氏。
現役当時、あんなに邪険な態度をとってごめんなさい。


そういったわけで、僕は今日、入社手続きと簡単な基本研修を派遣元のオフィスで受けてきた。
実際の勤務は11月1日から。

「派遣」につきものの、「顔合わせ」も無いというから、よほどこの会社を信頼しているのか、あまり関心が無い業務なのかどちらかだろうと思うが、前任者の評判が良かったとの話もあり、事前期待が高いぶん、軽くプレッシャーを感じてしまう・・。

そんなことを書いているうちに、最初に仕事を紹介してくれた同僚から携帯にメールがきた。

「まぁ、きばらずに。能ある鷹は爪を“ちょっとだけ”隠す、で行こう。」

後半のフレーズは意味が良くわからないが、とにかく気負いしないで気軽にやれよ!ということだろう。
ちなみにこの同僚は、僕よりもはるかに年上で既婚、子持ちで躁うつ病。発病からのキャリアも半端なく長く、服薬している薬も僕の比ではない。
鬱病者の気持ちをわかってくれる、貴重な“当事者”なのだ。


そういうわけで、桐原、働いてまいります。
はい、“お時給”のぶんは、しっかりと。


どうか2ヶ月間、穴をあけることなく勤められますように・・・・。






再起動

2007-10-27 21:25:29 | 社会復帰編
10月27日



こんばんは。桐原亮司です。

「the other half 2」

装いも新たに再起動です。


これまでの『the other half』が、抑鬱状態ど真ん中で、暗黒マイナス思考に支配されている現役鬱病患者の日常や考えていることなどを書き綴ったものであったのに対し、この度再起動させていただいた「the other half 2」は、鬱病が原因で心ならずも“社会”から弾き飛ばされてしまった“鬱病患者”が、ドタバタ、がむしゃらにもがきつつ、社会復帰していく(または社会復帰できないでいる)様を中心に書いていきます。

但し、基本的にこのブログが、「僕が胸に溜まったことを書き、自己憐憫に浸る場」であるというスタンスは変わりません。

なので、本記事内に特別なお願いが出てこない限り、「こうしたらよい」とか「こっちのほうがいい」というアドバイスは不要です。

また、コメントを頂くのはありがたく思っておりますし、自由に書いていただいて結構なのですが(上記のようなモノはご遠慮くださいませ)、基本的にこの「the other half 2」では各々のコメントに「返答」は致しません。ただ、面白いことを書かれているな、と思ったコメントや質問・疑問等については、桐原の独断で本記事のネタとして、引用させて頂くかもしれません。

ですから、
「桐原さんは、『こころの起源』をどこに求めますか?」
とか、
「桐原さんは、『こころの本質』とはどのようなものだと思いますか?」
または、
「桐原さんは、『生物と無生物の境界』はどこにあると思いますか?」
など、質問形式のコメントは歓迎致します。
(※ちなみに上記の3つの疑問は、今手元に買い置きしたある本から抜粋しました。いずれ書評と共に内容をご紹介するつもりです。)

但し、その時の気分や内容によっては無視することもあります。(失礼!笑)



まぁ、そんなわけで、先代の『the other half』が、鬱病者の日常、というテーマを掲げていながら、全くあさっての方向を向いた記事ばかり載せていたように、「the other half 2」もどこに向かうかわかりません。
一応、メインテーマは先ほども述べたように、“社会から弾き飛ばされた鬱病者の社会復帰がいかに大変か。”といったようなことなので、それを主に書いていきたいと思います。


たまりにたまった本や映画の紹介、桐原が夢想したことなども今までどおり書いていきますので、お暇な時にお立ち寄りください。


以上、「the other half 2」巻頭のことば、でした。