表題作、ワグネリアン三部作なる短編三作、レゾナンスという中編。表題作は、高価で希少なストラディバリウスのエッサイ、演奏会会場で盗んでしまう、という手口がこの話の落ちである。登場するのはこの手口を見抜いてしまう瞬一郎、その叔父で海埜警部補、バイオリニストの武藤麻巳子、協奏曲を共演するオーケストラの三人姉妹。話に取り入れられるのが音楽や楽器、オーケストラの小ネタである。小ネタとは、「バイオリンの練習はスケールに尽きる」「ベートーベン協奏曲のカデンツァはシュトニケ」「ゴールドブラカットは0.26が最適」「ストラディバリウスにはあだ名がついていて、諏訪内晶子さんはドルフィン、裏面のニスの形からきている」「近代楽器の中では唯一中世の楽器が最高なのがストラドのバイオリン」「ストラドのニスは残っていないのが普通だが、五嶋龍のジュピターには残っている」などなど。これらがネタの伏線になっていて、ストラディバリウスを盗み出す手口につながる。
結局、演奏者を麻酔で眠らせ、楽器を盗んで、バイオリンを構成している表板、横板、裏板の3つの部分に膠を剥がして分解、三姉妹の3つのバイオリンの一部と交換して知らぬ顔の半兵衛を決め込むという作戦。しかし瞬一郎は演奏者以外には盗み出せないとこれを怪しみ、独奏者が瞬時麻酔で倒れたという危機的状況にも機転を利かせて、独奏者に替えてオーケストラの代演を依頼、弦の音がよく聞こえるチャイコフスキーの弦楽セレナーデを演奏してもらう。瞬一郎は客席でそれを聞いて、オーケストラのバイオリンパート三姉妹の音の響きがおかしいことに気づく、という奇想天外な結末。そんなことできるのか、といぶかるよりも、音楽好きでオーケストラ経験者ならばきっと「それあるある」と興味を持って読めるし、音楽の小ネタが面白ければこの中編は面白く読める。
ワグネリアン三部作は日本ワグナー協会が年一回編纂している研究誌への連載作で、本来は音楽研究家による論文やワーグナー文献に関する書評などが掲載される雑誌に向けて書かれたもの。「或るワグネリアンの恋」はワーグナー好きの男性がこの相手なら一生のパートナーにできると見込んだ女性にワーグナーを教え込む、というもので、実はその女性こそがワグネリエンヌともいうべき一枚上手のワーグナー好きだったという落ち。「或るワグネリアンの蹉跌」はワーグナー好きというよりもワーグナーのことしか頭にない女子大生が就活するも、成績優秀なため書類選考を通過しても面接でトンチンカンな答えばかりして落ち続けるというお話。コンサートで出会ったお年寄りがある企業の会長で、その秘書にめでたく合格というもの。「或るワグネリアンの栄光」は前2作の登場人物に加えて、新たなワグネリアンが登場、テレビのマニア向け深夜クイズ番組でワグネリアン振りを競うというお話。優勝は新たなワグネリアンで日本ワーグナー協会会長の三宅さんというゴマすり話。
「レゾナンス」とは共鳴、ワイングラスが共鳴すると思わぬ大きな振動があるもの、ソプラノ歌手の逸話で共鳴したワイングラスを割ってしまったという話もある。若きバイオリニストの卵は先生に叱られてばかり、高校二年生の冬の大雪の日、練習の帰宅道で普段通らない森の中を抜けて歩くが道に迷い、天然のカマクラのような雪の洞穴に入り込んでバイオリンを弾いてみた。見事に共鳴した雪のカマクラは共鳴して崩れ去った、というお話。
いずれの話にも、音楽の、それもバイオリニストのあるある話が書き込まれていて、バイオリン習得に励んでいる読者はそれこそレゾナンスできるのではないか。エピソードに興味が持てない向きにはお薦めできそうにない。