「何体潜んでいやがった!」
シルフィを背負い、駆け抜けるエピメテウス。途中で手に入れた長剣で、張り巡らされた根や蔓を斬りながら、外に繋がるロビーに向かう。
「パンドラさまが、パンドラさまがぁ」
背中越しにシルフィ絶望的な声が聞こえる。エピメテウスだって、パンドラを助けたい。計画を成すには、彼女の力が絶対に必要なのだから。
だが、動けなくなったシルフィを背負いながらパンドラを助け出すのは難しい。十中八九、マンドラゴラに囚われているだろうし、もしかしたらすでに奴らの腹の中かもしれない。
ぎりりと、歯が軋む。エピメテウスの中にある力を使えば、地獄の食人花など、恐れることはない。だが、開放すれば――
確実に、シルフィとパンドラを殺すだろう。この付近に住む神族をも巻き込んで。
その力は、諸刃の刃ではない。諸刃にもなりえない、圧倒的な破壊の奔流。
まだ、使うわけにはいかない。
エピメテウスは、逸る気持ちを押さえてロビーを目指した。
進路をふさぐ扉は、そのほとんどを蹴り壊して進んだ。追ってくる根は、壊した扉の数を増して増え続ける。
最後の扉を壊したときには、退路はなかった。転がるようにロビーに飛び込んだ二人は、しかしながら、その光景を見て絶句した。
足の踏み場のないほどに侵食されたロビー。エピメテウスの腕はあろう太さの根が、そこら中にゴロゴロと蠢いている。
天井近くには無数の蕾があり、今はきつく絞られた花弁だが、いつ花開いたとしてもおかしくはない。
そして、その花開く頃には、自分は奴らの栄養となっているだろう。嫌な想像が頭をよぎった。
救援は期待できない。かといって、自力で脱出することは不可能だった。
意を決して足を踏み入れる。踏まれた根は、たいした反応を示すことはなかったが、エピメテウスは複数の視線が自分に集まったことを知った。
「ここが、お前らの巣か……」
床や壁から少年とも少女とも取れる顔立ちの子どもが生える。そのどれもが空ろな瞳で、二人の侵入者を見ていた。
「シルフィ」小声で妹の名前を呼んだ。「二階の東側の窓から、微かに光が漏れている」
背負われた少女の体が、強張った。エピメテウスはあえて気がつかない振りをして続けた。
「お前一人なら、何とか突破できるだろう。外に出て応援を呼べ」
「いや……」シルフィは背中にきつくしがみついた。「もう、一人はいや……どうせ、死ぬなら、エピウスと……」
「甘えるなシルフィード!」
微かに聞こえてきた嗚咽に、エピメテウスは怒声で応えた。ビクッとシルフィは硬直する。
「俺はまだ死ぬ気はない。お前も、パンドラも死なせる気はない。だが、生き延びるためには戦わなければならない」
エピメテウスは静かに続けた。
「ここまでお前を背負って走ってきたのだが、戦うとなれば話は別だ。鋭敏に神経を尖らせ、迫りくる殺気と対峙しなければならない。一瞬の気の緩みが命取りとなる。正直、お前を庇ってばかりいられないんだ」
歯がゆい思いと、何もする前に諦めてしまった自分が赦せないのだろう、シルフィは、エピメテウスの上着をきつく握り締めた。
「この際だから、はっきり言おう。シルフィ、お前、以外に重……ぐええええ!」
背後から首を絞められ、エピメテウスは悶絶した。耳元でギリギリとシルフィの歯軋りが聞こえる。
「足手まといなら、はっきりとそう言いなさいよ。少しでも見直した自分が、バカみたいじゃない」
力いっぱい締め上げたあと、シルフィはそっと背中から離れた。
「さっきの言葉、忘れないでよ」
「ああ、お前が太っているという事実は……痛ってぇ!」
「死ぬ気はないって言葉よ!」
羞恥に顔を染めたシルフィが、拳を震わせながら言った。
「絶対に、死なないで」
「それはお前しだいだ。とっとと応援呼んでこい」
苦笑するエピメテウスを、ムッとした表情で睨むと、シルフィは歯を食いしばりながら飛んだ。
同時に四方からマンドラゴラが弾丸のように根を繰り出す。その全てをエピメテウスは打ち落とす。
「お前らの相手は俺がする! さっさとかかってこい!」
そんな、心強い雄叫びを背に受けながら、大きく羽ばたいたシルフィの眼前で……
――突如、壁の一部が爆散した。
目の前起きた爆発と共に、黒い影が飛び込んできた。
反射的に受け止めたシルフィのすぐ横を、疾風の如く白い影が駆け抜けた。
「専攻練呪・白鷺ぃ」
