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意思による楽観のための読書日記

日本の古典を読む4 万葉集

古今和歌集のように整然とは編集されず、複数の編者により長い時間軸で編纂されたという万葉集。推古朝の時代から遣隋使やその後の遣唐使で伝えられる大陸の文化に対しても、倭国にも詩歌の文化がかくあリ続けている、という誇りを持てるよう作り出したようにも思える。全20巻のうちの第一巻の前半部が7世紀後半に成立し、そのあとに第一巻ののこりと第二巻で構成される初代万葉集が形作られた形跡があるという。第一巻が儀礼や旅の歌、宴席での歌である雑歌、第二巻は男女が主に交わす贈答歌である相聞歌と人の生死に関わる挽歌で構成された。その補遺として第三巻から16巻が位置づけられ奈良時代半ばに編纂されて、ここまでが第一部となる。第17巻から20巻が第二部であり奈良時代の終わりまでに完成する。このような継ぎ足した形をあえて残しているのは、日本和歌変遷の足跡をあえて残しているとも思える。

第一巻、第二巻では歴史順に天皇の各代ごとに雑歌、相聞歌、挽歌と並べられ、第三巻以降もこうした時代順の三部立ては続く。第17巻以降は部立をせずに日付順となる。万葉の和歌は各時代の和歌による歴史書とも思える。第一期は推古、舒明朝から壬申の乱まで。唐に倣って数々の諸制度が整えられた時代であり、外征、遷都、宴席、遊猟、天皇の葬儀など国や外交という形式を意識する和歌が歌われる。代表的歌人は額田王であり、聞き手を意識しつつ情感を盛り上げていく。

第二期が平城京遷都までで、代表的詩人は柿本人麻呂。壬申の乱に勝利した天武、その後の持統、文武という天皇は超越した権力を手にして君臨した。人麻呂は行幸、遊猟の場で天皇の力をたたえ皇子の死に際してはこの世を去る不条理を嘆く。人麻呂は自身の妻との恋の歌も歌う。人麻呂が確立した枕詞や序詞という表現方法、技法様式としてその後の万葉集全体に引き継がれていく。

第三期が山上憶良が亡くなる733年まで、第四期が大伴家持が編纂する759年までとなっている。8世紀に入ると身分は低いが宮廷で歌を読む歌人、笠金村や山部赤人が登場する。人麻呂の技法と形式を引き継ぎつつ、多くの自然美や旅情を歌に読み込んだ。大伴旅人や山上憶良などの官僚歌人は、高い漢籍教養を持ち、漢詩の世界を和歌に歌い込もうとした。山上憶良と大伴旅人との交流は太宰府でも行われ、共作、競作が展開された。各地の伝説を歌った高橋虫麻呂もこの時代。第4期の時代の殆どが大伴家持で占められる。長屋王の変、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の乱などが続発したこの時代、不遇感を強めていた大伴家持は、大伴氏一族である坂上郎女や大伴旅人を含めた一族の結束を強めようとするような結婚、宴などを歌った内容も増える。

このあと、和歌は漢詩文に圧倒される時代となるが、「かな」の登場する古今和歌集が出る10世紀までそうした状況は続くことになる。本書内容は以上。

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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