どこか間延びした声と共に、無数の白い三日月の刃が舞う。エピメテウスを狙っていたマンドラゴラが、次々と輪切りにされ、ぼとぼとと落ちた。
「白羽か?」
困惑気味に上空を見たエピメテウスの背後に、突然、人の気配が現れた。
「上着、貸してぇ」
甘えるような言葉遣いと裏腹に、強引に上着を奪おうとする。エピメテウスは振り返らないで、後ろ手で上着を放った。
わたわたと衣擦れの音がして、どこかホッとしたようなため息。舞い降りたシルフィが、感嘆の声をあげた。
「白羽ちゃん!」
「どぉ~にか、間に合ったようねえ。よかったわぁ、シルフィ」
陽だまりのような笑顔でその女性は言った。白く長い髪の毛と眠そうな鳶色の瞳が印象的な妙齢の女性である。彼女は、天上でシルフィたちを育てた里親だった。
白の魔女姫・白羽。肉感的な肢体を、男物の上着一枚で包み込んだ姿で、彼女は言った。
「さすがに足がスースーするわねぇ。シルフィ、スカート脱いで」
「駄目に決まってんでしょ!」
顔を赤くしてシルフィが叫ぶ。ライカンスロープである彼女は、変態するたびに衣服を失う。どこかずれた思考の持ち主だが、人並みの羞恥心は持ち合わせているらしい。が、義理の娘の衣服をぐいぐい引っ張っているのはどうだろうか……。
「いい加減にしろ、白羽。今はそんなことしている場合じゃないだろ」
重厚な声音で、彼は言った。
シルフィに抱かれた息も絶え絶えの黒く煤けた鳥……黒の魔闘士・黒羽である。煤を吐きながらばたばたと羽ばたいた。
「再会の挨拶は抜きだ。さっさとここから抜け出すぞ」
「そ~も、いかないみたいよぉ。パンドラがいないわぁ」
きょろきょろと周囲を見渡しながら白羽。ガックリと翼を下ろした黒羽は、鋭い鉤爪で、エピメテウスの背中を蹴る。
「お前は、ほんんんんんんんんんんとおおに、厄介ごとばかり引き込むな」
「褒めるな、照れる」
苦笑するエピメテウスの肩に黒羽が停まると、赤ん坊大のその鷹は、嘴で頭を突っついた。
「お前がいながら、何たる様だ! 地獄の食人花ごときに後れを取るなんてなあ!」
「そうは言ってもな」エピメテウスは根を指差した。「これは、もはや、マンドラゴラじゃねえぞ」
四方八方から、触手のような根が襲い掛かってきた。
シルフィを背負い、駆け抜けるエピメテウス。途中で手に入れた長剣で、張り巡らされた根や蔓を斬りながら、外に繋がるロビーに向かう。
「パンドラさまが、パンドラさまがぁ」
背中越しにシルフィ絶望的な声が聞こえる。エピメテウスだって、パンドラを助けたい。計画を成すには、彼女の力が絶対に必要なのだから。
だが、動けなくなったシルフィを背負いながらパンドラを助け出すのは難しい。十中八九、マンドラゴラに囚われているだろうし、もしかしたらすでに奴らの腹の中かもしれない。
ぎりりと、歯が軋む。エピメテウスの中にある力を使えば、地獄の食人花など、恐れることはない。だが、開放すれば――
確実に、シルフィとパンドラを殺すだろう。この付近に住む神族をも巻き込んで。
その力は、諸刃の刃ではない。諸刃にもなりえない、圧倒的な破壊の奔流。
まだ、使うわけにはいかない。
エピメテウスは、逸る気持ちを押さえてロビーを目指した。
進路をふさぐ扉は、そのほとんどを蹴り壊して進んだ。追ってくる根は、壊した扉の数を増して増え続ける。
最後の扉を壊したときには、退路はなかった。転がるようにロビーに飛び込んだ二人は、しかしながら、その光景を見て絶句した。
足の踏み場のないほどに侵食されたロビー。エピメテウスの腕はあろう太さの根が、そこら中にゴロゴロと蠢いている。
天井近くには無数の蕾があり、今はきつく絞られた花弁だが、いつ花開いたとしてもおかしくはない。
そして、その花開く頃には、自分は奴らの栄養となっているだろう。嫌な想像が頭をよぎった。
救援は期待できない。かといって、自力で脱出することは不可能だった。
意を決して足を踏み入れる。踏まれた根は、たいした反応を示すことはなかったが、エピメテウスは複数の視線が自分に集まったことを知った。
「ここが、お前らの巣か……」
床や壁から少年とも少女とも取れる顔立ちの子どもが生える。そのどれもが空ろな瞳で、二人の侵入者を見ていた。
「シルフィ」小声で妹の名前を呼んだ。「二階の東側の窓から、微かに光が漏れている」
背負われた少女の体が、強張った。エピメテウスはあえて気がつかない振りをして続けた。
「お前一人なら、何とか突破できるだろう。外に出て応援を呼べ」
「いや……」シルフィは背中にきつくしがみついた。「もう、一人はいや……どうせ、死ぬなら、エピウスと……」
「甘えるなシルフィード!」
微かに聞こえてきた嗚咽に、エピメテウスは怒声で応えた。ビクッとシルフィは硬直する。
「俺はまだ死ぬ気はない。お前も、パンドラも死なせる気はない。だが、生き延びるためには戦わなければならない」
エピメテウスは静かに続けた。
「ここまでお前を背負って走ってきたのだが、戦うとなれば話は別だ。鋭敏に神経を尖らせ、迫りくる殺気と対峙しなければならない。一瞬の気の緩みが命取りとなる。正直、お前を庇ってばかりいられないんだ」
歯がゆい思いと、何もする前に諦めてしまった自分が赦せないのだろう、シルフィは、エピメテウスの上着をきつく握り締めた。
「この際だから、はっきり言おう。シルフィ、お前、以外に重……ぐええええ!」
背後から首を絞められ、エピメテウスは悶絶した。耳元でギリギリとシルフィの歯軋りが聞こえる。
「足手まといなら、はっきりとそう言いなさいよ。少しでも見直した自分が、バカみたいじゃない」
力いっぱい締め上げたあと、シルフィはそっと背中から離れた。
「さっきの言葉、忘れないでよ」
「ああ、お前が太っているという事実は……痛ってぇ!」
「死ぬ気はないって言葉よ!」
羞恥に顔を染めたシルフィが、拳を震わせながら言った。
「絶対に、死なないで」
「それはお前しだいだ。とっとと応援呼んでこい」
苦笑するエピメテウスを、ムッとした表情で睨むと、シルフィは歯を食いしばりながら飛んだ。
同時に四方からマンドラゴラが弾丸のように根を繰り出す。その全てをエピメテウスは打ち落とす。
「お前らの相手は俺がする! さっさとかかってこい!」
そんな、心強い雄叫びを背に受けながら、大きく羽ばたいたシルフィの眼前で……
――突如、壁の一部が爆散した。
目の前起きた爆発と共に、黒い影が飛び込んできた。
反射的に受け止めたシルフィのすぐ横を、疾風の如く白い影が駆け抜けた。
「専攻練呪・白鷺ぃ」
どこか間延びした声と共に、無数の白い三日月の刃が舞う。エピメテウスを狙っていたマンドラゴラが、次々と輪切りにされ、ぼとぼとと落ちた。
「白羽か?」
困惑気味に上空を見たエピメテウスの背後に、突然、人の気配が現れた。
「上着、貸してぇ」
甘えるような言葉遣いと裏腹に、強引に上着を奪おうとする。エピメテウスは振り返らないで、後ろ手で上着を放った。
わたわたと衣擦れの音がして、どこかホッとしたようなため息。舞い降りたシルフィが、感嘆の声をあげた。
「白羽ちゃん!」
「どぉ~にか、間に合ったようねえ。よかったわぁ、シルフィ」
陽だまりのような笑顔でその女性は言った。白く長い髪の毛と眠そうな鳶色の瞳が印象的な妙齢の女性である。彼女は、天上でシルフィたちを育てた里親だった。
白の魔女姫・白羽。肉感的な肢体を、男物の上着一枚で包み込んだ姿で、彼女は言った。
「さすがに足がスースーするわねぇ。シルフィ、スカート脱いで」
「駄目に決まってんでしょ!」
顔を赤くしてシルフィが叫ぶ。ライカンスロープである彼女は、変態するたびに衣服を失う。どこかずれた思考の持ち主だが、人並みの羞恥心は持ち合わせているらしい。が、義理の娘の衣服をぐいぐい引っ張っているのはどうだろうか……。
「いい加減にしろ、白羽。今はそんなことしている場合じゃないだろ」
重厚な声音で、彼は言った。
シルフィに抱かれた息も絶え絶えの黒く煤けた鳥……黒の魔闘士・黒羽である。煤を吐きながらばたばたと羽ばたいた。
「再会の挨拶は抜きだ。さっさとここから抜け出すぞ」
「そ~も、いかないみたいよぉ。パンドラがいないわぁ」
きょろきょろと周囲を見渡しながら白羽。ガックリと翼を下ろした黒羽は、鋭い鉤爪で、エピメテウスの背中を蹴る。
「お前は、ほんんんんんんんんんんとおおに、厄介ごとばかり引き込むな」
「褒めるな、照れる」
苦笑するエピメテウスの肩に黒羽が停まると、赤ん坊大のその鷹は、嘴で頭を突っついた。
「お前がいながら、何たる様だ! 地獄の食人花ごときに後れを取るなんてなあ!」
「そうは言ってもな」エピメテウスは根を指差した。「これは、もはや、マンドラゴラじゃねえぞ」
四方八方から、触手のような根が襲い掛かってきた。